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無理なく、たのしみを享受できる今日のことを、幸せと呼ぶんだろう。

魂が、元気。

最近は、この一言に尽きる。

たぶん、夜やりたいこと…本を読んだり、日記をつけたり、溜まった何かを片付けたり…そんな『イッサイなガッサイ』を、諦めて手放し、そして寝ているからだろうと思う。

いや、それ以外にもたぶん理由はあると思うけど。

自分、大切にしてる?

ぼくは、それに全身全霊で『イエス』だ。

朝目が覚めると、一日中たのしい予定ばかりではないし、特別な日でもなんでもないのだけど、そこはかとない『ワクワク』の湧き上がるのを感じられている。なぜか?

それは、『遠くのいい景色』を想像できているからだと思う。顔を上げて、前を、この道の先を見たいと思う、その先の景色に近づきたいと思う。それだけの未来を、自分の人生に感じてあるからだろうと思う。

足元で何が起きたって、特に何も響かないし、精神の軸はビクともしないけど、その分、自分が向かっていく先には、見たことのない世界が広がっているんだって、信じられる。

それだけで人は、こんなに世界を変えることができるんだなぁ。感心さえしてしまうくらい。

***

『生活のたのしみ展』のスタッフ振り返り会。

今日は、それがあったから、仕事を少し早めに切り上げて、外苑前へ。

ほぼ日オフィスの一階エントランスには、たぶんそれと思しき面々がエレベーターを待っている。ここに来ると全員が全員、ほぼ日スタッフなんじゃないかと錯覚するくらい『気のいい』人たちが多い。

プラスにガンガン発しているエネルギーではなくて、マイナスな何かが出ていないか、my受信機にはかからないといった感じ。

そうして会場である10階に着くといつも思う。

『なんでこんなに、心地のいい空気が流れているんだろう?』

まぁ、それは、ゲスト側の人間だし、見えないところの辛さやたいへんさももちろんあるだろうけれども、こうして、ほぼ日好きな人たちが100名以上も、平日の夜に集まるということ。それがグッと空気を変えるくらいにすごいことだと思う。

食事をして、話を聞いて、ゲームをして、解散する。

誰かの家に遊びに行くみたいな感じだ。

ちゃんとしたイベントなのだけど、やってることはこんなこと。そしてそれら一つ一つが、たのしいし、たのしもうとする人たちが集まっているから余計にいい空気が流れる。そう思う。

あの空間にあるのは、『たのしみ』はもちろんなのだけど、それ以上に『たのしもう』とする心、そのものだと思った。

帰りのお土産に、おいしい(に決まってる)パンをいただき、すぐ、『家族で朝、食べたい。』と思った自分。たぶんわりと満たされている。

今日のnote

おすすめします。ちょっと厳しめな末吉さん。

(ああ、有料noteだとこうなるか…)

少しだけ引用。

お金を払ってでもやりたい仕事ばかりの毎日になる2つの方法。

やりたいと思うことがあったら、まずは期待を手放してみること

だそうです。

そうなりたいな、と思ったら購読してみるとよいです。以上。


ぼくも誰かの応援をしようと思います!