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私の思う学ぶということ

昨日は、算数の学習そのものが苦手なクラスの授業でした。
唯一、教える事のあるクラスです。

とはいえ、基本的に自分で考えてもらうのは同じ。
それぞれが自分ではつなげられない部分を補助しています。

子どもの分からないの背景

文章の意味が分かっていることと、数字がどのように変化しているかを見れているかは別です。

例えば昨日は、
①りんご10個の重さをはかったら〇kg、5個食べた後の重さを計ったら△kgと言われたら、食べたから減ったというのは分かる。
(実際の問題はもっと状況や数字が複雑です。)

②でもはかりの上に10個乗っていたものが今、5個しか残っていないこと。〇ー△が、りんご5個分の重さである事は分からない。
③ 「②」が分からないし、りんご1個あたりの重さをどうしたら計算できるかも分からない。

という状況でした。

この時、お子さんは
実体験不足な場合や、文章と経験をつなげるのが苦手な場合、割り算の概念が理解できていない場合などがあります(もっと細かく分けられる)。

全部があてはまる時もあります。

 この状況で子どもが問題を解いてと言われても、①の食べたから減ったというのは分かる、の時点で思考が止まります。だって戦える知識も状況整理力もないのだもの。プールを提供されて、泳ぎ方を開発してくださいと言われているようなものです。

 その中で自分なりの方法を見つける事ができる子もいます。
でも、できない子もいる。そしてできない子はずっと学校や宿題やその他もろもので、できない自分を周りと比較してしまう。
文字通り絶望してしまって、やる気が全くでなくなってしまうこともあります。

一方で解き方を教えても、その時分かった気になったとしても忘れるし、次回、自分でできない。覚えられる子でも、ここにお皿が1枚入るととたんに混乱するでしょう。外国語の会話文の丸覚えと変わらないから。

それぞれにスモールステップをつける

 でも1問をひたすら、実際のはかりや具体物を使って考えてみたり、
その状況と目の前の文章とつなげる手助けを一緒にすると、
五里霧中だった目の前が、急に障害物競争に変わります。

しかも、自分で障害物を作って出す順番も自分で考える特別な自分だけのレース!

どんな障害物を作ろうか、次にこの障害をどう乗り越えたらいいのかな?と思考が具体的になります。それをさらに数式ではなく、具体物(絵や図)を使って考えてみるというのをすると、「具体的に考える」の練習が積まれていきます。

霧を晴らして障害物を作ることに切り替えるのって時間もかかります。
つながっていないことをつなげていくのは時間がかかる。

けれど試行錯誤していくとそれは障害物ではなく、道を作ることに変わっていく。

それをやっている子ども達は本当にすごいです。

大人がしていること

 子ども達がしているのは、自転車の練習と似ています。
どうやってバランスをとろう、漕ぎ続ける練習、回転のスピードはどうしよう、持ち手をどう使えば方向が思い通りになるのか、全部初めて。自分で複数の感覚を同時に使いこなさないといけません。

自転車の練習って何度もチャレンジしたり、後ろを持ってもらって漕ぐイメージです。人によっては乗る練習が嫌でしょうがなかったのではないでしょうか。
でも、幼児期にストライダーでバランスを取る練習ができていると、同時に試行錯誤する項目が減って、結構簡単に乗れるようになります。

できると思えば、自分自身に期待できる。だからこそやってみようと思える。私が行っている教えるサポートはそう思ってもらえるようにする、ストライダー的なものです。

でも、一度苦手意識を持った子に「ストライダーになるよ!」といっても乗ってくれません。ストレスフルな状態で、自分の本来の力が発揮できない状況です。しかも自転車練習に必要なバランス感覚が育ってなかったりするんです(比喩)。

 授業を聞いても分からなかった事、宿題をしても分からなかった事、親に説明されても分からなかった事、公文やそろばんに行っても分からなかった事を、自分で解けるようになろうっていうのは、本当に大変だと思う。

 それでも子ども達は、最初は色々発散することもあるけれど、「疲れた~!ちょっと休憩」とか「も~難しい!今日はここまでで終わりたい!」なんていいながらも、その1問を理解するとろまで一生懸命取り組みます。

たった1問なのに「頭がめちゃくちゃ疲れた・・」「お腹が減った~~~~!!」ってなるくらい、頑張っています。

 今までつるつると滑り落ちていた、授業、親の説明、習い事先でしていることなどなどがひっかかるフックを自ら作ろうとしている。

低学年から来てくれていたら・・と思わずにいられない子もいるけれど、
ここで本人が頑張って手に入れたものは、汎用性があるものばかり。

 昨日はみんなそれぞれの部分で頑張っていて、言語化はできない感動を感じた1日でした。
子どもは、「自分のペースで学ぶんだ。学べる。」と思えた時から、本人が見えているものが変わる。
そう、私が思っている根拠は、子ども達のこの様子を見ているからなんだろうなと思います。

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