【連載小説】ノイズ(仮) 第八回


「おまえよく、あんなふうに正直に言えるよな」
「なにがだよ」
「自分が童貞とかよー。キスもしたことないとかよー」
「だってしょうがないじゃん。ほんとうなんだから」


 家に帰って改めてLINEを開くと、オレと椎名のトークルームに知らない名前からメッセージが入っていた。
 ショウコ「7時に集合」おおた☆マリ「り」おおた☆マリ「ラッコも」椎名「ラックだから」おおた☆マリ「www」ショウコ「てかラックってなにwww」
 いや、そんなこったろーと思ってましたよ。椎名は現状、他の仲間を誘えないだろうし。
 プロフ画面のアイコンを見るに、椎名の言っていたショウちゃんとは、このショウコのことだろう。花火の写真のなかにこの顔を見た憶えがあった。おおた☆マリのほうのアイコンは、これは人間の顔? ってくらい加工が過ぎて原型がわからない。
 ヒトの名前に草生やしてんじゃねぇよ。オレは闖入者をトークルームに招待した椎名に怒りが湧いた。トークルームを非表示にしようとして、手が止まった。考えて、オレは椎名に電話をかけてみた。
「一寸一杯横丁に行くの?」
 一寸一杯横丁とは、地元の高校生には有名な飲み屋だった。どういう料簡か治外法権のように未成年にも酒を出すのだ。オレはまだ行ったことはなかった。興味がないではないが母さんがそんなことを許してくれるわけがない。正直にそう言ったオレに、
「そのあとうちに来ればいいべ。ただうちに泊まることにすれば?」わけもない、というふうに椎名は言った。
 言われたとおり訊いてみると、母さんはあっさり許してくれた。なんだか嬉しそうなのは、オレにまだ友達がいることに安心しているようだった。
 母さん、嘘ついてごめん。
 待ち合わせの駅に自転車で行くと、ウォレットチェーンをつけてニューエラのパチもんキャップのつばのうえにサングラスをかけた、いやな感じにグレードアップした椎名が待っていた。オレはまずキャップをひったくり、真っ平らのつばを真ん中から二つ折りにしてやった。「ああ!」椎名は悲鳴のような声をあげ、オレのメッシュキャップも同じようにしようとひったくったが、古着屋で買ったメッシュキャップはもともとつばに深めのカーブのあるデザインで被るというよりボウズ頭に載せてるだけだし痛くもかゆくもない。バカめ。
「オレのことば見世物にしようとしてるんだべ」
「おまえ、ほんとひくつな」
 椎名は情けない顔でつばを一生懸命平たく戻そうとしていた。
 一寸一杯横丁に入ると、椎名の後ろについて行った。初めてで物珍しいオレは店内を見まわした。小さなカウンターの屋台ふうの飲み屋が何件も並んで入っている。祭りの仲見世通りのようだ。そこここのカウンターに、同じ高校の生徒や地元の見知った顔がちらほらあった。焼き鳥屋ののれんを出しているカウンターに着くと、すでにショウちゃんとおおた☆マリが長椅子に座って待っていた。
「ショウちゃんと、マリちゃん」椎名がオレに紹介した。オレが「どうも」と微妙な笑顔のような表情を作って会釈すると、ひじきみたいな太く長いまつ毛のショウちゃんは「あー、はじめましてー。ラックでしょー。なに飲むー?」と、なぜだか満面の笑顔で言ってきた。
