日本料理屋さんでアルバイトしていた頃
▼ひと夏で大きな変化があるものだ
たったひと夏でいろいろなことが変わったりする。土曜日の日本語補習校の専務理事が退任になったり(数十年勤務されていた方だったため驚いてしまった)、友人が日本の田舎への完全帰国を決めたり、知り合いが書いた小説が福岡や東京の書店に平積みで並んでいたり。
わたしは八月中旬にアメリカに帰ってきたのだが、馴染むのにまだ時間がかかっている。ふわふわと心が浮いている感じで、ここが自分の居場所だとぴったりはまらない感じが続いている。
仕事をしていても運転していても、ここじゃないどこかを考える自分がいたりするのですね。飛行機ごと心の一部がどこかに飛んでいってしまった感覚です。どうしたものか。
これまでなら九月に始まっていた日本語補習校が、一部の保護者の強い要望で8月から始まることになったので(気持ちはわからないでもないが余計なことをしてくれたなという気もする)、夏休みの宿題は例年より早めに仕上げないといけない事態になり、昨晩はてっぺんをまわっても子どもの宿題に付き合うことになったがこれはいつものこと。
夜に中1の理科の実験につきあい、自由研究をしたりなどした。自由研究というものは肩肘張らず興味のあることを調べたり少し実験したりするだけでできるものなのだという知見を、渡米してから得た。
自分が学生をしていたときはどうして「大作」のようなものをしないといけないと気張っていたのだろう。あの感覚が不思議でならない。ずっと朝顔を観察したりすることが理科なのだと刷り込まれてしまったのだろうと思うが、実験とはもっと広義であっていいし(だって「自由」研究なんだから)、興味のあることを調べてハッとするだけで十分に研究になる。
うちの子にとって自由研究は、わたしの考える自由よりもっと自由なので良いことだなと眺めている。翻って子育てって、子どもの気負いを「そんな大したことしようとしなくていいよ。誰も大したことなど期待してないよ。そもそもあなたの自由だよ」と重荷を除いてあげることのような気もしますが、あなたはどうですか。
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