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くだらないことでも、投稿した方がいいかもしれない

こんにちは、アジサシです。
つぶやきばっかりだったので、記事書きます。(雑な理由だなぁ)

記事書く気になったのも、この記事のおかげ。
特になるほどなぁ、と思ったところを抜粋。

世の中の多くを占める「まともな人」って、今回みたいなノイジーマイノリティに対して「アホだな」と感じつつも、実際は何もしません。わざわざネットで反論や指摘を投稿する人は稀です。だってバカバカしいから。

でもネットって投稿した人だけが存在する世界なんですよね。黙っている人、投稿しない人はゼロカウント、存在していない世界、それがネットです。

その結果、ネットは雑で的外れなノイジーマイノリティで溢れかえり、まるであたかもそれが主流意見であるかのように錯覚してしまう。最終的に世の中が妙な方向、ズレた方向に向かって走り出す可能性すらあるでしょう。

だから、くだらない、バカバカしい、指摘するでもない、みんな判っているような事でも「違いますよ」「アホですね」とネットでいちいち明確に指摘することは、それなりに必要な行為なのです。

ニュースになっていることにも、声をあげたから明らかになったこともあるし、世の中の関心が向いて、変わろうとしていることもあります。
声をあげるのは恥ずかしいかもしれないし、そんなことに声をあげるのはバカらしいと思うこともあるかもしれない。
でも、声をあげないと、結局「声なき声」として、何の光にも触れないまま、埋もれてしまうんだなと。
だったら、くだらないことでも、自分の外に出してあげた方が、まだ誰かの目に留まるかもしれないし、それで誰かの助けになるかもしれないなぁ、と思いました。

もちろん、その声で誰かを傷付けたりするのは言語道断なので、声のあげ方だったり、表現というのは注意すべきだと思います。
それができるのが人間だと、僕は信じたいですね。

だから、内容はほどほどに考えて、つぶやくだけでもいいから、自分の思いを投稿していきたいですね。


自己弁護じゃないけど、「残業し過ぎて、おなかがすいたわぁ」くらいのつぶやきでも、それが今の思いならいい気がしてきますわ。
ま、いっか。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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