模写は個性を損なうか?
昨年末から暇を見つけて少しずつ刺していた刺繍が完成しました。うちのシニア犬、ロージーです。
今使っているクッションカバーが色褪せて毛玉だらけでみっともないので、新しいカバーを縫って、両面に我が家の犬の刺繍を施そうというわけです。もう一匹のリリさんの方は既に完成しております。
実は、リリさん画を指した後に、全ページ犬の刺繍という、まるで私のために作られたような手芸本を見つけました。刺繍作家の米井美保代さんが、シルクシェーディングという写実的な技法を使って犬を描く方法を初心者にも分かりやすいように紹介している本です。
ロージー画はそれを参考にしながら刺したため、ロージーとリリさんの作品には、小学生と高校生の絵と言っても過言ではないぐらいの差ができてしまいました。これはあまりにも不公平なので、次はまたリリさん画に挑戦して、もうちょっとアップグレードしてあげようと思います。
これをbefore & after としてインスタに上げたところ、心優しい友達が、「リリさん画も、これはこれで味があっていいよ」なんて言ってくれました。それでふと思ったのです。
「模倣は個性を消してしまうのか」
絵を描くことを得意としている知人に、「人の画風に影響されたくないから、人の絵は見ない」と美術館に行きたがらない人がいます。誰かからインスピレーションを得たり技術を学んだり感銘を受けることで、その人の持ち味は薄れてしまうのか?
でも、ゴッホやピカソなど、最も個性的とされるような巨匠も、たしか最初は模写をすることで腕を磨いたのではなかったでしょうか?
娘は子供の頃、友達のAちゃんと一緒にアートレッスンを受けていました。「自由に自然を描いてみましょう」というような、独創性を育てる類のレッスンではなく、テクニックと様々なメディア(画材)の習得を目的としたものであったので、一筆一筆、先生に倣って描き進め、3人が同じ作品を仕上げるといった形式のレッスンでした。
毎回、レッスン後に3人の絵を見比べてみて面白かったのが、一筆一筆足並みを揃えて一緒に描いたはずの3枚の絵が、決して同じではなかったことでした。技術の差を超えて、そこには個性がはっきりと出ていたのです。
同じ対象を、同じメディアを使って描いているのに、Aちゃんはいつも線が太く、絵の具ののせ方も大胆で、どこかゴッホとかゴーギャンを思わせる思い切りの良さがありました。一方、娘の絵はどんなメディアでもどこか水彩画っぽく、ふわっとした優しさのある絵に仕上げていたのです。
米井美保代さんの刺繍作品はインスタでも見られるのですが、ボーダーテリアのバートくんのさまざまな表情を描いた作品から、美保代さんのバートくんへの溢れる愛情が感じられます。おそらく、撫でたり遊んでやったりすることではとても収まりきらない愛情を、ひと針ひと針に昇華させておられるのだと思います。また、目を見張るほどリアルで美しい、草花や小動物を描いた作品からは、自然の中から愛らしいものを見出す審美眼を感じます。どれも表情が優しくて素晴らしいです。
こんな感性なら、喜んでいっぱい影響されたいです。
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