砂漠の女王ガートルード・ベル、あるいはアーニャの親友ベッキー・ブラックベルのモデル令嬢の婚活戦記

砂漠の女王―イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯
2.5/10 図書館本。
約600Pと長大。序盤100Pの彼女の前半生がかなり面白い。

ベルの祖父は製鉄業で財を成したベル・ブラザーズ創業者のロージアン・ベル(1816-1904)。
ブラス:バーミンガムというボードゲームがあり、イギリスの製鉄、紡績、鉄道運河事業がテーマ。
ロージアン翁の足跡はまさにこのゲームそのもので、製鉄で収入を高め、それを鉄道敷設に全投資し走り抜ける白ブラスの王道必勝ルートを現実でもやっている。
なおベル・ブラザーズの本拠地はミドルズブラやノーザンブリアなど、イギリス北部。
よって南部が舞台のブラス:バーミンガムよりも、北部テーマのブラス:ランカシャーの方が少し近い。(北部西岸のランカシャー地方と北部東岸のノーザンブリアはそれでも別物だが…)


ガートルードの人生を一言で表すと、知能と気位が高すぎてキャリアパスで迷子になってしまった財閥令嬢だ。

19世紀末大英帝国の上流階級として学生生活を送っている。
読んでいてスパイ・ファミリーのアーニャ・フォージャーの友人のベッキー・ブラックベルをかなり想起させる。
名前もまんまであり、おそらくモデルの1人のように思われる。
ベッキーのパパは軍事企業「ブラックベル」のCEO。
対してパパベルは製鉄事業を祖父から引き継いで大会社の2代目社長をやっている。

なおベルの祖父はのちに国会議員となり、彼女が17歳時点で爵位に叙せられるなど名声面でも躍進。
旧家というよりも産業革命で成り上がった新興の経済貴族といった印象。

この手の令嬢は当時、10歳前後で家庭教師をつけて学校には通わせないのが主流だった。
自宅で女性向けの汎用スキルセット(乗馬、水泳、テニス、ドイツ度とフランス語、文学、音楽と美術、刺繍、絵画、楽器)を数年かけて仕込む。
17歳で社交界デビュー。
1年以内に結婚。

これがイギリスエリート女性の王道的な成功ルートだった。


が、高すぎる知能が彼女を安定軌道から外し、混沌に導くこととなる。

12歳時、本人の強い希望で女学校(クイーンズ・カレッジ)に入学。
親元を離れロンドンに。
アッパーミドルくらいの、家格の劣る階層が通う学校であり、やや校内でも浮いたかたちに。
ある程度楽しむも、周囲の能力とモチベの低さに絶望。
”彼女たちは退屈で気取っていて、ガートルードのスピードについてこられなかった。"(P46)

教員に、
「これだけできるんだから、せっかくならオックスフォード大に進学しては?
御父上(母親は幼少期に死別)が許されるかは分からないけれど…」
と打診を受ける。
紆余曲折あり、晴れてオックスフォードに進学。

オックスフォード大では何百人もの男子学生のなかでたった数人の女学生という環境。
女学生への縛り付けもクイーンズカレッジ時代より格段に緩く、キャンパスライフを満喫。

パパベルは「オックスフォードで良い男性を見つけて、卒後早いこと結婚してほしい」くらいのスタンスで見守っていたようだが…
ベルはスパイ・ファミリーのベッキー同様、高飛車すぎた。
好戦的で、男性とのレスバトルも強すぎた。

オックスフォードは異性関係をほぼ無風で通過。
卒後はルーマニア大使の親類のツテでルーマニアの社交界デビュー。

社交界とは何か。
毎年1-3月の冬に行われる連日のパーティのことだ。
英国内だと女王陛下の謁見を許される身分の人間のみ参加権を持つ。
ディナー、コンサート、観劇、軽食を夕方から夜明けまで。
冬中、毎晩街のどこかで行われている。
学生街の4,5月の新歓シーズンを思わせる。
冬場は農閑期なうえに戦争もやれない(行軍できないから)。
それでヒマだったのが起源だと思われる。

なおアメリカ先住民も、農漁業のオフシーズンである冬場に連夜饗宴を開いてそのハデさと気風の良さを競う「ポトラッチ」という浪費の習慣を持っていた。
ヨーロッパ貴族の冬季の乱痴気騒ぎとどこか重なるものがある。


話を戻して、ベルの婚活戦記の収穫だが…
本来17歳デビューが相場だったところが遅れに遅れたこと。
そして気性の強さと知性の高さ。
これらが災いし、3年かけてもマッチングできなかった。

24歳。
晩婚化が進んだ現代に合わせて×1.5すると、現代基準で36歳。
ベルは半ばヤケになり、元々行ってみたかったペルシャのテヘランに旅行に出かけることに。
これが転機だった。
旅、考古学調査、登山に目覚め、10年間世界中を旅し続ける。
この時期の記述は総じて歓喜に満ちている。

38歳時、考古学雑誌への連載をまとめた「シリア縦断紀行」を世に出す。
自分がひとかどの人間であることを証明した。

46歳時、第一次世界大戦勃発。
彼女の研究拠点はオスマン帝国領。
ドイツはロシアに宣戦布告し、これに呼応するかたちでオスマンも同年ロシアを奇襲。
英仏露が協商サイドのため、オスマンはイギリスと敵対するかたちで参戦することに。
結果として英仏露が戦勝、旧オスマン領は戦勝国らに割譲されることとなった。
ここでベルは「アラビアのロレンス」ことトーマス・E・ロレンスとともに大英帝国の諜報員・行政官として、敗戦後のオスマン統治に携わり、イラク建国の中核を担っていく。


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