 ドリンクメニューを見てもよくわからない。居心地悪く落ち着けないでいると、「椎名の友達か!」カウンターごしにこの焼き鳥屋の店主らしきおじさんが声をかけてきた。威勢のいい声に圧され、またも微妙な笑顔で会釈した。おじさんの人の良さそうな笑顔に、映画のなかでしか見たことのない、夜の人間とか裏の社会とかジョー・ペシとか、そういうヒトたちの持つ独特の癇症が透けてて少しこわかった。オレたちが未成年なのはもちろんバレているのだろう。おじさんと仲良さそうに話す椎名は、何度か来たことがあるみたいだった。
「あんま飲めないの?」話しかけてきたおおた☆マリは、すでに目の周りが赤かった。
「それ、なに飲んでんの?」オレが訊くと、ショウちゃんはビール、おおた☆マリは梅酒サワーだと答えた。一口ずつ飲ませてもらっても、どっちもうまいと思えなかった。が、梅酒サワーは知っている味だ。ばあちゃんが毎年漬けていた梅酒を飲ませてもらったことがある。青い梅のへたをつまようじで取りながら、「梅も女も、酒に漬けるにゃ若いうちがいい」とばあちゃんが言っていたけど、いまだにどういう意味かわからない。
 オレは梅酒サワー、椎名は「カシオレー」と注文した。
「ラックって、なんでラックなの」とショウちゃんが椎名に訊いている。
「名前が楽美だから」オレは自分で答えた。
「椎名くんに話聞いてたからどんなんだよって思ってたら、ぜんぜんふつうだよね」ショウちゃんが言った。
「なんかもっとヤバめなのかと思ってた」おおた☆マリが言うと、
「山田みたいな?」ショウちゃんが受けた。
「山田ってだれ?」椎名が訊くと、
「うちの高校に、耳にピアス十個開けて停学になったコがいてー」
ショウちゃんとおおた☆マリは、いきなり左右の耳に五カ所ずつピアスを穿って登校してきた「山田」という女子の話をした。耳たぶは赤く腫れあがり、透明樹脂のシークレットピアスが食いこんだ周りに血が滲んでいたという。「まじキモかった」「まじ吐きそうになったんだけど」ショウちゃんとおおた☆マリは言い、けたけた笑った。
「山田」は以前にも突然金髪で登校してきたりで、すっかり校内のメンヘラキャラとして定着しているらしい。どうやら、椎名はオレのことを、その「山田」的な存在として説明していたみたいだ。
「てか山田、もう学校辞めるらしいよ」「はー? バカじゃん」そういう会話をしている女子ふたりを、オレは、死ねばいいのにと思いながら見ていた。「山田」がおまえらになんかしたのか? なんで椎名はこんなヤツ好きなんだろ。
 梅酒サワーを舐めながら聞いているふりをしていると、ショウちゃんが突然オレのキャップをひっぺがし、うなじの刈りあげを「ジョリジョリ~」と言いながら撫であげた。
「やめろよっ」
 思わずシリアスな声を出してしまった。女子ふたりはいきなり無口になった。ヤバイ。変な雰囲気になってしまった。
「ショウちゃん、ナンコツ揚げ好きでしょ? 頼む?」椎名はあからさまに機嫌をとろうとしている。
 別にオレ悪くねーし。いきなり身体に触ってくるとかキモいし。オレは意地でも取り繕うことはしないぞ、と梅酒サワーを呷った。
 数分後にはなにがきっかけか場は盛りあがり、雰囲気ももとに戻ってた。
 オレも椎名もあっけなく酔っぱらってしまった。
「ラックはさあー!」とおおた☆マリにいきなり馴れ馴れしく肩をつかまれても、もう不快ではなかった。
「実はかっこいいよね」おおた☆マリは言い放った。
「なんだそれ。黙ってろよ」
 多少スゴんでみたけど、無反応でおおた☆マリは続けた。
「目立たないタイプっぽいけど、よく見ると顔も整ってるし、てか、きれいな顔」
