【連載小説】ノイズ(仮) 第十一回


自分のことは棚にあげ品評してしまうのは仕方のないことだ。頭のなかは、誰にも支配できない無法地帯なのだから。
オレは、ビニ本を見ている佐々に興奮したのだ。

   **

 俺を裏切ったふたりの事、どうしてやろうかとじっくり考えています。
 釧路で風俗女を拾ったなどと俺をお人好し呼ばわりした奴らが居たが、まったくその通りだったと言う事でしょう。
 それにしても、俺が出たら、どうなるか考えなかったのでしょうか?
 俺がどんな人間かわかっていれば、逃げても無駄なのは承知のはず。

 家族を作りたいとエナは言っていた。ずっとひとりだったから、俺と一緒になることで、やっとそれがかなえられて、うれしいと言っていた。俺にはエナの言っていることがひとつもわからない。俺の服役中にガキを産むのは間が悪いからおろせと言ったが、シャバにいたとしても同じこと。ずっとひとりだったからこそ、家族を作ることになんの疑いも抱かないエナがわからない。家族になることで幸せになれると考える女の単細胞だ。

   **

 気づいたのは、姉ちゃんが東京に帰った次の日、納屋で作業しているときだった。
 あの男からもらった名刺とDVDを隠したセカンドバッグが、記憶とは違う段ボール箱に入っていた。ガチでおかしい。奇っ怪だ。
 奇っ怪なことは納屋の整理にとりかかってから、顕著になってきた。毎日なにかが移動しているような感じ。誰かがいるような気配。ときどき目の端に映る閃光……。そのたびに、出るとしたってばあちゃんかじいちゃんのおばけだと自分に言い聞かせてきましたが、基本そっち系は受け付けないのです。
 作業用BGMのCDラジカセを止める。今日に限って雑木林から蝉の大合唱がない。納屋の屋根裏は薄暗くひんやりしている。背筋が寒くなってくる。
 整理途中の段ボール箱をそのままに、DVDと名刺の入ったセカンドバッグをひっつかむと、飛ぶようにはしご段をおり、納屋から出た。いきなりの白い陽に目が眩み、
「お手伝い、必要ないですか?」甘苦く低い響きを思い出した。
 この瞬間、自分への言いわけができたのだった。
 オレは台所の床下収納から梅酒の瓶を取り出すと、グラスに氷を入れ、梅酒を注いだ。溶けだした氷の透明と梅酒の金色がグラスのなかでマーブル模様に対流していた。いっきに飲むと、冷たく甘い感触が喉を通って胃袋の形に収まった。
 バッグから男の名刺を取り出した。『佐々 聡作』の文字。見つめるだけで脇から汗がじゅっと漏れた。
 もう一杯、梅酒を呷った。
リュックから携帯電話を出し、名刺のmobile phoneとある番号にかける。コール音に鼓動が速くなる。
「もしもし」
憶えのある声に、オレの緊張は頂点に達した。
「あ、あのっ!」声が裏返ってしまった。「あの……。久野早季の、孫です」
「あー、ははっ、誰かと思った」声が軟化した。「どした?」
「ばあちゃんの家の掃除やっぱ手伝ってもらえませんかっ?」オレは一息に言った。
「いいよ」
 携帯電話が手汗でぬるぬる濡れてきた。男の体温が伝わってくるようで、熱い。
 何時からはじめるか、必要なものはないかと訊かれ、しどろもどろになっていると、「じゃ、とりあえず明日、昼すぎに行くから」ということになった。
 人生が動いていると感じた。全身の血がぎゅんぎゅん巡った。 
 ……オレは、完全に酔っぱらっていた。

