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料理はレシピ通りに作ったら負けかな

――って思っている。

〇〇したら負け

 もちろんスタートラインはただの言い訳であり、とりわけお菓子についてはマジでレシピ通りに作った方がいいということも実体験としてわきまえている。ではその心は――ということでお話してみたい。

 料理を始めたのはここ2, 3年のことであり、技術的には未熟そのもの、インスタ映えするような画像を生成することは夢のまた夢である。必死に盛ったうえで身内に紹介して「へー、いいんじゃね?(真意不明)」くらいのものである(うれしい)。

 そもそもインスタ映えにあたっては、周囲のインテリアデザイン的なアレが肝要である。料理は添えるだけ……。掲題の勝利条件があまりにも違うので、この点については平伏して白旗を掲げる次第だ。

じゃあ何なのよというと、自分が気持ちよくなれたかどうかレースでの勝ち負けである。

 さっと検索してみると、老後を楽しむために創作活動を持つとよいか否か論争も、すでに目新しいものではないようである。

 ただ個人的な意見としては、創作活動はいくつか手を出したものの、正直なところ再開する予定はない。己の内をさらけ出し、仲間を得て、僅かな喜びを得たものの、調子づいてキャンセル砲を食らい、あえなく再起不能になってしまった。

 精神的な生死をかけても戦うエネルギーの源泉が、どうも見当たらない。

 個人的に勝利を確信したのは何かと言うと、料理を創作として楽しむが、他人を巻き込んだ活動を全くしない……というレースである。自家発電で過去と現在の自分と覇を競う(競ってもない)、つまり独り遊びである。

今ハマっているのは貴族の代用品探しの旅である。

 独り暮らしゆえ、アレコレこだわって食品を揃えるのは億劫だ。調味料だってできるだけ使いまわしたい。仕事も息抜きも忙しい。買い物を気ままにブラブラ楽しむ暇も気力もない。コロナ云々以前に外に出るのがダルいゆえに自炊をせざるを得ない。でもそれなりおいしいものが食べたい。

 で、自分自身そこまで食通でもなく、和食なら甘くてしょっぱければそれでおいしい、中華は油=正義であり、洋食はチーズイズワンダホーである。それっぽい専用の調味料がなくても自分の舌は騙せよう。

 そういうわけで、あおさを代用品としてバジルソースの代わりにしたり、天かすを小麦粉の代わりにしたり(小麦粉は家族サイズばっかりである。粉物もケーキもそんなに作らんわいと言いたい)、結局のところ成分的にいっしょならええやろ?? おぉん??? という雑な代用をして遊んでいる次第。もちろん時々クソマズいことになる。

 世の中にお肉を豆腐で代用といった健康的なレシピもあるし、コンビニ飯にちょい足しといった怠惰な人間にやさしい代用レシピもある。でもレシピを検索するコストすらめんどくさいんだ。すまない。プライベートな時間まで誰かに合わせるのに疲れたんだ。文句はまったくない。今後もどうか面倒くさがり諸氏の助けになっていただければと思う。尊敬しかない。

 ――とまあ、ワガママの極みであるが、他でもない自分で引き受けているので誰かに迷惑をかけることはとくにない。それどころか、自分のワガママを自分でお世話して楽しいなど、無限の持続可能性を秘めた幸せ最大効率駆動ではないか。メシマズからのオリジナルレシピ発生などした暁には、約束された勝利の味しかしない。

 そういうわけで、レシピ通りに作ったら(自分の創作の楽しみを奪ったうえにレシピ通りに作るのがめんどくさいので)負けかなって思っている。

われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……