小学生が現金を触らない場合、なにで日常と数字をつなげるのだろう

久々の算数ネタです。末っ子男子は1年生。
算数は繰り上がりのある足し算を経て、引き算や筆算に入りました。
計算はできる。でも暗算すると1ずれることがちょこちょこある。
これって頭の中で何が起こっているのだろう?
と思い、筆算を一緒にしたところ筆算をすると1ずれることはなくなりました。頭の中であやふやだったことがすっきりしたようです。

ところで算数教室に通ってくれている1年生を見ていると、
「位があがる」「位がさがる」という感覚がどうしてもピンとこない子がいます。とてもすこやかに育っていて話も分かりやすいし色々なことが気が付くしっかりしたお子さんです。
けれど減らすことと引き算がどうしてもつながらない。様子を見ているとサクランボ算ができない。個人的には繰り上がりが分かっていたら計算方法は自由と思っているのですが、その子の場合は10の繰り上がりがピンときていないようでした。
もう少し詳しく見てみようと、1円玉と10円玉を用意して一緒に体験遊びをしようとしたところ、10円玉と100円玉の区別がつかない。

色々みた結果、位がそもそも分かっていないことを発見しました。
ちなみに彼女は足し算の計算式はできるのです。

試しに①円を16枚用意し、全部足したら何円?と聞いてみました。
順番に数えていくと答えが出ました。
でも10個にまとめて10円をつくると答えが出せません。

位について言語で説明してもピンと来ないので、
ここ最近は実際のお金を分解したり、合わせたり、同じことを紙ベースで行ってみたり色々体感と紙ベースをつなげてつつ、一緒に色々遊んでいます。

今回のことを通して日常で何が足りないのかをお子さんの様子や親御さんからヒアリングしたことをもとに考えた時に、純粋に数字に普段触れていないのが原因と思い至りました。
体感と数字を同時に体感できるのは、お金やゲームの点数、お菓子を分けるなどでしょうか。その中で断トツで今減少傾向になるのは現金を扱うことのような気がします。
現金を使わなくなるということは、今後実物を見ずに単位を理解しないといけなくなるということ。0から先生の話を理解する必要があるということです。

同様に環境が影響しているのは「割り算や分数」です。
一人っ子が増えて「分ける」や「差」を日常的に意識しないことと相関関係があるかもしれません。

等分に線を引いてをお願いした時に「適当でいいじゃない」と偏った線を引く子ほど、答えにたどり着けないというのは、体感ベースで感じています。

割り算の意味が理解できないとか、割り算の意味は分かるけど筆算のやっていることの意味が分からずどうしても手法が覚えられない(なんで引くの。なんで掛け算するの?)という子がいます。

公文などで計算がばっちりな子が教室に来て割った数が何を表しているのかが理解できておらず、状況に合わせた式が立てれなかったり、計算して出た答えは1人分なのに必要な答えが出たと考え、人数分かける必要があるのにしなかったり。

いずれも実際にものを分けながら筆算してみると、なぜ引くのかが分かるし、自分が出した答えが何を指しているのかわかることが多いです。

体感と計算をつなげていくことがとても重要です。
でもそれは今後どれだけ先生側が家の仕事だろうと思っていても、教える側が気が付いてフォローしないと、四則演算でお子さんが量産されるような予感がしています。

一方で入学時からどんどん先に進んでいて自分で学べる子のレベルはあがっていく。

授業の組み立てが今後、一層難しくなっていきそうです。
宿題を計算ドリルにするだけではよい時代ではなくなってきているのではないでしょうか。
私も今までは学校で整理学習、自宅で体感、教室では具体的に考える練習と住み分けしてきましたが、今構成を考えなおしつつあります。


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