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買った本が期待はずれだったとき

気になっていた
本を買ったり
映画を見たときに

「期待はずれだった」

ということがときどきある。

このとき
どんなに期待はずれだったとしても
その作品を悪く言ったり、
ましてインターネットなどの
パブリックの場で批判したりは
しないようにしている。

というのも、
所謂「レビュー」というのは
そもそもその作品を見た受け側が
どう感じたか?ということであり、
その作品に「いい、わるい」はそもそもない。

実際、
「残念な内容でした(期待はずれだった)」
というコメントもあれば
「素晴らしい内容でした」
という真反対のコメントもザラにあるわけで、
作品に対してポジティブもネガティブもつくのは
日常茶飯事だ。

つまり、
そのときの自分には「合わなかった」
というだけのことであり、
それだけの理由で「この作品はダメだ」
とジャッジすることはぼくはしたくない。

ときが経ち状況が変われば、
今まで刺さらなかったその作品の魅力に
気づくなんてこともあるはずだしね。

そしてもう一点。

そもそもその作品は、
自分自身が「気になっていたもの」なわけだ。

そこにどんな理由があろうとも、
自分自身が気になっていたものを
自分の意思で手にしたわけだ。

にも関わらず、
「この作品はダメだ」と判断する
ということはそれはつまり、
「自分の感性がダメだ」と言っているに等しい。

自分が気になったこと
自分の感性やフィーリングというのは
自分の潜在意識が教えてくれるものであり
それに従い手にしたものであっても、
実際そのときどう感じるかはまた別の話。

「良かった」と思うかもしれないし、
「期待はずれだった」と思うかもしれない。

ここで大切なことは、
例え期待はずれだったとしても
「今の自分には合わなかったな」と、
そこで、自分の中で自己完結させてしまうこと。

こうしていかないと
せっかく自分の心の声に従ったのに、
それを否定していると
感性やフィーリングというものが
どんどん鈍ってくる。

自分の感性は常に自分で磨いていくもの。

だから、
合わなかったものを否定するエネルギーではなく
合うものを称賛するエネルギーに使いたい。

ぼくはそう考えている。

ぼくの記事を読んで頂きありがとうございます。頂いたサポートを励みに、これからもどんどん発信していきます。今後ともよろしくお願いします。