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2022年真夏の大冒険⑬石垣島白保

八重山にハマった人のほとんどは、まず沖縄本島を観光して、次に八重山に行って本島との違いに驚く。そりゃあ言葉も文化も違ってて当たり前、那覇と石垣の距離は東京と盛岡や神戸の距離間に等しいことを知らない人が多い。東京人と東北人・関西人が全く異質なように距離が違った文化や人を作ったということ。八重山は沖縄本島の単なる隣の島じゃないのだ。その違った文化や人が同じ県内に存在するのが面白いのだ。
そして八重山に旅する人は、島々を巡って気に入ったひとつの島にどっぷりハマる人と、まるでスタンプラリーのように全島コンプリートや日本の東西南北端制覇を目指す2種類の人間になぜか分かれる。どんなことに楽しみを見出すかは人それだが、確実に言えることは、本島を旅行している人よりも八重山に旅する人の方が圧倒的に面白い人間なのである。

私の沖縄はスタンダードな沖縄体験とはちょっと違っていた。初めての沖縄での宿泊地がいきなりいちばん端っこの与那国島だったのだ。それでいきなり与那国にハマって、次が沖縄本島、次が石垣島と周辺離島を旅行して、結局は与那国島に戻って、以来ほとんど与那国島にしか行ってない変形パターンだ。

沖縄本島那覇の4連泊が終わっていよいよ石垣・与那国ラウンド突入。
今回は運良くソラシドの石垣便が取れた。JALやANAよりちょっとだけお安い。
那覇からは与那国直行便もあるし石垣乗り継ぎでも楽に行ける。石垣をスルーしようかなとも思っていたんだけど、石垣にはいっぱい思い出もある、馴染みの宿もある。とてもじゃないけど素通りはできない。内心最後の八重山になるかもという思いもあったので、あえて石垣に1泊することにしたのだ。

那覇空港を飛び立った飛行機は慶良間の真上を通過した。前島を通って渡嘉敷島をかすめ見下ろせば久場島。久場島はダイビングにハマるきっかけを作ってくれた島だ。魚はあまり住んでないけど地形の面白さを教えてくれた。
久場島の海に潜ってなければ「ダイビングは天然の水族館」くらいの楽しみ方しかしなかったかも知れない。
ダイビングを止める決心を知ってか知らずか、偶然この島の上を通ったのには因縁めいたものを感じた。

思い出の久場島

1時間のフライトでスムーズに石垣空港に着陸。離着陸にはどんな空港でも緊張するが、旧石垣空港の着陸はジェットコースターのようなアトラクション性だったのを思い出した。
滑走路が短いから逆噴射のフルブレーキが強烈で、毎回体は前のめりになり、文字通り手に汗握る、手汗びっしょりの緊迫感だったのも懐かしい思い出だ。

石垣新空港建設中(2007年)
石垣新空港まだ建設中(2009年)

新空港になって石垣島に連泊する時はいつもレンタカーを借りていた。
空港駐車場受け渡し、空港駐車場乗捨で利用時間に関係なく1日3000円ポッキリ。
初回利用のときこそ空港駐車場で係員に会って免許証の提示はしたけれど、2回目からは予約の電話を入れると車のナンバーと駐車レーンの番号を教えられ、自分で車を見つけてロックされてないドアを開けて利用開始。グローブボックスを開けると車のキーと100円玉がテープで止めてあり、その100円を使って駐車場を出たら後はご自由に。帰る時は満タンにした車を駐車場に停めてキーと料金をグローブボックスに入れる。電話でレーン番号を報告して終了。

善人説に基づいた料金後払い。まったく人を介さない画期的なシステム。手続きのために事務所まで行かなくても済むからフルに時間を使える。
法律上どうだったのかは知らない。車は型落ちでナビも付いてないけど、しっかり「わ」ナンバーだったし、ユーザーからはすこぶる使い勝手のいいレンタカー屋さんだった。
今思えば電話も携帯番号だったしWebページもないから宣伝もしていない。人から人への体験談の口コミだけで存在が広まっていった。私が知ったのも民宿で夕食後のゆんたくで使ったことがある人に携帯番号を教えてもらったのが始まりだった、かなり怪しいローカルなレンタカーだった。
今もあるのかなと検索してみると生き残っていた。「配車・乗捨て専門店」とは書いてあるけど空港駐車場は不可、ナビも全車に搭載、外国人不可、料金も利用時間単位になっていた。でも料金はまだ他社よりもちょっと安いかな。
古き良き石垣のレンタカーを何度も使えたのは貴重な経験なのかも知れない。

