私は帰国生。

私は帰国生です。それは、私は女性です。とか、私は飴が好きです。などの自分を表す一文と同じなのですが、人は距離をとってしまいます。だからプライベートだと初対面ではあまり言いません。自分からも滅多に言いません。最近は。

自分を形作るもの、としての「帰国生」という肩書ですが、ほかの人にとっては自慢や威嚇、羨望、異質者認定ということになってしまうようで、悲しい思いをしてきた人は私だけではないと思います。そんな帰国生エピソードをちょっと紹介してみたいと思います。

でも、帰国生としての私の物語はほかの帰国生と自負している方々の物語には当てはまらないと思います。要所要所で同じ気持ちを共有したことがある場面はあるかもしれませんが、まったく同じ経験・同じ考え・同じ反応などをすべての人が持っているとカテゴライズせずに、こういう経験をしてきている帰国生と名乗る人もいるのだな、と思っていただければ幸いです。これは私の帰国生としての物語です。

小学校時代

私は小学校5年生の2学期に日本に帰国し、日本の学校へ通うことになりました。この中途半端っぽい時期は、アメリカのスクールイヤーに合わせて帰国したからなんです。アメリカの現地校で5年生を修了しての帰国でした。両親の英語をキープできる学校へ通わせたいという願いから私立の学校へ通うことが決まりました。

英語の授業は通常クラスと違うものを受けさせていただきましたが、私立だったので、通常の授業もハイレベルで、週一回補習授業校でしか日本の教育を受けていなかった私はついていくのに必死でした(特に国語と社会)。そんな中、英検準1級に自力で合格し、喜んだのもつかの間、学校の広告棟に使われるのが嫌になり、また、地元のお祭りで見た地域の中学校の吹奏楽部にあこがれて、中学校は公立校へ進学しました。

このころは大人が自分の能力を使ってくることに違和感を感じていた時期でした。まだ小学生だったので、あっちにいて暮らしていたんだから、暮らしていない人に比べてできるのは当たり前だし、あたかもそっちの手柄みたいに使ってんじゃねーよ!みたいな気持ちがあったように思います。

クラスの友達は、そこまで私に普通とは別のものを見出していたような気はしません。クラスのメンバー自体も様々な能力を持って通っていたメンバーが多かったことも要因ではあると思います。なので、私は自分が帰国生だということを隠さず、アイデンティティとして惜しげもなく発信する人物でした。

中学校時代

公立の中学校へ入学しましたが、地元ではマンモス校と呼ばれるほど人が多く、特に私の代は全体的に人が多かったようでどこの学校でも1クラス増という人が多い時代でした。小学校が2校集まるので、初対面の人も半々くらいの空間で、1年生は自己紹介から「帰国子女です!」と元気に挨拶をし、学級長にもなり、平和な学校生活を謳歌していました。それでも、自分の性格が災いしてトラブルが起こるんです。

トラブルの前に、私の小学校からのとんでも性格をご紹介。アメリカにいるとき、英語が喋れなくても・どれだけ疎まれても「遊びたい」という欲求に従って相手についていくというめちゃくちゃ迷惑なやつ、でした。相手が自分を迷惑だと思っていると夢にも思わないわけです。避けられても、あぁ、今日は虫の居所が悪いのかな?とりあえず距離はとるけど、遊びたい!みたいな人でした。気に入った人と一緒にくっついて、ずっと一緒にいたいみたいな性格ですね。

トラブルは、登下校で起きました。私は保育園がちょうど帰国して地元だったので、保育園の頃の友達(というか私が一方的にまだ友達だと思っていた子)たちと登下校をしていました。おしゃべりするし、あだ名で呼び合うし、楽しい時間を過ごしていたと思っていたんです。でも、だんだん避けられるようになって… でも私は相変わらず、今日も虫の居所が悪いんだね!と、自分が原因だとは露ほども思わず…。

ある日、一緒に帰っていた同じ部活にいる唯一普通に話してくれる友達がこっそり教えてくれました。「akinaちゃんはアメリカから来たから知らないかもしれないけど、正式な友達になる手順を踏まずにあだ名で呼んでるから、〇〇ちゃんは怒ってるよ。仲良くなったら、あだ名で呼んでいい?って聞かないといけないんだよ。」と親切に教えてくれました。私は目からうろこです。正式な手順?!どうやら私は非常識な輩だったようです。みんなが呼んでいる名前=通称とはならない世界線は初体験で、驚きと困惑がすごく大きかったです。でも、教えてくれた友達は感謝はすれど、恨むことは全くしていません。いまでもその子とは定期的に連絡を取って近況報告なんかをするいい友達です。

ですが、この出来事以来、2年生のクラス替えで、友達作りに憶病になっている自分がいて、というかどうやって友達になってあだ名の関係にランクアップするのかもよくわからず、部活だけに生きる人間になっていました。

高校時代

高校時代はそんなウジウジした自分が嫌いだ!社交的な自分になる!という目標を持ち、入学しました。普通科ではなく、英語科に入学し、思う存分帰国生を隠さず、学校の勉強に励みました。それでも、やっぱり好奇の目であったり、妬みであったり、壁を感じたり、そういう経験を高校でもしてきました。一方で、この先もずっと良き理解者で友達でいてくれる人たちと出会えた場所でもあります。

