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常識が崩れたときこそ学びのチャンス!その学び方を実践

今回はポッドキャストではありません!
ホイットニーです。

先日、海外に行ってきて、見るもの・聞くもの全てが違うという経験をしました。

常識が通じないとはこの事で、これまで僕が積み上げてきたスキルや経験や知識は、ここでは無に返します。

こんなときは、全てが学びになるもの。

そこで学びについて考えてみたいと思いました。

メモの魔力という本が以前ベストセラーになりましたが、ここに記載されている方法がとてもしっくりきます。というか、学習を言語化してくれた本です。

この本によると、学習は3つのステップで説明できます。

事実、抽象化、転用です。詳しくは本を読んでもらうとして、ここからは僕の方法。

まず、事実を捉えます。
感情をできるだけ考慮せずに起こった事実だけをしっかりと捉えます。

例えば、モンゴルで目にしたのは渋滞でした。
かなりの渋滞なので、ドライバーはわずかな隙間でも入り込もうとする乱暴な運転でした。

自分は入るけど、相手は入れないという運転の仕方は心が狭いように感じますが、これは事実ではありません。僕のバイアス。

事実は、渋滞・自分は入る・相手は入れない・乱暴な運転、という事になります。

さらにどうしてそのようの事態になるのかを、現地の人に聴きました。

モンゴルはウランバートルが首都なのですが、そこに人口の半分が集まっています。年々、ウランバートルに移住する人は増えており、人口が増えている都市です。

自然と人々はベッドタウンに住む事になり、その距離はどんどん遠くなります。

通勤の車はどんどん増えて、年々帰宅時間が遅くなります。

仕事が終われば家に帰る必要がありますが、同じように考える人がかなりの数います。

ということは、鉄の精神で家に帰る運転をしないと、いつまで経っても帰れなくなります。出勤時ももちろん同じことが起こります。

年々ひどくなる渋滞は、当然事故を招きますし、物流が停止してしまいます。

要するに経済が停滞してしまうので、とても大きな課題。

このことは、先端をいくモンゴルのIT企業も、政府も、地元の人たちも感じていることで、渋滞による物理的・精神的ストレスはそうとう高いです。

これは事実なんですね。

で、これを抽象化するまえに、先端をいくIT企業の話をしましょう。

訪問したICTグループというモンゴルのスタートアップは、モンゴルのさまざまな問題に取り組んでします。

例えば、医療カルテや教育のDXを政府と進めていたり、集積したビックデータを用いてAI開発したりしています。それらにより、スムーズな医療を受けられるようにしたり、各自の成長に合わせた教育を受けられたりするのです。

そして事業の一つに地理データの活用がありました。
これこそ渋滞解消につながると言います。詳細は聞けずじまいでしたが、想像することは可能です。

例えば、時間帯ごとに渋滞をヒートマップ化し、どのように色が遷移するかをみます。これに合わせて、抜け道を作ることができればボトルネックの解消になるでしょう。

あるいは、駐車の多いエリアを調べて駐車場を最適化することも可能かもしれません。しかし、これは僕のバイアスなので、想像を楽しむだけにしておきます。まだ学習には至っていないと言うことです。

ICTグループはなぜこのような問題に取り組むのかというと、もちろん国を発展させたいからです。国の発展が会社の発展や国民の発展につながり、より住みやすい国になることを願っています。また、同様の課題をもつ国に対してもこのノウハウは活かされるはずで、いろいろな選択肢が考えられると、創業者の方はおっしゃってました。

では、このことを抽象化してみましょう。

課題が大きすぎて国民性や経済に影響を及ぼす場合、課題が強烈に顕在化していると言えます。

課題が顕在化していれば、解決しようというエネルギーが生まれるようです。

なぜなら、解決された時のインパクト(メリットと言ってもいいかも)が大きいからです。

このようなケースでは、先行者利益が大きく、二番手三番手はうまみを味わいにくくなるものです。しかし、その周辺に仕事を見出せるかも。

例えば、先の渋滞に関して言えば、空いている駐車場が分かるアプリを作るとか相乗り(白タク)を可能にするアプリを作るとか。

幹線道路や鉄道を作って渋滞を解決しようと言うことは民間の手に追えませんが、自転車のシェアサービスとか仕事が終わって帰らずに泊まれる格安ホテルなど、大小さまざまなアイデアが出てきます。

これが周辺のビジネスというわけです。

で、転用してみます。

我々のビジネスの顕在化している課題は、高難易度で年単位でかかってしまう教育です。

教育を解決するためにさまざまなサービスが既に生まれていますが、どれもクリティカルな解決には至っていません。

主戦場で戦うのではなくて、周辺のビジネスを考えたとすると、全体を教育するのではなく部分的な教育などが考えられます。

絶対にみんなが覚えなきゃいけない知識を歌にするとか、カルタにするとかでもいいかもしれません。

これが良いアイデアかどうかは別として、このようなプロセスで学習をアウトプットするのはいかがでしょうか。

まだ事実を並べ切れてませんし、抽象化も簡単すぎますが、これをあらゆる角度から考えて言語化すると転用もたくさん出る気がします。

自分の価値観とは違うものに触れた時に、拒絶するのじゃなくて学習に置き換えると、成長を感じて楽しいです。

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