【連載小説】ノイズ(仮) 第七回

オレが語るのならそんなのではない。少なくとも、いまは語りたくない。おいそれと語れない。語れないものに好きだの恋だの、そんなストロングな言葉を充てるのは恐れ多い。正直、おまえよく平気でそんな話、と思う。


 今日から補習授業がはじまる。一学期の期末試験で派手に成績を落としたせいだ。制服を着てリビングにおりると、「はい、これ」と姉ちゃんが弁当箱を差し出してきた。
「午前中で終わるし。昼はうちで食うから」
「えっ! そうなの?」
 姉ちゃんは弁当箱を宙に浮かせたまま、自分は高三の冬休み終日補習授業を受けていたと、ぶつぶつ独り言のようにつぶやいていた。
「帰ってきてから食べるから。ありがとう」
 なにも知らず弁当を作ってくれた姉ちゃんへ、自然と言葉が出た。
 自分の口から出てきたのが嘘みたいだった。
 言われた姉ちゃんも意外そうな顔をしていた。一瞬目が合った。姉ちゃんが嬉しそうに笑った。オレはあわてて目を逸らした。
 危なかった。笑い合うことはまだできない。オレは真顔が崩れないように意識しながら「行ってきます」と家を出た。
 夏休みの教室はなにかが変だった。
 いつもより人数が少ないとか、違うクラスの生徒が混ざっているとか、そういうことじゃなく。オレに触れないようにしている級友たちの態度も夏休み前と変わらない。ボウズ頭になったのを、お? と見るくらいで、誰もオレに「おはよう」を言わない。そんなもんではなく、とにかくなんか変。
 気づいたのは授業がはじまってからだった。教室には、オレの携帯アドレスにも名をつらねる、かつてはいつもつるんでたヤツらもいるのに、椎名だけ、葡萄の房からぽろりと一粒転げ落ちたみたいに、まったくひとり離れた席で窓の外を見ているのだった。
 と、椎名が振り返り、こちらに目配せしてきた。なんだ? 思ったが、オレはすぐに配られたプリントに集中した。
 補習が終わり、さっさと帰ろうと駐輪場で自転車にまたがったとき、遠くから椎名がこちらへ小走りで来るのが見えた。
 向こうのほうで、つるんでいたヤツら数人がこちらを窺っていた。ウカガッてんじゃねーよ気色ワリぃ。面倒くさい予感。
「今日、なんか用事ある?」
 追いついた椎名が訊いてきた。帰ったらいつものようにばあちゃんちに行く。だけど、「なんも」と答えた。
「マック行かね?」椎名が言った。
「あー」あいまいな返事をしただけでオレたちはショッピングモールへ向かった。玉子を買いに行って椎名と出くわした巨大ショッピングモール。ここらには高校生が立ち寄るところと言ったらそれぐらいしかない。オレがぼっちになる前は椎名含めヤツらとの王道コースだった。
 自転車を二ケツで走っていると、後ろの椎名が言った。
「髪、切ったんだな」
「ああ、うん、ボウズ……」
「涼しくていんじゃね?」
 大通りに出たところで椎名がおりた。
 自転車を押すオレと並んで歩く椎名はショッピングモールに着くまでなにも話さなかった。ので、オレもなにも言わなかった。
マクドナルドでバーガーセットを買ってフードコートの席に着いたところで、やっとオレは訊いた。
「なんで椎名がハブられてんの?」
 教室や駐輪場でのヤツらの態度は、髪を切ったときのオレに対する遠巻きにただ様子を窺う感じと違った。あきらかな敵意や悪意を醸していた。
 椎名はテリヤキバーガーをもぐもぐしながら、ぼそぼそ話しはじめた。
 発端は一学期の終業式のあとのカラオケ合コンだった。知らない固有名詞や呼称の女子が何人か出てきたが、てきとうに受け流して聞いていた。つまるところ、その合コンで目をつけた女子が椎名とカブったヤツがいたと。で、椎名がその女子に、みんなで花火をした日に告白し、つきあうことになったと。それを抜け駆けだ卑怯だと非難されて、こういう仕打ちを受けていると。面倒くせーの極致じゃねーか。オレを巻きこむんじゃねーよ。
「それって椎名が悪いの?」いちおう訊いてやった。
「さあー。知らね」椎名は言ったあと一拍あけ、
「でもさ、オレがやんなかったら、やられてたことだろ? どっちみち、どっちかが選ばれるしかねーじゃん。早いもん勝ち、やったもん勝ちだろーがよー」
 勢いこんでまくし立てる欲望丸出しで理性の欠けた貌。昔話でつづらを独り占めしようとしたいじわるババァみてーだ。強欲ババァのつづらのなかには魍魎が詰まっている。蓋を開けてはいけない。原色のmothやwormがうごめいている。オレは目の前の食いかけのハンバーガーの断面から「ミミズバーガー」という都市伝説を連想し、気色悪さに閉口した。
 すると椎名が吐き捨てるように言った。
「おまえにはわかんないか」
 言い方は失敬だがその通りだった。
 オレが語るのならそんなのではない。少なくとも、いまは語りたくない。おいそれと語れない。語れないものに好きだの恋だの、そんなストロングな言葉を充てるのは恐れ多い。正直、おまえよく平気でそんな話、と思う。
思いながら固いシェークを頬がこけるほどストローで吸いこんでいると、カシャッ。籠った機械音。椎名が携帯でオレを撮っていた。
「なんだよ」携帯電話を手で払うと、椎名は「ショウちゃんに送っていい?」と、指先で画面を操作している。ショウちゃんとは、椎名が抜け駆けした(とされている)女子の名だった。
「はー? なんで」
「ラックのこと見たいっつってたから。でもおまえ、もうふつうにボウズだからなー」
「そうやってかげ口言ってたんだべ」
「ちがうって」椎名はへらへら笑っている。
「消せや。ショウゾウケンのシンガイ」椎名から携帯電話を奪い、オレは自分の画像を消去した。と、見つけてしまった。椎名は無邪気に「あ、それショウちゃん。かわいいしょ」と言った。楽しそうに花火をしている男女の画像。
 目の当たりにするとあっさりオチていく。なのに見るのを止められない。楽しそうに輝く、見知った連中の笑顔。見入ってしまっていたオレに、椎名が言った。
「おまえ、最近なにしてた? なんか陽に焼けてね? どっか行ってたの?」
「んー。べつに……」
 ばあちゃんちの掃除、とは言わない。言いたくない。
オレから携帯を取り返した椎名が、つまらなそうに言った。
「おまえはひとりでも平気だもんな」
 平気なわけない。でもどうしていいかわからんし、そういう自分でもわかんないことを口に出してヒトに聞いてもらうなんて、やっていいことだと思えない。だいたい、言葉で説明できるなんて思えない。それができるなら……。
 言葉が出ないオレを見て椎名は、
「いいけどさー。どうでも」あきらめたようだった。
あきらめなんなバカヤロウ! もっと掘りさげろよバカヤロウ! それにつきあえバカヤロウ!
 オレは自転車をかっとばす。バカヤロウバカヤロウ! 家に帰ると、姉ちゃんと貫井さんがいた。なにやってんだこいつらいつまでいるんだいい加減にしろよバカヤロウ! オレはキッチンに寄って姉ちゃんが作ってくれた弁当を持って二階の自室へ行き弁当をかっこんだ。甘い玉子焼き母さんのと違う味の知らない家の味の弁当バカヤロウ! 満腹バカヤロウ! しばらくベッドに横になったけど、大人しくしてられるかバカヤロウ!
 制服を脱ぎ捨て、ジャージのハーフパンツとTシャツになると、スニーカーで家を飛び出した。
 リビングの窓から、姉ちゃんと貫井さんがオレを見ていた。こっち見んなバカヤロウ! もうすぐ結婚するふたりに見送られ、オレはめちゃくちゃに走って遠くに行きたかった。
 オレは走った。バカヤロウバカヤロウと走った。一歩一歩、全身の肉が震える。すぐ息があがる。満腹で走ったため下腹が痛くなってくる。おさえながら走り続ける。こめかみがどくどく脈打っている。幹線道路の地平線の向こうに、紺色の夏の空が広がっていた。
 オレのそばを大きなトラックが追い越していく。
 腹痛ぇしうんこしてぇ。だけど背筋を伸ばして風を感じると、少しだけすっきりした。
 けど気のせいかもしれない。

