幸せの合言葉は『腹八分目』【 #幸せをテーマに書いてみよう 】
あなたは「幸せ」について考えたことがあるだろうか。
誰しも漠然としたイメージはあるだろう。現在幸せを感じている。という人もいれば、幸せからはほど遠いという人もいるだろう。
「幸せ」とは一体なんなのか?
というのは非常にシンプルな疑問だけれど奥が深い。
そして私の考える「幸せ」とは、『腹八分目』ということなのではないかと思う。
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一番わかりやすそうな金銭で考えてみよう。
年収500万だったのが、頑張って1000万になりました。
これは誰しも嬉しいだろう。幸せだと感じるだろう。
でももしここで「まだまだ足りない。2000万は無いと……」と思ってしまったら、1000万も通過点でしかなく、幸せを感じることは出来ない。
それが不幸というわけではないだろうけれど、『幸せ』ではない。
金銭だけに関わらず、すべからくモノにはとめどない欲求があり、上を目指しだしたら止まることがない。極論、常に上だけを見続けたら死ぬまで幸せを感じることは出来ないことになる。
そういう人生を選択したとしても、人から非難されるようなことではないけれど、私が考える幸せという定義には入ってこない。
幸せであるためには、ある程度現状に満足する部分が必要なのだ。
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そうは言っても、人間誰しも欲求はある。
今よりいい暮らしがしたいとか、もっと自由な時間がほしいとか。そういう欲求がなくなることはないだろう。だから、今に満足できず、上を目指していく部分が否定されるべきではない。というよりも、人間である以上否定し得ない。
しかし1から10まですべて求めだしたら、現状にまったく満足していないことになる。比率としてはやはり半分以下……実際には、2割か3割くらい。
そのくらいにとどめておくことが、一番安定しているのではないかと私は思う。
自分の欲求をコントロールするのが簡単とは思わない。現実問題、取り巻く全てが何とかならないと我慢ならない、ということもあるだろう。
だからこそ「幸せ」は難しいのだ。
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現状に満足する部分があり、止めどない欲求を飼いならした姿。
それこそが「幸せ」の最終形態なのだろう。そう私は考える。
そして、現状に対する満足の度合いは8割くらいだろうか……と、考えたあたりで古来より伝わる適切な言葉を思い出す。
『腹八分』だ。
この魔法の言葉こそが結局『幸せ』を的確に表している。
自分を過小評価する必要もないし、現状を卑下する必要もない。ただ、『腹八分』という言葉を、腹にすえておくことは、幸せのひとつの礎になるのかもしれない。
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というわけで、今日はこちらの企画です!
何もなくても書けるけれど、みんなが同じテーマで書いたものを読める、というのがこういう企画の楽しいところですよね。
また大変でしょうけれど、まとめ作業等々応援しております。
ありがとうございます。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)