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「かっこいい」よりも「かわいい」よりも「いいね」が好き②

こんばんは、レモント・ルネードです。

皆さま、心穏やかに過ごしていますでしょうか。

最近は、ウイルスの第六波やら関東の大雪やらが巷を騒がせています。
ただでさえストレスが溜まっているのに、それが増大しているという方も多いかもしれません。

どうかどうか、ご無理はなさらないでください。

今回は前回の続きを書いていきます。
と言っても、前回の記事を読んでいなくても、何ら不都合はありませんので、このまま読み進めていただければと思います。


さて、高校時代の筆者は男装コンテストに出ることになりますが、そこで初対面の男子に髪をセットしてもらうことになります。

ワックスで固めたみたいにがちがちに緊張していた筆者は(うまい)、その男子の台詞に振り回されながらもヘアスタイルの完成をおとなしく待っていました。

ちなみにあの時は、夏の暑さと触られることの恥ずかしさで、信じられないほどの汗をかきました。
きっと汗臭かっただろうな。
彼に対しては申し訳なかったと思っている。
自らの代謝の良さをあの時ほど恨んだことはないですね。

それはさておき、髪型が完成すると、その男子は少し離れたところから筆者の髪型を眺めます。
真剣な表情でじーっと頭を見つめ、少し経ってから放った言葉が

「うん、いいね。めっちゃいい」

これには衝撃を受けました。

これほどまでに、
すっ、と胸に入ってきて、
すとん、と胸に落ちる褒め言葉を、
それまで筆者は知らなかったのです。

例えば。
「かわいいね」と言われれば、「きっと子供っぽいって思われてる」だとか、そもそもかわいいこと・モノが好きではなかったので、「一緒にするな」などと思ってしまいます。

一方、「かっこいい」と言われれば、「そう言っとけばいいと思ってるんでしょ」とか、「可愛くないことを『かっこいい』という言葉で言い換えてるんだよね」とか、こちらももやもやとした思いを抱えることになります。

ほんと、自分勝手ですよね。
相手は素直に褒めてくれているだけなのでしょうが、こちらがひねくれているせいで言葉が歪んでしまう。

でも、自分はひねくれているというか、いや、確かに卑屈な部分は自覚しているんですけど、それ以上に性の二面性があるという点が大きいのだと思います。
「かわいいね」「かっこいいね」と言われれば全く嬉しくないわけではないのです。
褒められているのだから、当然嬉しいとは思うのです。
けれど、どこかもやもやとして、釈然としない。
筆者は自分のことを女子だと思っていますし、男子になりたいとも思っていません。
けれど、他人から「あなたは女子だ」ということを突き付けられると、内心首をかしげてしまうのです。
なんか、嫌だなーと。

もしかしたら、そもそも他人から評価されること自体、苦手なのかもしれません。
相手の言葉に引っ張られ過ぎてしまうから。
他人の評価通りの人間でなければならないと、無意識に刷り込まれている感覚があるのです。
これには過去の経験が深く関わっているのでしょう。
そのことは、またどこかで書けたらと思います。

まあとにかく、あのときの彼の「いいね」は、最大の破壊力をもって筆者の「褒め観」を変革してくれました。

褒められることはこんなにも嬉しくて、気持ちの良いことなのか!と、自分の感情の幅が明るい方向へ広がったように感じます。

筆者にとって「いいね」という言葉は、果汁100%オレンジジュースと同じぐらいプラスの感情に満ち満ちており、自分のほんの一部さえも否定することはないと確信できる言葉でした。
だから、真っ直ぐ、素直に、受け入れることができたのでしょう。

変革だなんて、んな大袈裟な。

誇張してる?

そう思われた方もいるかもしれません。
筆者の文章スキルの未熟さ故にこの感覚を共有できないことが、大変惜しいです。
これからも精進して参りますので、また気が向いたら読みに来てください!

ところで、あの男子との甘酸っぱい恋は始まらなかったのかと言うと、
こちらとしては始めたかったのですが、
なかなかどうして恋というものはうまくいかない。
また恋バナの気分になったら、そこらへんも書くかもしれません。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

それではまた、さようならー。





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