プロローグ 『アフターインディア~となりのシヴァはいつまでも青い~001』
プロローグ
アフターインディア――キリスト誕生をもって紀元前と紀元後を区切ったように、2023年2月9日、妻の人生の時間軸にいきなり明確な線が引かれた。インドを知る前と知った後――そのビフォーとアフターとでは、食生活・価値観・ファッション・YouTubeの動画・休日の過ごし方、そして言語まで……何から何まで変化してしまった。
それまで我が家の朝食時には、無印良品の店内やおしゃれカフェに流れているような素敵なBGMが流れていたが、あの日を境にインド映画の激しいダンスソングに変わってしまったし、一年以上経過した今でもあらゆる面においてインド化が着実に進んでいる。今朝(2024年5月12日 母の日)たった今も、インドとも歴史とも無縁だった妻が、すぐそこのソファで『世界の歴史』のインドの章を読んでいるし、サイドテーブルには、初心者用のテルグ語の教本が置かれている。
一般に何かにハマることを「〇〇沼」というが、妻マッリのそれは「インド沼」を通り越して無限に広がる「インド洋」だった。この「インド洋」という言葉は、映画『RRR』(アールアールアール)をきっかけにインドおよびインド映画(特にトリウッド映画)にハマった日本人の界隈では、きっと普通に流通していると思う。
この連載では我が家の『アフターインディア』について、時系列を追って記していく。記述にあたっては、夫婦間のLINE上のテキストとGoogleフォトに残されていた画像を元に、これまでに起きた出来事を、詳細かつ正確に再現するように努めた。
これらの記録が誰の何の役に立つのかはまったく想像がつかないが、妻マッリのインドに対する熱(というか炎)は、なぜかわからないけれど、これは何らかの形で書き残しておかなくてはいけない!と私に思わせるようなエネルギーがあった。その熱意は私に宇治拾遺物語の『絵仏師良秀』を想起させた。
宇治拾遺物語で、仏画を描くのを生業にしていた良秀は、自宅が目の前で火事になって燃えているさまを見て、嘆くどころか
と燃えさかる業火を創作のエネルギーに変換していた。狂気とも言える表現を追求する姿勢。自らの興味にどこまでも従う圧倒的な好奇心。
インド洋へ出帆した妻のゴールがどこになるのか現時点では皆目不明だが、不動尊の起源であるシヴァ神の待つ、青く輝いて見えるインドにつながっているのだとしたら素敵だ。
一方で期待と同じくらい怖さもある。日本の報道を通したインドの犯罪は酷いものばかりだ。週刊少年ジャンプ世代の私のインド観は『ジョジョの奇妙な冒険』で描かれたカオスな都市と、沢木耕太郎の『深夜特急』のカルカッタのイメージで、インド文化に青い輝きを見出している妻を幻滅させてしまうのでは、というような余計な心配が頭をもたげる。
そこで私は「インド洋」と同様に、インド界隈では無数の人が思い浮かべるであろうダジャレ「となりのシヴァは青い」から一歩進めて、夢中になっているインドとインドに住む人々が、この先も輝き続けることを祈って「となりのシヴァはいつまでも青い」をサブタイトルに選んだ。
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