児童向け図書のイラストとエゴイスティックな理念

児童向け図書のイラストについていろんな意見があるようだ。

私の個人的な結論は、イラスト自体にいちゃもんをつけるのはお門違い。ただし「良い(と思う)本を読ませたい」という大人のエゴもあってしかるべきというもの。

【1】数字で見るイラストの影響

引用先も「いまさらだけど~」断っているようにちょっと旬を過ぎた感じはある。

絵のない岩波の「飛ぶ教室」は、2010年から一度も借りられていなかったのに対して、KADOKAWAのイラスト付き「飛ぶ教室」は2012年受け入れからで121回も借りられている。

わかりやすいイラストがあるかないか、そこには歴然とした差がある。こういった、イラストの違いによる数字の差が明確に出ていてとても興味深かった。

そしていまさら私がこの話をしているのも、この記事を読んでやっと自分の中で合点がいったせいだ。色々頭を悩ませたけれど、この記事に全面的に賛成というわけにはいかなかった。

【2】イラストに罪はない

まずざくっといって「イラストが気に入らない」という意見は完全に無視していいと思う。なぜなら、これが子供に受け入れられているということは、この絵柄がこれからのスタンダートになっていくということだからだ。

ここについていけない人は時代に取り残されていくだけの話。単に嗜好を語るのであれば好きか嫌いかという表現で語って欲しい。

そして出版社としては売れるものを出すことが第一義。子供が受け入れるのであればそれを追求することは当たり前だ。

先日、本屋で漫画とかラノベの棚を俯瞰してみたら、確かに半裸の女の子のイラストばかりで、これは確かに心配にはなるよなと思ったけれど、それはまた別の問題。

【3】子供の自主性はどこまで

では、子供がそういう本ばかりに手を出してしまう。という問題はどうだろうか。

それ自体は決して悪い事ではない。子供の自主性を尊重し、きっかけがイラストであれ自ら手をのばすことは尊い。そこから活字を好きになる子だって沢山いるだろう。

でも、同時に見栄えのしない本だって尊いのだ。

子供には読みずらいものもあるかもしれないけれど、勧められた難しい本を少しずつ紐解きながら読んでみたらとても面白くて、忘れられない一冊になった、ということもあるだろう。

そういった一助になるために、親や教師は子供を導かなければならない。

お菓子と野菜を並べられて、お菓子を取らない子供は少ないだろう。子供の自主性に任せるばかりではなく、横から「野菜もおいしいよ」と言ってあげることが教育だし、それはエゴであっていい。

そもそも絶対的な正解などはないし、いいと思う本を進めるのもエゴなら、子供の自主性に任せるという考え方もエゴなのだ。意見が対立したら、どっちがわがままかの争いになるだけの話なのだ。

【4】結局はエゴにすぎない

見栄えのするイラストを付けた方が本も売れるし、子供も手を出してくれるからそれは尊い。同時にそうじゃない本に触れさせてあげることも大切なことだ。

最近良く言っているけど、教育は結局洗脳で、親や教師のもつエゴを子供に押し付けるものだ。だからこそ親や教師という役割は「正しく」あるべきでもある。そして思い思いのエゴをぶつけ若者にうざがられる。そこまでセットだ。

エゴでない思想なんてどこにもないのだ。

理想論にすぎないが、子供の自主性は尊重しつつ、大人が知っている知識もきちんと分け与えるのが最適なエゴなのではないだろうか。

蛇足だけれど、騒動の中で夢水清志郎の話が出ていて懐かしさを感じました。昔好きだったのよね。


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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)