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もうすぐ終わる東京の生活

2016年から今の会社(というか、仕事)に勤めています。

「一生縁がないだろうなぁ」と思っていた恵比寿という街。

こんなに身近になるとは思いませんでした。

しかも、賑やかな街中の方ではなく、ガーデンプレイス側なので、やっぱり少し落ち着いているんですよね。

そんな環境で5年間、ゆるゆるとやってこれたのこと本当に恵まれていたなぁと思っています。

最近こうやって、しみじみ感慨に浸る時間も増えてきました。恵比寿での時間ももう残りわずかになってきたからです。

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毎朝起きて、朝の散歩をして、朝ごはんを食べて、コーヒーを淹れたり淹れなかったり。現在は、在宅勤務の妻に「行ってきます」を言って、娘を幼稚園に送り届け、恵比寿へ向かう。

駅に着くと、雨が降ってない限りは、中の通路を通ることはない。

外階段を降りて、そのまま少し坂道を歩く。歩く。

ぼくはこの風景が好きだな、といつも思う。晴れている日や、季節の香りのする日は特にそう思う。

福島の会津に生まれて、地元で18歳まで育ち、大学で初めて上京する。

その時の感覚はまだ明確に覚えていて、全く違う街に父の都合で転校(引越し)した小学生の頃を思い出す。

目の前の景色が全て新鮮で、街とか田舎とかに関係なく、「ここで自分は生きていくのかぁ」としみじみ思うタイミング。

今、ぼくはまさにその直前のタイミングにいるんだと思う。

だからこそ、毎日みていたこの景色をなんとなく愛おしく感じ、ふとこれまでの歩みを思い出したくなってしまう。

今年、ぼくとぼくの家族は、住む場所を変える。

ぼくは「ぼくのふるさと」に、東京生まれの妻は年に数回しか行かない「旦那の帰省先」に、そして娘はまだなんとなくしか知らない街への冒険。

自分が転勤族の息子であることを恨めしく思ったこともたびたびあった。

高校受験を控えた時期に、別の地域へ行くか行かないかを問われた。

「地元に残って高校受験をする」と、ぼくは言い、

「そうだな、そうしなさい」と、父も言って単身生活に入った。

 *

ぼくは大変恵まれていることに、自分の処遇(行く先、やること)を自分で決められる仕事をしているし、これからもそうしていくつもり。

その分、一生分の責任はつきまとうのだけれど。

だからこそ、妻や娘に対しては、自分の身勝手に付き合わせている申し訳なさ半分と、今までにない世界や街を体験させたいというエンタメ心の両方がある。

1、時間配分を変える。
2、住む場所を変える。
3、つきあう人を変える。

この3つを変えることでしか、人は変わることはない。

と、大前研一が言っていたのをよく思い出す。

妻も、娘も「変わりたくもない」とは思う。笑

そりゃそうだろう、慣れ親しんだ土地や家、友人関係が楽しいに決まっているから。

でも、ごめん。

どっちに転ぶかわからないんだけど、あれから10年経った福島の姿を、ぼくは『じぶんごと』として感じてみたい。


10年前の今日、3月11日は気仙沼にいました。

震災後、地元に引きこもったりした1年間もあるけれど、やっぱり東京で一回働いてみて、地元に必要とされる人間になって帰って来たい、あの時そう誓った。

もうすぐ終わる、東京の生活。

いや、終わると言っても、また戻ってくるかも知れないし、可能性はどれだけでもある。仕事や遊びで普通に来ることになるだろうし。

ただ、一つのけじめとして、今、地元福島に帰れることは、なんかもう「定め」なんじゃないかな、とすら思っています。

それでは、今日はこの辺で。


こちらにいられる限りは、東京を味わい尽くそうと思っていますよ。




ぼくも誰かの応援をしようと思います!