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最初のノート、最初の絵『無能の図』

初めまして。阿呆川です。

たぶん一年前にある作家さんの書いたエロ本批評を拝読するためにnoteを使い始めました。

それからいろいろあって、ぼんやりしていて生きて来ました。

たまに他の作者さんの記事を読んで楽しんでいました。しかし自分にはどうにも書けないのだ、と思っています。

たまに、絵を描いたりしています。それもまた変なもので、でもそれでいいとして、ただ自己満でストレス解消のために絵を描くのだから、誰も見てくれないし、見られなくていい絵でした。

誰もかもオンライン・プレゼンスを持つ今、私はやはりSNSをうまく使えませんでした。しかし、コロナ禍で引きこもりのような生活になって、やはり寂しがりやで、ネットが必要不可欠になったのです。

頭がわるいので、うまく文書を書けないかも知れません。きっと誤字や間違った表現が入っちゃうと思うし、内容もあまり面白くないかも知れないと思っちゃいます。

(書く途中で急にブラウザが落ちて、幸い下書きがありました)

が、せめて昔描いた絵の話をしてみたいと思います。

例えば冒頭の絵ですが、確かに『無能の図』というタイトルでした。

阿呆川禮均_2017_Impotence-01

ある日の寒い朝に、自転車で坂を登って通学する途中、頭に浮かんだ自画像でした。頭が悪くて、目も悪くて、体もうまく動けなくて、それに絵も文書もちゃんとできない自分のイメージでした。

美術史の勉強をしていて、ほぼ正反対のようなある画家さん二人の大ファンだったので、きっと図像的には影響を受けたと思いますが、自分は絵が下手なので残念です。

ひどい自画像で、ただぼーとして、なにかに囚われてどこにも行かない感じでした。

しかし、せめてこのダメな体が小動物たちの餌でもなってくれれば嬉しいなって思いました。

そこでこのような絵ができたのかな、数年前の話なので、いまはもう詳しく覚えていません。

今は、昔より、だいぶ積極的になったのかな?と思いきや、やはりなにか鉛のような重たいものが心の中に残っているような気がします。

そらから二年間か、ずっとこのような自画像を描き続けてきました。

今日、昔使ったサイトを見る時、アップロードしたこのような絵がたくさんありました。こういうひどい絵を描いた、いつかの私の気持ち、今の私にもなんとなく理解できますが、いったいどんな状況でこのようなものを描いたのか、自分も気になって仕方ありません。時間があったら、また絵を整理して、その時の話を書こうと思います。

今日はここまでにします。またよろしくお願いいたします。

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