「ほんとう。女の子みたい」
女子ふたりにまじまじと顔を見つめられ、「うるせーな」オレはおおた☆マリをヘッドロックした。
「ヤバイー」ショウちゃんが携帯電話で撮りだしたので、椎名とふたりで変顔を披露した。女子ふたりは特有のキンキンした嬌声をあげている。
 ものすごく顔が熱くて身体がふわふわする。初めての酩酊。椎名はいつの間にかショウちゃんのミニスカートから剥き出しの太腿に頭を置いて、うっとり目を閉じていた。
「おーい、だいじょうぶー?」ショウちゃんの呼びかけにも、椎名は応えない。
「タヌキ寝入りだろ」オレが言っても、椎名は目を開けなかった。まじで酔いつぶれてんのか? オレは少し不安になった。
「今日、オレ、椎名のうちに泊まるんだけど、どうしよう」
「うち、そろそろ親が車で迎えに来るんだよね」
「え、親が?」
「そー。マリも一緒に帰るの」
「それってオレらも一緒に行っちゃだめなの?」
「うちの親、酒飲むのはアリだけど、男の子つれてくのはさすがにナイわー」
 親の庇護のもと酒飲んで、しかも言うことも聞いてるわけか。オレはいっきに興醒めした。
 しつこく「あとでLINEするね」と言ってくるおおた☆マリを無視し「いーからさっさと帰れよ」と女子ふたりを追い払うように帰らせ秒で「ショウコ」と「おおた☆マリ」をブロックした。
 ショウちゃんの太腿がなくなっても椎名は固い木の長椅子の上、まだ横になって寝ていた。女どもが残していったカルピスサワーを飲んでいたオレの前に、店のおじさんが湯呑を置いた。熱いお茶の白い湯気。
「女の子帰っちゃったのか。おまえらどうすんだ? 家どこだ? 汽車の時間だいじょうぶか?」
「自転車で帰れる距離なんで。しょうがないからこいつもうちにつれて帰ります」
 とは言っても母さんに見つかるわけにいかない。家を経由して鍵をこっそり持ち出し、ばあちゃんちに行くしかないか……。
「自転車気をつけろよ。この時期、パトカーまわってるから」
 それ以前の問題だろうと思ったが、ビビったオレは「ショウちゃんは?」と寝ぼけ眼でほざいている椎名に、「帰るぞ」と言った。

 十一時を過ぎたところだった。自転車を押して歩くオレの後ろを、椎名がふらふらついてきた。
「あー、まじでやだ。まじできもいぅオロロロロ」吐いた。「おまえよく、あんなふうに正直に言えるよな」そしてまたオロロロロ……。
「なにがだよもう。きたねーなー。まじでだいじょうぶかよ」
 自販機で買った水を渡すと、椎名は歩道に座りこんで飲み、うなだれた。
「自分が童貞とかよー。キスもしたことないとかよー。よく言えるよなー」
店でオレは女子ふたりに訊かれるままなんの経験もないことをぶっちゃけていた。ついさっきのことなのに、なんだか遠い記憶のようだった。
「だってしょうがないじゃん。ほんとうなんだから」
 言いながら立たせようと椎名の腕をつかんだ。ただでさえ家まで歩いたら三十分以上かかる距離、このままでは朝になってしまう。店のおじさんに言われたことも気になっていた。こんな時間、人気のない田舎の住宅地で座りこんでいれば、即職務質問だ。
「オレ、できねえ、おまえみたく、ほんとのこと、言えねえ。ショウちゃん、オレのまえにつきあってたヤツいたんだって」
 そう言って椎名はうううっと唸った。また吐くか、と身を引いた。っつーか泣いてんじゃん! そんなことで泣くのか? てか、そんなに好きなのか? あの下手な化粧のちんちくりんが?
