「好きなものがない」人の話

「あなたが好きなものは何ですか」という類の質問・回答をよく見る。

コミュニケーションの契機として成立しやすい話題に思えるし、自問をしている人もよく見かける。なにかを発信することを生業とする人にとっては、自問自答を発信することが受け手への良い自己紹介になるとも思われる。

回答を伝える相手や媒体上の文脈なんかで色々と答え方は変わるのかもしれない。「これが好きだ」と言ったときに引かれてしまうのでは、たいして仲良くなりたくもない相手と共通項を作るも癪だ、場の空気にそぐわないのでは、などなど。
そういった社会的なフィルター(自己認識的なもの)も一切加味しないときに「で、あなたが本当に好きなものってなんだい?」と問われたら、どう応えるものだろうか。

なんでこんな話を書いてるかというと、先日だべっている時に、知人が「純粋に自分が好きなものを買うというより、世の中的にそれらしいとされているものの中から自分が好きなモノを買う」旨のことを言っており、まあまあびっくりしたのだ。

ワタシは割とモノ好きというか浪費家というか、たいてい好きなモノがあるとそれを欲しくなる。服にしても靴にしても電化製品にしても、側から見れば訳のわからないような雑貨にしても、買えるものは買ってしまう。無論、身の丈に合わないモノや明らかに用途がないものは買わないが。

例えばファッション関連でいえば、服・靴・バッグは好きなモノを買って、会社やら食事やら出歩く先や時々に合わせて身につけるモノを選ぶ。ある程度、「これは会社用」みたいな区分けはあるが、フィルターの順序としては「好きなモノ〉会社に持っていけるモノ」となる。

が、知人にとってはそうではなく「会社に持っていくモノ〉好きなモノ」という順序で、愛着があるものがないわけではないが、どっかかといえばあくまで道具とか資材的な扱いらしい。曰く「かれこれ考えると、好きとか云々というより社会的な要請みたいな感じでお金を使っている気がする。」とのこと。

改めて「自分の身の回りのあらゆるモノに関して好きといえるか」と考えてみると、別段そうでもないと気づく。例えば米。ブランド米を食べて「うまっ」と感じることこそあれど、日常的に買う米に特段のこだわりはない。トイレットペーパーにせよティッシュにせよ、ECで適当にポチったモノを買っているので、何もこだわりはない。

モノにお金を使わない人が多くなってるということはよく聞く話だが、モノにせよコトにせよなんかの経験にせよ、「好きなものがない」状態というのは割とあるあるなのだろうか。

数年前から、色や骨格やらの〜診断と銘打った各種のコンサル?を受ける方々を見かける。その方々は好きなものと周囲からの視線のバランスを探っているのだろうか。それとも、周りから見て良さそうなものから好きなモノを選ぶのだろうか。まあ、きっとそれ以外の診断を受ける背景も諸々あるのだろうが。

なんにせよ、好きなものがあろうがなかろうが、他人からみて似合うかどうかを気にしようがしまいが、ナチュラルにみえようが派手に見えようが、「各々が好きなようにすればいいわ。」と感じる今日この頃。

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