【連載小説】ノイズ(仮) 第十三回

手に取った写真の肉体は、オレが触れたいと思ったそれとは決定的に違っていた。
脳味噌がむずがゆくなるような感覚。もう少しで答えに行きつきそうな……。


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 あのあばら家で一生を終える。欲長けず望まなければ、人生には何度だってやり直しがきく。生きていればいい。
 ム所に面会に来たあんたがそう言ってたのおぼえてるか?
 何があばら家だあんな立派な家でそこら土地持ちが、欲長けず望まずなんて笑わせるな。仮釈のためにこっちがへりくだってやってるのも気づかないで、説教のつもりか? 見下してるんだろ! 
 あんたが俺になにを期待してたか言ってやろうか? 早々に旦那に先立たれて、さみしい思いをしてたんだろ。持て余してたんだろ。でなきゃ、赤の他人の身元引受人なんてなるわけないだろうが! 

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二.ついに手紙とのカイコウを果たしたオレはたまらなくたまっていった


 カッターで亀をバラしていた。
 縁側の窓を閉めきった居間は、CDラジカセから流れる大音量の音楽に満たされている。オレは亀に刃をあてながら、早く、もと通りに、ひとりの時間を取り戻したかった。
 五円硬貨の穴に糸を通しいくつも繋げて作ったその亀は、店子が置いていった荷物のなかから出てきた。金モールを織りこんだ糸は意外と丈夫で、オレはカッターの刃をじりじり押しあてながら、
 佐々はもう来ないかもしれない。
 と考えていた。
 補習を終えて家で着替えて来ると、すでに佐々の車はなかった。午前中に取りに来たのだろう。玄関フードに、昨日外の水道で野菜を洗ったときに使ったざるやたわしが、きちんとまとめて置いてあった。思い知らされた。オレなんて、ほんとうにただのこどもなんだ。もとに戻っただけ、佐々がいた二日間が非日常だったんだ。昨夜、佐々が、うん、とうなずいて飲んだワインはほとんど残ったままだった。
 ぎっちぎちの結び目を断ち切りバラし終えた亀の残骸は、数えてみると千円にもならなかった。この程度の額でどんな良縁を期待したのか。
 オレは昨日まで佐々とやっていた作業の続きにかかるため、CDラジカセを持って二階の四畳半へ行った。
 和箪笥の抽斗を開くと、畳紙に包まれた和服が重なっていた。着物はあとで母さんに訊いて整理してもらうことにしよう。と、抽斗を点検していた手が止まった。
 整然と重ねてある白い畳紙の間から、薄茶色いものが覗いている。抜き取ってみるとそれは、口を紐で閉じた大判の書類封筒だった。
 さんざんそこらのものを独断でゴミかそうでないか分別していたくせに、なぜかオレはためらった。書類封筒は封印を解かれるのを待っているようだった。中身が知りたくてたまらないのに、こう積極的に来られるとためらってしまう。
 さっきまで晴れていた空は暗くなり、生ぬるい風がつれてきた雨がぱたぱたと畳を叩きはじめた。二階の窓を全部閉めたとたん、音楽が耳触りになった。
 ラジカセを止める。
 雨が屋根を打つ音だけがする。
 誰もいない二階の四畳半で正座する。
 目の前のものと対峙するお膳立てが整った。
 書類封筒の演出だと思った。
 身を委ねたオレは口紐を解き、逆さに持ちあげ、中身を畳の上にぶちまけた。
 それは、人間の肌が面積のほどんどを占める写真だった。
反射的に目を背けながら、まてまて、なんでばあちゃんがヌード写真をしまいこんでるんだよ。オレは、ふっと過剰な自分を嘲い、散乱している写真たちに目を戻した。
 一枚の写真に囚われた。
 はだかの男の上半身。肩から肘の、赤や青。びっしり入った刺青。その上に載っている顔。
 佐々さん! 
 なのに手に取った写真の肉体は、オレが触れたいと思ったそれとは決定的に違っていた。胸や腹周りに脂肪がまとわりついた、若さのない身体つき。よく見れば、佐々よりはっきり老けがわかる顔つきをしている。まるで佐々の十数年後のようだ。笑みなのか眠いのか、どこを見ているのかわからない目つき。薄気味悪さに写真を抛ると、ついっと空を切り散乱したなかに落ちた。墨の入った背中や腕、何枚もの写真たちは、被写体となった男の刺青を写すために撮ったようだった。
 同じく上半身を真正面からとらえた構図、別の男の写真があった。やはり肩から肘まで刺青が入っている。顔はまったくの別人だが、精悍にしまった身体つきや雰囲気は、佐々に通ずるものがあった。
 こいつら誰? なんの写真? なんでばあちゃんが? なんで和箪笥から? 立て続けに「?」が浮かんだ。
 皺だらけでくたびれた書類封筒はまだ重みがあった。なかを覗くと、札束……? そう見えたのは、紐で括られた紙の束だった。奥にもなにか見えるがよくわからない。封筒の外側から感触を確かめる。固い、皿?
 なにかわからないものを取り出すために書類封筒に手を突っこむのはこわい。なのでもう一度、逆さにした。
 バサリとまとめられた紙の束が落ちた。
 さらに、コトッ。軽い音をさせて散らばった写真のうえに転がったのは、掌大の白い瀬戸物の、皿……?
 浅い内側をうえにして静止したそれに、オレはおそるおそる手を伸ばした。
 裏返すと、丸い糸底のなか、朱の筆文字で『寿』とある。
 糸底を挟んで左右に黒の筆文字で『平成六年』『十二月吉日』
 同じく上下に横書き黒で『兄 明石多果夫』『弟 佐々満』
 初めて会ったとき佐々は言っっていた。
「おばあさんがやっていたアパートあるでしょ。昔、親戚が部屋を借りていたんです」
 脳味噌がむずがゆくなるような感覚。もう少しで答えに行きつきそうな……。
 紐で括った紙の束を手に取った。ばあちゃんに宛てた葉書や手紙、封筒の束。ためらいは消えていた。
 最初の手紙の書き出しはこうだった。
『前略
  不躾ながら突然のお手紙お許し下さい。
  私、明石多果夫、平成九年六月二十日に傷害で逮捕され――』

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 言っておく。お前も共犯だ。
 佐々をかばい俺だけが実刑を食らったのを知っているくせ、それを黙っているのだから。借りてる部屋が盗品の保管場所だという事もとっくに気付いてるはずだ。
 値の張る椎茸の苗木を盗木しに山に入った話をしたとき、いつかご相伴にあずかりたいとか言って笑っていたが、もう佐々あたりがどこかで金に換えているだろうから残念だったな。
 けど、俺があの山で手に入れたあれだけは違う。金に換えられるような代物じゃない。
 とにかくあんたは、俺が戻るまであれをきちっと預かってくれるだけでいい。血縁や恩も関係ないただの共犯者なのだから、自分のためにもきっちり保管しておけ。

 いいか、光るあれは、とにかく守れ。

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