 翌日、ほんとうに男はやってきた。
 小川に架かるコンクリ製の橋で待っていたオレは、遠くに男の車を認めると大きく両手を振り、車を納屋の前に停めるよう誘導した。
おりて来た男を見て、叫んでしまった。
「なにそれっ?」
 男の顔は、鼻から下が赤く腫れあがっていた。ただでさえ厚い唇がさらに分厚くなり、発情期のメス猿の尻みたいな色になっている。
「いや、間抜けな話、昨日ちょっと、酔っぱらって転んださ」
 開きづらい口で舌足らずの男は、右手には包帯まで巻いていた。
「まじで? 派手に転び過ぎでしょ」オレの心配をよそに、
「さ、はじめようか」と男は軍手を嵌めた。
「あの、仕事はいいんですか?」オレは自分でもどうかと思うくらいおどおどしていた。「いいのいいの」男は軽く応えた。
「じゃ、なにしようか?」
 納屋の屋根裏に案内し、作業の段取りを説明した。そこで男は「ごめん」と言い、
「名前、聞いてなかった」
「沢木です。沢木楽美」
「らくみくん?」
「ラックでいいです。なんか、みんなそう呼ぶんで」
「わかった。念のために訊くけど、わかるよね?」と、男は自分の胸のあたりを指した。
「佐々さん?」
「そう。言いづらいだろ」
 佐々は、オレが選り分けたものたちを次々と外に運び出した。
途中、「そういえば」と佐々が言った。「おばあさん、なんかペットとか飼ってなかった? アパート借りてた親戚がさ、一時期預かってもらってたらしいんだよね」
 初耳だった。だいたいばあちゃんは、畑を荒らすからという理由で動物の類は好きではなかったはずだ。
「まあ、大昔の話だから、もう死んでるとは思うんだけど」
「それっていつの話ですか? 犬とか猫とか?」
「さあ……、知らないんだよね」作業の手を止めずに佐々が答えた。そして、「知らないならいいんだ」と言った。
 今日は作業用BGMをかけなかった。黙々と作業していると、なにか話さなきゃ、と焦れた。
「いままでひとりで作業してたんですけど、ときどき、妙な感じがするんすよ」
「へえ? こわい話?」
「ちょっと違くて、なんつーか……」
 オレは自分から話をふったくせにやめてしまった。たしかにものが移動していたり、視界の隅に変な光を感じたりはするけれども、だけれども! ヒトにそれを話すのはどうなんだろう? 佐々に話して変に思われるのがいやだった。いま、ふつうに接してくれる佐々との時間を壊したくなかった。
 佐々は「なんだよ?」と言ったが、それ以上訊いてこなかった。
 再び黙って作業を続けていると、突然、下のガレージからエンジン音が轟いた。はしご段の架かっている床穴から覗くと、佐々が草刈り機を動かしていた。
「そんなのどこにあった?」
「そこ」と佐々はいろいろな農機具がかたまって置いてある一画を指した。
「なんだ、苦労して鎌で草刈る必要なかったよ」
「あそこらへん、まだぼうぼうに草残ってるけど」
 佐々が草刈り機の回転刃の先をもとは畑だった部分に向けた。
「あそこは、宝の山だから」
「宝?」佐々が仰いでこちらを見た。
「や、大したアレじゃなくて。雑草の下に、苺とかアスパラとか、食えるもんがいっぱいあるんすよ」
 佐々は宝の山のほうを見ながら言った。
「ラックは、どうして掃除してるの?」
 どうして。退屈な夏休みから逃げるため、だろうか? だけど言いたくなかった。長い話になるし、どっから説明していいのかわからない。佐々に話して少しでも引いたそぶりをされたら、オチる。
「ばあちゃんが好きだったから……」無難に答えてみた。
「そうか。ばあちゃん子だったんだな」
 佐々の言葉にほっとした。いまはそれでいい。
 佐々が作業に戻ったのも束の間、
「うお! ほんもののお宝発見!」
 大声にビクッとなった。見ると、佐々が冊子のページを広げてこちらに向けた。曲線でできた裸体が迫ってきた。
「ビニ本てヤツ? すげえ年代もの。うわ、これなんか洋ピンじゃん」
 建材が剥き出しの低い天井の下、腰を折った姿勢のまま佐々が熱心にビニ本をぺらぺらめくるのを、オレは横目で見ていた。原色と古くさいデザインフォントで構成された安っぽい紙面。振り切ったダサさは、ひと昔まえを模倣したポップアートのよう。
 佐々はオレがまだ中身を確かめてない段ボール箱を開けて見ていたのだった。勝手に開けて、そんなもん見てんじゃねーよ。面白くない、と顔を逸らすと、
「ほら」佐々が押しつけてきた。
 なにがどうなっているのか? わからず目を凝らす。大写しの接合部。オレは反射的に身を引いた。佐々は気にもかけず見ている。
「おお。すげえ。ブスだなー。えっぐー」
オレは背中を向け、作業に戻った。
「こないだのDVD見た?」
「あー……」オレはてきとうに声を洩らしただけだった。
 佐々はビニ本を段ボール箱に戻すと、やっと作業に集中した。
 男手がひとり増えただけで予想以上にはかどり、屋根裏は早々にすっきりした。大量に出た古紙や段ボールは、佐々が車で収集所まで運んでくれることになった。それらを車に積めるだけ積むともう夕暮れどきで、肌寒い風にさみしくなってくる。
「次はいつにする?」
「え?」さみしさがふっ飛んだ。
 驚いているオレを見て、佐々は拍子抜けしたようだった。
「あれ、もう、手伝いいらないの?」
「オレは毎日、昼ごろから来てるけど……」
「じゃ、明日もこんくらいの時間で」
「ちょっと待っててください!」
 ダッシュで家に入ると、冷蔵庫からプリンと、母さん直伝の苺をつぶしたのを出した。早く早くと気が急いた。皿に盛り付けグラスに注いだ麦茶とともに盆に載せ、慎重に運んだ。
 差し出された佐々は、
「もしかしてこの間のプリン?」と、さっそく一口食べた。
 オレは佐々の反応を逃すまいと見つめた。もしかしたら、にらみつけているようだったかもしれない。
 と、佐々は顔をしかめた。口のなかの傷に沁みたようだった。
「すんません! 無理しないで残してください」オレが盆を引っこめようとすると、佐々はいやいや、と小さく首を振り、
「うまいじゃん! 苺のソース? 作ったの?」
 言いながら、あっというまにプリンをかっこんで麦茶を飲み干した。細い顎にアンバランスな大きな口、覗くふぞろいな歯並び、スプーンが小さく見える大きな手、筋張った腕、飲みこむたびに転がる喉仏。自分のことは棚にあげ品評してしまうのは仕方のないことだ。頭のなかは、誰にも支配できない無法地帯なのだから。
「ごちそうさん」
 佐々の赤く腫れた唇の端に、傷口から滲んだ血か、苺のソース。
 空の皿とグラスの載った盆を持ちオレはまた、仕方のないことだ。自分に言い聞かせた。
 佐々が帰ったあと、片付いた屋根裏の床をデッキブラシで磨いた。足元もおぼつかないほど暗いなかひとりでこんなことをしていると、現場からずらかる前、痕跡を消す殺人犯みたいだ、と思った。執拗に磨く。起きたことをなしにするために。自分を騙すことはできないのに。
 なにもかもきれいにして隠したい。
 オレは、ビニ本を見ている佐々に興奮したのだ。

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