鴨川ホルモー、あるいは体育会系大学部活が人格に及ぼす不可逆の変質

6.5/10
図書館本。
2005年、作者の万城目学さんが29歳時点で書いた本デビュー作。
面白かった。
異性関係の乏しい京都の貧乏インテリ大学生モノということで、属性としては森見登美彦さんの「太陽の塔(2003)」にかなり近い。森見氏は3年デビューが早いが、万城目氏より3歳下とのこと。

森見さんの世界観に比べ万城目さんのそれはかなり健全というか、体育会系的、陽キャ寄り、建設的で、その差に驚いた。
両者を対置すると、「太陽の塔」には、森見さんの「自分の大学生活はこうあってほしかった」という幻想、ファンタズムが詰まっている。
「鴨川ホルモー」は対照的だ。
「実際に自分が過ごした大学生活とはこういうものだった。こういう楽しさ、しんどさ、悔しさがあった。ナイーブな青年だった自分は妥協を知り、成長し、今では頑健な大人になった」と、そういうような具合で作られている。
明記するが、私は両氏ともを好いており、本記事は悪意や敵愾心を持って書かれていない。「鴨川ホルモー」には先週初めて触れたが、太陽の塔は大学生のころから、累計10回以上読んでいる。

両作のおおむねのプロットは同じだ。
青年が田舎から京大に入学し、貧乏下宿生活を始める。美しい同級生に一目ぼれする。京都という土地柄に則したちょっとした超常現象や怪異が生じ、青年と同級生との関係性の変化や、青年の成長がもたらされる。

同型だからこそ対比が際立つ。

太陽の塔のタイトルの由来は、同級生(水尾さん)が万博記念公園にあるその塔を偏愛しているからだ。
そして主人公はその女性を、理解を越えた他者として神聖視・崇拝している。塔についてはフロイト=ラカン的な読解の余地がおそらくあるが、ここでは行わない。
彼女の存在は作劇上最も大きなウエイトを占めている。
最終的に主人公と水尾さんの良好な関係を匂わせつつ物語は終わる。

鴨川ホルモーにおいては、一目ぼれした同級生(早良さん)の存在感はより薄い。主人公がホルモー部に入部する最初の動機ではあったが、本作の核ではない。

核はホルモーだ。
表題にもあるホルモーとは騎馬戦やLOL、ポケモンユナイトみたいな架空の競技だ。
キルのような概念があり、鬼(この世のものではない異形の小人たち)にもみくちゃにされた際に、そこで「ホルモー!!!」と腹から叫ぶことで降参を宣言する。
そして試合の数日後、キルを取られたプレイヤーは自分が大事にしているものを失う。
失うものは、傍から見たらあまり価値のない、ややどうでもいいものだ。主人公の相棒(高村くん)は「髪を伸ばしたい」というこだわりを失い、ちょんまげを結う。一皮むけ、あか抜け、成長する。
主人公はと言うと、女性の鼻のかたちへのフェティシズムを失う。

作中ではそういったこだわりを鬼が盗むものとしているが、高校や大学の体育会系部活での声出しや野蛮な宴会芸が真っ先に想起される。
なりふり構わない理不尽な声出し、恥ずかしい体験の共有。
こういった通過儀礼は青年の人格に不可逆な変質をもたらす。

なお、主人公が片思いしていた早良さんには別に交際相手がいる。
彼女の鼻へのフェティシズムを失った主人公は紆余曲折ののち、最終的に彼に好意を持つ別な女性と交際を始める。
この結末は、なんていうか、めちゃくちゃ地に足がついている。
正しく建設的な、実用的でタフな選択で、現実的な、妥協的とさえ言って良い地点に着地している。

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