「ショウちゃん、処女じゃねーんだよ」
 オレは椎名が女子と交際経験があるのを知っている。ペッティングとやらの経験があることも。それでも童貞は童貞なのだった。
「でも椎名は言う必要ないじゃん?」
「いつかバレんべ」
「バレたっていいべや。てか、黙ってればバレないんじゃね? タイミングとかあるし、とにかくあの場で言う必要はないよね」
「でも、ふたりとも、オレを笑ってた」
「はー?」
 なんなのその自意識過剰。聞いているだけで悪心が感染するようで、オレまで気持ち悪くなってくる。
「はいはいそうだね、おまえ包茎だしな」
 おざなりな相槌を打つと、涙目の椎名がしらけた声で言った。
「おまえみたいのが友達でよかったよ……」

 家の灯りは消えていて、皆寝ているようだった。オレは音を立てないよう玄関ドアを開け、ふらついている椎名を上り框に座らせた。
 ぱっと灯りが点いた。
「あんたら、酒飲んでたね?」
 現れたのは姉ちゃんだった。
 テンパったこどもふたりは、静かに佇む女ににらまれて固まった。
 姉ちゃんはふっと吹き出すと、
「とりあえず、部屋に行く前に風呂に入んな。匂いがすごいから」
 椎名は初対面の女の迫力に圧され、気持ち悪さも手伝いまっ白い顔をしている。姉ちゃんは怯える椎名の脇に首を入れ背負いこみ立たせると、そのまま風呂場へつれて行ってしまった。
 シャワーの音と、椎名のえづき声が聞こえてきた。
 リビングではソファに座ったオレが、仁王立ちの姉ちゃんに見おろされていた。
「友達の家に泊まるんじゃなかったの?」
「なんか、なりゆきでつれて来ちゃったから……。ばあちゃんちに行こうと思って……」
「あんな状態の子をつれて? どうやって? 歩いて行くわけ?」
 オレはおそるおそる、微かにうなずいて見せた。
「バカかよ。野たれ死ねよ」姉ちゃんは怒っているようだった。オレはにわかに身を固くした。と、姉ちゃんが鼻をくんくん鳴らした。
「酒の匂い、焼き鳥の匂い、それから、女の匂い」
 どうしてそこまでわかるんだっ? オレは驚いて姉ちゃんを見あげた。
「父さんにバレたら、たぶん、泣くわ」姉ちゃんはふん、と鼻を鳴らし、「あたしなんて初めての朝帰りのとき、バイタ呼ばわりされて泣かれたかんね。中学生の娘にバイタて、笑えるよね」
 オレは笑えなかった。姉ちゃんも真顔だった。
「あんた、寝る前の薬、飲むんじゃないよ。ああいう薬は酒入ってると危ないから」
 オレは「はい」と返事はしたが、そういえばここ二、三日、飲むのをやめていた。飲まなくてもぐっすり眠れていた。
 目が覚めると、床に目覚まし時計が転がっていた。三時間くらい経っていた。ベッドの上、椎名がガキ大将ばりに大の字になって占領している。オレは床で寝たため固くなった身体をゆっくり起こした。ドアのところに、オレと椎名の服が畳んであった。
 オレたちが寝ている間に、姉ちゃんが洗濯して乾燥機にかけ、部屋まで持ってきてくれたのだった。
 早朝の冷たい朝靄のなか、自転車の後ろに椎名を乗せて駅まで送った。無人駅の駅舎には誰もいなかった。
「ラックの姉ちゃん、超いい人じゃん。かわいいし」
「そうかー? ああいうの、かわいいって言うかー?」
「……てか、姉ちゃんいたんだ」
 オレは友達に姉ちゃんの話をしたことがない。なので高校で初めて知りあった友達は姉ちゃんの存在を知らないのだった。
 まだ具合の悪そうな椎名は「今日補習休むわ」と始発に乗って帰っていった。
 オレはそのまま自転車でばあちゃんちに向かった。もともとそのつもりでばあちゃんちの鍵を持ってきていた。
玄関扉を開いた瞬間、なにか、不自然な感じがした。昼間よりずっと静かなのに、誰かがいるような気配。
 見慣れない早朝の薄暗さのせいだ。自分に言い聞かせ、台所に行って水を飲んだ。
 ガサッ……。
 物音に振り返ると、昨日仕分けた段ボール箱があるだけだった。
 だいじょうぶだべ。いるとしてもばあちゃんかじいちゃんのおばけだべ。思いつつばあちゃんちを飛び出していた。
 仕方なく帰ったオレに、母さんは「あれ、椎名くんの家から直接学校行くんでなかった?」と言っただけだった。
 姉ちゃんは澄ました顔をしてキッチンでコーヒーを飲んでいた。

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