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アメリカの味

2020/03/15 09:29

 姉が高校生の時、学校から2、3歳用とみられる可愛い子供靴を持って帰って来ました。なんでも、学校の来客用玄関に置き去りにされたまま2週間も経つので、もらってきたと言います。身近に小さな子供はいません。ただ、可愛くてまだ新しいからという理由で。姉は、全くその予定もないのに、セールでお買い得だったからとウエディングドレスを買ってくるような人なので、これも彼女の典型的な衝動的行動の一例にすぎませんでした。



 ある日、姉が息せき切って帰宅し、「あの靴はどこ?すごい可愛い子がいるから、あげたい!」と言うので一緒に外に出てみると、家の前にブラウンの瞳と栗毛のよちよち歩きの男の子と、お母さんと見られる南米系の女性がいました。私は中学2年生ぐらいだったので、学校で習った英単語を駆使してコミュニケーションをはかりました。とりあえず、うちに子供用の靴があるからもらって欲しい旨伝えました。



 後日、その親子がお礼にイースターバスケットを持って訪ねて来てくれました。長い長いハンドルのついた大きなバスケットにお菓子や卵を入れたものをイースターバスケットと呼ぶことを、その時に知りました。草を模して細く刻まれたパステルグリーンのフィラーにうさぎやヒヨコ型のカラフルなチョコレートが詰められている様は、それまで私が抱いていたプレゼントや贈答品のイメージをはるかに超えていて、胸が高鳴りました。



 80年代半ば、日本にもカラフルで可愛いものはたくさんあったはずですが、アメリカ製のもつ独特の色味は日本のものにはない明るさとおおらかさを持っていて、雑誌『オリーブ』などで紹介されている輸入雑貨を、指をくわえて眺めていたものでした。私はそのイースターバスケットを手にした時、憧れていたものがついに自分のものになった喜びに有頂天になりました。今でこそイースターバスケットはスーパーで山積みにされているようなもので、使われている素材はとてもチープで限りなく使い捨てに近いものであることを知っていますが、私はあのイースターバスケットを何年も大事にとっておき、ぬいぐるみなどを入れて眺めてはうっとりしていました。



 そうして我が家とそのアメリカ人ファミリーの交流は始まりました。ご主人はアメリカ海軍士官でしたが、日本の生活を体験するため、基地ではなく一般住宅地に家を借りて住んでいたのでした。私と姉は赤ちゃんのベビーシッターを頼まれたり、回覧板や郵便物などを訳してあげたりしました。そのかわりというわけではありませんが、私たちは米軍関係者しか入れない基地内のイベントやレストランに度々連れて行ってもらいました。



 彼らが連れて行ってくれたレストランはたいてい、士官以上のランクの軍人しか利用できないオフィサーズクラブでした。床には絨毯が敷かれており、日本にはちょっとないぐらいの暗い照明が、ただならぬ空気を醸し出していました。そして何より、そこへ行く時ご主人は必ず海軍のユニフォームを着ていたので、私も特権階級にふさわしい振る舞いをしなければと緊張したものです。



 奥さんはメキシコ系アメリカ人で、いつも『トスタダ』というメキシカンフードをオーダーしました。それは、お皿ほどの大きなトルティーヤチップスの上に刻んだレタスやトマト、ビーンズ、チーズ、サルサなどがてんこ盛りになったものでした。私も真似をしてそれを頼み、見様見真似で食べてみました。その時の衝撃は、今でも忘れません。アイスクリームのようにこんもり載ったワカモレとサワークリームを崩して具材に混ぜると、食べ物にあるまじき汚らしい光景が繰り広げられます。それはまるで、パレットに残った絵具をぐちゃぐちゃにかき混ぜた時のような感じで、小学4年生男子以上の理性を持った者のすることではないような気がしました。しかしそれをチップスのかけらと共に口に入れると、咀嚼しているうちにサッパリとこってり、爽やかさとコクが混ざり合っていくのです。当時、セラントロー(パクチー)はもとより、アボカドという食材にもあまり馴染みがなく、チリペッパーやクミンの風味はまさに新境地で、衝撃の味でした。






 このファミリーを通して私はアメリカの食文化に初めて触れたわけですが、衝撃的だったものを3つ挙げるとすれば、このトスタダの他に、ブルーチーズドレッシングとナチョスがあります。どちらも、こんな美味しいものが世の中に存在するのか!とショックを受けました。



 ナチョスは、スポーツイベントや映画館やお祭りで必ずといっていいほど売られているもので、トルティーヤチップスに溶かしたチーズをかけた一品です。後になって、このチーズソースは添加物いっぱいの缶詰めであること、それを温めてチップスにかけているだけであることを知ったのですが、基地内のフェアで初めて食べた時は、市販のとろけるチーズでは再現できないであろうトロットロ感に、これは私がチーズというものにイメージし求めているものを体現している食べ物だ!と思ったのでした。



 この3つを食べると今でも、食べ物ひとつに無限の想像力を働かせることができた、情報源がごく限られていたあの頃の、今にはない純粋で新鮮な驚きと興奮を思い出すのです。

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