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小澤征爾さんを偲んで

 日本クラシック界の先駆者であり日本を代表する世界的な指揮者、小澤征爾さんが2024年2月6日に心不全のためにお亡くなりになりました。小澤さんは25歳でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任、その後もウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など世界的に有名な数々のオーケストラで指揮者として長年活躍しました。中でもボストン交響楽団では1973年から29年間にわたって音楽監督を務めたほか、ウィーン国立歌劇場でも音楽監督を務めるなどその活躍により「世界のオザワ」と評されました。日本においては新日本フィルハーモニー交響楽団創設に関わり、すみだトリフォニーホール(1997年開館)では設計時よりご尽力されました。1984年に「サイトウ・キネン・オーケストラ」、1990年に「水戸室内管弦楽団」、2000年に「小澤征爾音楽塾」を立ち上げるなど、ご自身の追及する芸術を具体化し、精力的に展開されました。

 訃報を受けて、国内外の多くのメディアで報じられ、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ガーディアンなどは長い追悼記事を出し、「東アジアのクラシック音楽家に対する偏見を払拭することに貢献した(ニューヨーク・タイムズ)」などと、その功績が讃えられました。

 2023年7月に外山雄三さん、8月に飯守泰次郎さんと日本を代表する指揮者が立て続けにお亡くなりになり、日本のオーケストラ界は、大変残念ながらこの短期間に3名の偉大なマエストロとお別れすることとなってしまいました。日本オーケストラ連盟といたしましては、マエストロとの親交が深い方々よりお話を伺い、当時の思い出やエピソードを本誌に掲載させていただき、日本の指揮者界を牽引してこられたレジェンドを偲びたいと思います。


 日本オーケストラ連盟に1994年から2006年まで常務理事・事務局長として務め、当連盟の礎となる事業を創設された岡山尚幹さんに小澤征爾さんとの思い出を伺いました。

 下の写真は1977年11月5日に開催された「小澤征爾カテドラルシリーズ第6回」公演写真です。72年に新日本フィル結成、73年にはボストン交響楽団の音楽監督に就任されておられた“ 世界のマエストロ” 小澤征爾さん指揮、東京カテドラル聖マリア大聖堂で開催されました。

 このシリーズは10回を重ねたとのことで、超多忙なマエストロと岡山さんの信頼関係がしのばれます。また、1989年12月には小澤征爾×ベルリン・フィル「ジルベスターコンサート」でカルミナ・ブラーナを晋友会で歌い、ホールを後にした時にはベルリンの壁崩壊直後の年末、大勢の人々が騒然としていて恐ろしさを感じる程であったそうです。歴史的な瞬間も共に過ごされていらしたのですね。

 様々な思い出の中、一番には「あんなに努力をする方は他にない。朝の4時から、スコアを勉強していたのですからね、並大抵の努力ではなかった」と振り返り、指揮については「それぞれのプレイヤー一人ひとりを直視して、目を見て振っておられた」ことが印象深く刻まれているようです。そして、「西洋音楽を日本人がどこまで出来るか」と大命題に挑み続け、「自分のものとして演奏するということを突き詰めた方だったのではないでしょうか。」とのこと。偉大な指揮者の生涯と、これから私たちが歩んでゆく道が重なるような瞬間でした。これからもひたすら真摯に音楽に向き合える世界が続きますように。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「小澤征爾カテドラルシリーズ第6回」 1977年11月5日

〜小澤征爾さんと日本オーケストラ連盟〜

〔怪我や病気で活躍出来ないオーケストラの楽員のためのチャリティーコンサート〕

1995年1月23日(月)サントリーホール

指揮:小澤征爾
チェロ:M. ロストロポーヴィチ 
管弦楽:NHK交響楽団

バルトーク:オーケストラのための協奏曲
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 op.104

阪神・淡路大震災追悼のバッハのアリアが冒頭に演奏され、ロストロポーヴィチ氏独奏によるサラバンドで静寂のうちに終演となった。
収益金は日本オーケストラ連盟に託され、楽員のための互助会貸付制度として、今も大切に引き継がれている。

リハーサル風景


2024年3月29日発行
「日本オーケストラ連盟ニュース vol.113 40 ORCHESTRAS」より


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