勉強になると、英語が絡んでくるとどうしてもちょっと壁ができてしまう私。不満はないけれど、一緒にこの感覚を共有してくれる人が欲しいと願いながら、クラスに同じ帰国子女の子が2人もいたけれど、ついぞ共感して話すようなことはなかったな、と感じています。一人ひとりに別々の経験があり、コンプレックスがあって、その結果、やっぱり高校のクラスの中という場所では共感や悩みの共有をすることは難しかったんだと感じます。今なら、それぞれの経験を受け入れながら、共感したり、私の体験を話したりもう少し器用にこなせるのかな、なんて感じています。

それでも、高校で自分は感覚がずれていると思った体験はあるんです。それは、食べ物です。私、派手な色をしているお菓子とかが好きで、食べれるんです。でも、どうもそういう感覚が周りの人は薄かったようで、変な色のお菓子を食べるときだけはいつも「akinaちゃんはアメリカ人だからね!」と言われていました。それをなんだかちょっと納得してしまう自分が悔しいなと思っています(笑)

あとは、漢字が大の苦手で、もう書き順とかめちゃくちゃだし、全然書けないときもたくさんあります。読む・打つは問題ないんですが、書くことはもう本当に。いろいろな人に今でもいじられているちょっとした恥です(笑)中学校で教えていた時も、漢字は多少生徒に教えてもらう始末… 自分の時間を使って書き順の勉強もしてみましたが、昔からの習慣を変えることは難しいですね。精進します。

大学時代

大学時代は、教育系の大学の英語専攻へと進みました。どうしても先生になりたい夢を叶えたくて進んだ道です。志の高い先輩方や教授方に出会い、本当に楽しい学びの経験をさせていただきました。能力を買われて、オペラの台本の翻訳をしたり、論文の翻訳をお手伝いしたり、留学生のお手伝いをしたり、のびのびと自分の能力を活かして大学時代は過ごしていました。わりと小さな集団で学びをしていく形態・留学経験も多い学部だったので、あまり感覚のずれを味わわずに過ごすことができていたように思います。

この頃、一番自分が英語を話しているときと日本語を話しているときの性格や考え方の違いに気づきました。日本語でしゃべるときは人見知りはするし、全体の流れを見ながら考えながら発言することが多いように感じます。その反面、英語で話すときには、積極的に会話の中に入り、違いを楽しんで、お互いの意見交換や体験交換に勤しむ自分がいることに気づきました。

それぞれの文化の中でとってきたコミュニケーションの方法がここにきて結構はっきりと自分の中で言語によって区別されるようになったと思います。研究でも言語によって性格が変動することは言われているので、不思議ではないのですが、自覚できたこと、また、日本での自分のこれまでの経験によってこの日本語の性格が決まったように思うので、その部分を興味深く自分を分析しています。どちらも自分で、一緒に自分の中に存在していて、不思議な感じもします。

社会人になって

社会人になって、英語を教える仕事をしばらくやって、もちろん教える以外の仕事もこなして、同僚や先輩から、自分の能力について評価をいただくことが増えました。それは英語に由来するものではなく、自分の仕事のスタイルであったり、仕事に対する姿勢の部分で評価をしていただきました。帰国生と知っていても、自分と同じ年齢でなかったり、違う土俵に立っていると、帰国生という部分が壁とならずに接していただけることが多いことに気づきました。何ができるか、素直に非を認められるか、間違えたときに代替案を自分なりに考えて提示できるか、などの能力の部分で評価をいただけています。その部分は本当に感謝しています。

今は、大学院進学に向けて一度離職をして、フリーランスという形でお仕事にありつきたいともがいている最中です。数字だけで自分の能力を示して、任せていただくことの大変さを痛感しています。

オンラインで英語の指導をしたいと思いながら、一歩踏み出すのに勇気が必要でまだちょっと踏み出せていない私がいます。何事も経験だと思いながら、一歩一歩自分のベースを作り上げていきたいです。

壁を感じない場所

帰国生の私にとって、教室、というのは居心地の悪さを感じずにはいられない場所でした。特に英語の授業なんて好きになれません。壁を最も強く感じる場所だからです。そんな中、壁を感じなくて居心地のいい場所があります。それは、吹奏楽部やオーケストラです。要するに、部活動、趣味の集まりです。

音楽をやっているとアマチュアなので、どれだけまじめに取り組んで自分の力を上げていくか。どうやって周りの人と合わせて自分たちの作品を作っていかに人に聴かせるか、という世界になっていました。そこには「英語ができる」なんていう評価が入る余地はなくて、ただ音楽への情熱と楽器にそそぐエネルギーがあるばかりでした。

自分が頑張ったから得られる周りからの信頼や、努力している人に向ける自分からの尊敬と信頼。居心地のいい、壁を感じない空間です。趣味を大事にしたいものだといつも感じています。自分が作り上げたもの、好きなものでつながれる、その中の尺度で関係を作れる大切な場なので。

私は帰国生。

今、英語ができるだけでは、生き残れないと痛感しています。帰国生です!と言っても壁を感じてもらえなくなる日々はそう遠くないうちに来ると思っています。英語ができるだけのやつかよ、と思われずに過ごしていきたいものです。みんながみんな帰国生だから英語がしゃべれる、というわけではないこともここに書いておきます。

私は帰国生。の中には、アイデンティティが多く含まれています。日本人だけど、日本人じゃない。海外にいただけで、海外の人じゃない。こういう経験をしている一人の人なんだ、と思って接してもらえると私は嬉しいな、と思います。

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