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子育ては学びなおしにうってつけ

本記事は、米国オレゴン州を中心に毎月発行されている日系紙「夕焼け新聞」に連載中のコラム『第8スタジオ』からの転載(加筆含む)です。1記事200円。マガジン購入は1000円。6本以上読みたい方、継続して読みたい方は、マガジン購入がお得です。ひと月に一度のペースで配信(終了予定はありません)。ちなみに一度払えばそれで終わりです。毎月購読料がかかるわけではありませんのでご安心ください(たまに聞かれるので)。

<近況報告>

年末年始は悲願のナショナルパーク巡りをした。ロードトリップで。カリフォルニア州、ネバダ州、アリゾナ州、ユタ州、コロラド州。とにかくアメリカは超超超広大であることを身をもって知った。広すぎる。なんて広い国土を持った国なんだ。

今回の運転距離を日本の尺度に換算したら、福岡から青森に行って帰ってきた距離だった。日本のなかで、一体誰が、そんな旅をするだろう。しかも子連れで。まったくもって狂気の沙汰である。

出発前に、階段から落ちて腰を強打したり(なかなか治らないので皆さん本当に階段にはお気をつけください)、子どもが発熱したり、嘔吐したり、散々であったが、それをもってしてもお釣りがくるくらい、ブライスキャニオンもアーチーズもザイオンも美しかった。荘厳だった。

期待していたキャニオンランズは、雪と霧で、素晴らしい景色が広がっているそこに、まったく何も見えないという摩訶不思議な体験をした。ただ不透明な霧がかかっているだけである。そこに絶景があるのに。あるはずなのに。

ここまで来て、こういうこともあるのだなあ。

やっぱり自然とは生きているのだと実感した出来事でもあった。いつも肌の調子がベストであるはずがないように、吹き出物ができたり、赤らんだり、オイリーだったり、日によって異なるように、ナショナルパークの風景もまた水物である。

同じく雪であった他のナショナルパークは、その雪によってさらに素晴らしい景色に包まれていたのにキャニオンランズはそこに霧が加わって、そんなことには一切ならなかった。

お天気というのはわからないものですね。天気予報で、ぜひとも霧マーク出してほしい(笑)。

これからナショナルパークに行かれる方は、ぜひお天気を見て柔軟に行動してください。霧、注意です。霧のなかで突然現れる鹿や牛にも注意です。

本格的な冬が来ないここロサンゼルスに住んでいると、雪というものの存在を忘れるけれど、雪というものは見た目には綺麗であっても、本来的には体力を奪い、やる気を奪い、子どもを不機嫌にさせるものであることも同時に思い出した。

「雪合戦しよう」という盛り上がりは、10分で終了しますね(笑)。はやかったな( ゚Д゚)

雪を見たときの盛り上がりが一瞬で消え去ったあとは、もう雪を完全に拒否。子どもの「嫌だ嫌だ。寒いの嫌だ」「もう外に出たくない、ママとパパだけで行ってくりゃいいじゃん」悲痛な叫び声を何度車内で聞いただろう。何度説得しただろう。

親としては、せっかくここまで来たのだから、という論理で押したいところだけれども、それは通じない。子どもはそもそも景色に重点を置いて生きていない。

彼女たちは、体験を楽しむ術はもっているが、景色を楽しむ感覚は持ち合わせていないからだ。

雪原のブライスキャニオンは忘れることのできない世にも素晴らしい景色だったが、ただ見るだけのそれは子どもの心を捉えなかった。

一方、細い道を通り、手や足を使って岩をつかみながら登ったザイオンの山は非常に楽しんでいた。

ナショナルパークは、見るタイプと体験するタイプに大きく分かれると思うが、小さな子どもがいる家族には、体験型をオススメしたい。とりわけ登山を。

かじかむ手をさすり、足は感覚がなくなり、ときに滑って尻もちをつき、子どもの手をひきながら登った雪山や岩山は、詳細な記憶として心にずしんと残る。頂上もさることながら、道中も。

雪の種類によって、足元で鳴る雪の音が違うのだが、あれはやってみないとわからない。ぎゅっぎゅっの時と、きゅっきゅっの時があるのだ。「今日の雪は、きゅって音だね」「昨日はぎゅっぎゅって鳴ってたのにね」楽しかったな。そういう小さなことが、とりわけ楽しかった。

小さなことを発見して共有したときほど、心がほわんと温かくなる。家族っていいな。わたしは家族と一緒にここに来ることができて幸せだった。

また旅は、家を恋しく想う気持ちを連れてくるものだ。モーテルに泊まるたび、ああ、家の布団に寝転がりたいと何度思ったことか。スタバに立ち寄るたび、ああ、家で淹れる熱い緑茶が恋しいと何度思ったことか。ハイウェイの途中にあるマクドナルドでチキンナゲットを頬張りながら、ああ、家のキッチンで手作りした温かい食事が食べたいと何度思ったことか。

わたしはあの家が好きだ、あの家に帰りたい、帰りたいと思う家がわたしには確かに在る、それを教えてくれるのが旅の醍醐味でもある。

帰ってきたときの安堵感といったらなかった。読みたい本がすぐそばにある心地良さったらなかった。Wi-Fiを探さなくても、ここではいつもネットも通じる(笑)。ネットは、水や電気と同じように今や立派なインフラだよね。

日常とは、時につまらないものに感じるが(こんなに普通の毎日の繰り返しでいいのだろうかとか)、こんなにありがたいものもない。旅という非日常に身を置いたからわかる。身に染みる。好きなものに囲まれて暮らす幸せを。日常とは喜びである。わたしよ、忘れるでないぞ。

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