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父の呪いの言葉

訪れてくださり、ありがとうございます。
本記事は、米国オレゴン州・ワシントン州を中心に毎月10000部発刊されている「夕焼け新聞」に連載中の『第8スタジオ』というコラムの転載記事(修正・加筆含む)です。本記事は、1本300円の入場料をいただきます(価格は字数や内容によって変動します)。なお「夕焼け新聞」というマガジンでご購入頂くとお得です。

「第8スタジオ」はひと月に1本のペースで配信します。異国で暮らす日本人の葛藤、就活、仕事、家庭、育児、バイリンガル教育のさまざまを書いてきました。当連載は6年目に入り、現時点で終了予定はありません。読者の皆様のおかげでここまで続けてこれましたことを、心より感謝申し上げます。

一時帰国もすでに折り返し地点を過ぎて、あと少しになりました。コロナの感染再拡大で、人と会うのがますます難しくなってきた最近ではありますが、どんな夏をお過ごしですか。私は昨日、念願のタンデム自転車に乗りました。

「タンデム自転車」、聞いたことありますか?
前の人も後ろの人も漕げる二人乗りの自転車です。

遠い昔、私は父と、地元のテーマパークでそれを漕いだことがあります。よく憶えているのは、父と外に出かけることが少なかったからだと思う。父が憶えているかはわからないのだけど(前にいるのに彼が忘れてることを確認したくなくて怖くて聞けない)、私は憶えているのです。

晴れた夏の日で、私は父の背中ーそれは白いランニングシャツだったーを見ながらペダルを漕いでいました。というより、ただ足を乗せているだけなのでした。足を乗せたペダルが勝手に動いていくのが不思議で足元をずっと見ていました。

その時おそらくは母も兄も同じ場所にいたはずなのに、彼らの姿はなぜか憶えていません。記憶というのはまったく、切り取りたいところだけ切り取ってしまうものなのでしょう(困ったものですね)。

その光景はどうしてだか、時々ふいに思い出します。ですから、いつか自分の子供とそれをやれたらいいなという願いのような気持ちが、ずっと心のどこかに、食器棚の上に降り積もった埃みたいにうっすらとありました。

近所のカフェがタンデム自転車の時間貸しをしているのを発見したときは心の中でガッツポーズして「神様ありがとう」と空を仰ぎましたよ(笑)。

まさに僥倖でした。風をきりながら、田舎道を必死に自転車で漕ぎました。子供の声が後ろからするんだけど、振り向けば体勢を崩してそのまま倒れてしまいそうなので、振り向かず、声だけを聞いて、声だけを返して、あとは前を見て必死に漕ぎました。

電動ではないその自転車は重いのです。景色は、田んぼ、川、蚊の大群、畦道、畑、ぼこぼこのコンクリート、歩道のない道、草、野生の花、砂利、潮風、そして海。途中で重たい雨も降りました。ビニールハウスの横を通るとき、農家のおばさんの「めずらしかと乗っとんしゃあね」という声が聞こえました。本当はピースサインをしたかったのですが、運転技術の欠落でできず、にんまり笑うしかできませんでした。無念です。

日本にいると、ときどき「子供の自分」に遭遇してびっくりします。子供時代の自分が考えていたことや、見ていた景色や、感じていた疎外感や、壁や、そういうものが時を選ばず、胸に去来するのです。

その瞬間は、音が遠のき、きいんとなり、自分と周りの間に透明の膜が張られ、自分は孤独だ、と唐突に思います。

父はよく「人間は死ねないから生きている」と言ったり、「食べないと死ぬから人間は食べるだけのこと」という発言を昔から繰り返しするのですが、そういう時、きいんという音が私を囲む。この人とわかり合いたいのに絶対にわかり合えないのだと、心が言うのが聞こえる。

9歳の私もそう思っていたし、17歳の私もそう思っていたし、25歳の私もそう思っていたし、そして40歳の今もそう思っているのです。

父は自殺に対する憧れをもった男性です。割腹自殺をした三島由紀夫をとてもかっこいいと思っている。自分もそうしたいけど、できないんだ、と口にする。自分にはそんな勇気はないから、ただ生きているんだ、と言う。その言葉が、子供の自分も今の私も傷つけるんです。本当にそうなのか?と思う。私の心は違うと言っている。人生ってすばらしいものじゃないの? 楽しいところもあるんじゃないの? 死を待つことが生きることなの? そうなの? 私や家族と生きる今は、あなたにとって死を遠くに置きたいものにはならないの? ねえ、お父さん。

しかし私の言葉は父には届きません。この手の話題に関して、残念ながら彼に届いたことがないんです。

呪いのような言葉がこの世には存在します。

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