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東北・北海道旅行 7日目

さて、旅の中間地点であり折り返し地点である礼文に到着し、迎えた朝。
昨晩の激しい雨は落ちついたが、小雨が降り続いている。

キャンプ場の管理人さんから、今日は島内全面通行止めで一部地域に避難指示が出ていると聞く。

炊事場近くでテントをはっていた方々も、早朝、小川から濁流があふれ出し、管理棟に避難しているので、我が家も今日は終日、管理棟で待機してくださいと言われる。

車の中は意外と快適だったのだが、何かあってからではと思い、管理棟へ一家で避難させていただく。

この礼文島の町営キャンプ場は小高い丘の上に、野球ができるほど広い運動場に、小さなキャンプ場が隣接している。

昨晩は暗くてわからなかったが、管理棟に隣接して”礼文番屋”と立派な看板を掲げた真新しい施設があった。

そこには広い台所に、広いダイニング、そして奥には広い畳の部屋があり、2階にも宿泊できる個室がいくつかあるようだった。そこが私たちの避難場所となった。

なんでも、礼文出身で今は福岡で成功した社長さんが自分の故郷に寄付した施設なんだとか。昆布漁など就労体験をしながら格安で宿泊ができる施設とのことで、全国、また海外からも観光がてら、コロナ前は若い方々が来て賑わっていたらしい。

この礼文番屋に避難しているのは、私たち以外に、キャンプ場に宿泊していたソロキャンパーの神戸から来た外国人の男性と毎年、自転車で礼文島まで来て、夏の間2か月滞在するという愛知県からの男性。

2人は深夜、テントで寝ている最中に、激しい雨により氾濫した小さな小川の水がテント内に入り込んできて夜中にテントを撤収し、ずぶぬれになりながら24時間出入りのできる、管理棟に隣接するランドリールームにいたんだとか。

このキャンプ場にはこちらも立派な管理室が番屋に隣接してあり、そこには関西から住み込みでキャンプ場オープンの間、管理人をされている気さくな男性がいた。

24時間管理人さんがいることを知っているはずなのだから、狭いランドリールームに男二人でいるのではなく、管理人さんを起こせばよかったのでは?と思ったが、気が優しく少し、いやかなりシャイなソロキャンパーお二人はそうはせず、朝起きた管理人さんがランドリールームで寝ている二人をみて驚いたという話を聞かせてくれた。

番屋は新しい建物らしく、とても快適で、暖房まで入っていた。なんとテレビはネットフリックスが見れるとのことで、子供たちは自分の家のようにリラックスして過ごしていた。

そのうち、町から役場の方が防災用の非常食やおにぎりなどを持ってきてくれた。そして、一組のお年寄り夫婦も避難してきた。

外の雨はいまにも止みそうなほど小雨になっていたが、昨晩の激しい雨で町の至る所の河川が氾濫し、土砂が道路に流れ込んでいるとのことだった。

わたしたちは礼文滞在の貴重な1日が何もできないまま終わる不安はあったものの、明日には島内観光ができるだろうと聞いて、滞在を1日伸ばし、今日はこの快適な空間を楽しもうと考えた。

わたしは礼文番屋にあった過去の旅行者たちが置いていった本を読んで過ごした。

なかでも本多勝一の「先住民族アイヌの現在」。ゴルゴ13で有名な漫画家さいとう・たかおの「サバイバル」は興味深く、その後、キャンピングカーに戻ってからも借りて読んでいた。

人生で初めての避難生活であったが、こんな環境であったので、とても快適な1日だった。

そんな平和な避難生活の中、小さな事件があった。

午前中に避難していた町の老夫婦。夫婦で個室に滞在していたのだが、寝たきりの夫の面倒を見ていた奥様がトイレで転び眉の上あたりにケガをし出血、起き上がることができなくなったのだ。

管理人さんがすぐに役場に連絡をし、看護師さんを呼んでほしいと伝えたのだが、小さな礼文島、看護師さんもそう多くはないのであろう、ようやくやってきたのはまだ20代前半にみえる若い保健師さん。

到着したのはよいが、彼女自身もトイレで動けないご老体の女性をどうしたらよいかわからない様子。

ちょうど、私は子どもたちがケガした時ようにと大信頼する絆創膏”キズパワーパッド”を持っていた。

これは、息子が小さな頃、滑り台で足の皮が大きくめくれ上がり、皮膚科に通っても通ってもなかなか治らなかったときに、友人の勧めで使用したらあっという間に完治した経験から、我が家の常備バンドエイドとなっているものであった。

保健師さんにそのキズパワーパッドを使用していいか一応確認し、出血を止める。

私自身、3世代家族で育った経験から幼少期に寝たきりになった祖父母の面倒を見る母を見て育った。

その景色が一気によみがえり、その保健師にさんや管理人さんと一緒に頭を動かさないように個室まで運び、寝ている旦那さんに親族の連絡先を教えてもらい、保健師さんから状況を伝えてもらう。そして、しばらく動けなくなることからオムツの使用許可をもらい、私が昔、母が祖母にしていたように寝かせた姿勢で体をゴロンゴロンと動かしながら、オムツを装着した。

作業を終えると、老婦人は情けないように、早く家に戻りたい。不慣れな場所ではトイレでも転ぶし、気を使って疲れると。

なんだか、日本全国災害が起こるたびに、避難場所に行きたくない人々が一定するいて、そんな人々が災害に巻き込まれるニュースを見ていた。

テレビをみながら、なぜ早く避難所に行かないのだろうかと不思議におもっていたが、ここでその理由がわかった気がした。

一方、小さな頃の記憶、経験というのはとても貴重で、東京の核家族で生活する自分の子どもたちがこうした緊急事態に対応できるのかどうか、心配になった。

さいとう・たかをのサバイバルを購入して、本気で子供たちに読ませようかと思ったほどだ。

そこにいた保健師さんや管理人さんには感謝され、家族には”お母さんすごい!”と言われ、照れくさいやらうらしいやらの忘れられない生涯で初めての避難生活となった。

夕方には雨がやみ始めたので、夜はキャンピングカーに戻り就寝した。

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