   *

久野 早季 様

拝啓
 立春を過ぎたのも暦の上だけ。まだまだ寒さ厳しい毎日ですが、お変わりございませんか。
 手紙の受け取りを拒否していたエナですが、身元引受人の件で保護司が調整に行ったところ、すでに引っ越したあとで会えなかったとの事。書類提出のためにも新しい住所を突き止めなければならないのですが、それも弁護士を通して断られました。
 やはり早季さんに身元引受人になって頂くしかない様です。
 仕事で世話になっていた人間に頼もうかとも思いましたが、職業等いろいろ条件がある様で、早季さんの方が仮釈もしやすいとの事です。
 数日内に保護司がそちらに伺うかと思いますが、右、ご承諾頂ければ幸いに存じます。
 文末ながら、時節柄御身おいたわり下さいます様。
                                       敬具
平成十年二月二四日
                        明石 多果夫

   *

 朝、オレと椎名は補習の教室で会っても、軽い挨拶をしただけだった。
午後は予定通りばあちゃんちへ向かった。CDラジカセから作業用BGMのやかましい音楽が大音量で流れるなか、鍋や調理道具を、ひとつひとつ丁寧に洗っていく。食器はほとんど捨てることになるのだから洗う必要ないと母さんから言われていたけど、オレはすべてきれいにしたい。
 食器洗いにひと区切りつけ、居間に積んだいくつかの段ボール箱を開けてみた。薄暗い納屋の屋根裏がなんとなくいやで、数日前から少しずつ移動しておいたのだ。
 箱の中身を仕分けていると、不自然に膨らんだ黒い革財布が出てきた。
 なかにはカード類がぱんぱんに詰まっていた。数枚しかないキャッシュカードは、よく見るとすべて名義人の名前が違った。その他ほとんどがスナックやキャバクラのホステスの名刺だった。
 二つ折りにしたピンクの厚紙でできた『警察手帳』を開くと、
『COSTUME CLUB セクシーポリス 担当刑事 エナ』
とあり、その下に手書き文字の『また来てね♡』。
 コスチュームクラブ……。担当刑事のコスプレ……? デカに制服ってあるの……? 担当デカのコスプレとは……? 想像しかけて空しくなりすぐにカード類を集めて黒い革財布に戻した。
 と、作業用BGMの隙間から電子の余韻。
 革財布を箱に抛り、リュックから携帯電話を出した。久しぶりで空耳かと思った余韻は着信音だった。画面に椎名からの着信履歴。すぐバックしようと画面に指を滑らせると、今度はLINEの通知が入った。
椎名「今夜ひま? 飲み行かね?」
 返信せず、帰り支度をはじめた。

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