市街地行きのバスに乗って白保小学校前で降りれば今夜の宿、民宿マエザトの真ん前。1Fに食堂と商店があり2Fが民宿になっている。13時を少しまわった時間だけどチェックイン時間なんぞはないに等しく「こんちわー、久しぶりー」「よく来たねー、何年ぶり?◯号室ね」でチェックイン完了だ。

民宿マエザト

部屋に荷物を降ろして一息ついたら白保の浜まで散歩に出る。
古き石垣の雰囲気が残ると言われている白保集落を5分ほど歩くと白保浜に出る。赤瓦の平屋をサンゴを積み上げた石垣が囲みフクギの木が立ち並んでいる静かな集落だ。いかにも本土の人がイメージする「古き良き沖縄」なんだけど、この集落が面白いのは「古き良き沖縄」を無理やり守ろうとしてないところだと思う。
赤瓦の平屋やサンゴの石垣は、集落に住む人達が生きてきた時代の経済力と生活風土からこうなったものであり、今となってはそれが「古き良き沖縄」になってしまっただけで守ってきたものではないということ。
赤瓦の平屋だって「台風で飛ばされない重い屋根の家」にしなきゃという必要に迫られて建てただけのこと、サンゴの石垣は材料費0円の貧しい時代の遺産にすぎない。
今の時代、台風対策ならば鉄筋コンクリート住宅の方が万全だし、作れる経済力を持つ人は文化的な家に建て替えている。赤瓦だって今はかなりの経済力がないと乗せられないらしい。実際にはコンクリート瓦の家の方が多いのだ。
古い沖縄と今風の沖縄が同居しているのがこの集落の面白さだと思う。
竹富島のように島中を「古き良き沖縄」のテーマパーク化して観光収入を得ようという集落の全体意志は微塵も感じられない。
個人的には生活があふれてる白保の方が竹富島よりずっと好きだ。

白保集落

夜のゆんたくで「集落の中のあの普通の家は景観を損ねてますよね」なんてことをと言う人はたくさんいる。ちゃんちゃらおかしい。
「住民はあんたのイメージのために生活してるんじゃないんだよ」と返したいのをぐっと我慢してニコニコ笑いながら泡盛を重ねているのが現実。なぜならそれは、あなたの沖縄旅行、あなたの民宿ゆんたくのイメージを壊したくないという優しさなんだよ。
なんてことを思いながらゆっくりと集落内を歩き、御嶽に一礼して浜に出た。

御嶽は基本立ち入り禁止、内部の撮影禁止になっている

遥か遠くのリーフエッジで波が砕けているのが見えるけど、浜はいたって穏やかだ。浜で遊ぶ子供もいないしスノーケルツアーに出てるボートもない。
浜には小笠原海底火山の噴火で噴出された軽石が流れ着いて黒くラインを作っていた。港の出入り口を塞がれたり不便を被った人たちには失礼かもしれないが、この軽石騒動は太古から続く自然の営みの一環、やがて黒潮が運び去っていくはず。雨が気温が下がって雪になって降り積もるのと同じ。自然現象は人の手作業でどうなるものではないんだから、もう少し長いスパンで物事を考えるべきだと思った。実際、2年後の今では噂も聞かなくなっている。

白保浜
白保浜と軽石
夕方になると地元の不良おじぃが集まって酒盛りが始まる海の家
仲間になれた時はうれしかったなー(2004年)

腹がペコペコ。そう言えば昼飯も食ってない。
朝は昨夜の残りのクーブーイリチーと菓子パンだけ。じつは旅行中のご当地菓子パンも旅の楽しみの一つ。沖縄で小腹がすいてコンビニに入ったときもポーク玉子や油みそおにぎりなどのご当地ファーストフードよりも、オキコのゼブラパンやぐしけんのメロンパンを買うことのほうが多い。
日本全国どこを旅行してる時もご当地菓子パンはけっこう食べている。見てくれとネーミングだけからじゃわからない味のギャンブルが面白い。
ちなみに今朝はオキコのうずまきパンだった。
宿に戻ろう。

うずまきパン。


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