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『子どもが主役の合宿は、世代を超えて受け継がれていた』フットボールペアレンツ014

こんにちは。藍澤誠/Jの先生です。

twitterやインスタを見てると合宿シーズンであることに気づかされます。

塾の子も今日から合宿(その子はラグビー)で菅平に旅立ちました。東京のチームが合宿に行くときは、たいてい山梨か長野、静岡あたりの涼しい場所が選ばれます。

私は小4の終わりからサッカーを始めたのですが、自分が所属していたチームの合宿は「幼体連」という組織の合同合宿でした。幼体連に所属するチームが16チームくらい集まって、2泊3日でみんなでサッカー大会をやるというものです(練習はなし)

私のチームはふだんほとんど試合がないので、最低6試合くらいが保証されているこの大会なんて、ドキドキ・ワクワクが止まらない。チームのみんなで力を合わせて予選リーグや決勝トーナメントを戦う。熱すぎます!

1986年の合宿では、あのマラドーナが着ていたアルゼンチンのユニフォームのチームもあり、私たちはイングランド代表のユニフォームだったので、気分はワールドカップ!

思い出は6年の大会。5年生で参加したときには、他の参加チームとの実力差がかなりあって、「オレたちは弱すぎる」と軽く落ち込んだものですが、6年の大会は、ぜったいに勝とうとみんなで公園に集まって、夏休みに練習しまくった成果もあって(といってもミニゲームをひたすらしているだけでしたが)銅メダル! あのメダルは大事に部屋に飾ってあったんだけど、どこにいっちゃったんだろう。けっこうしっかりした重さのあるメダルでした。

この合宿には「リフティング大会」もありました。参加チームの全員がいっせいにリフティングして、誰が落とさずに最後まで残れるかというものです。

今の子たちみたいに、華麗にリフティングできる人なんてぜんぜんいません。「100回をときどき越えられる3人の選手」のうちの1人が私で、みんなの期待を背負って臨んだのですが、3人とも50回を超えたあたりで落としてしまいました。

みんないっせいにやるものだから、隣の人がじゃまだったりして落としてしまうんです。よそのチームの「レベル違いの子」を体育ずわりしながら、惨めな気持ち半分、尊敬の気持ち半分で眺めていた記憶も今となっては悪いものではないです。

合宿ではチームの監督にプレーのことで怒られることなんてぜんぜんなくて(あったかもしれないけど覚えていないくらいで)それもありがたかったです。

往復の送迎バスも楽しかった。気持ち良い合宿所とグラウンドもなんとなく覚えてる。試合結果が記入されるリーグ戦の対戦表とトーナメント。祝祭的というか、ご褒美的というか……この大会の主役は君たちだからね、みたいな雰囲気が最高でした。

ぜったい勝つ!

と意気込んでいるのは私を含めた主力の数名だけで、監督やコーチは良い意味でぜんぜん勝ちにこだわっていなかったし、単純に旅行気分を楽しみに参加している仲間もいて(普段の練習はこないのに(笑))、みんなでのびのびやったのが良かったのでしょう、今でもこうして幸せな気持ちになれます。

こういう経験をしたから息子ハルキにも「いい感じの合宿」を体験させてやりたくて、5年生の終わりに私が所属していたのと同じチームに、ハルキも入団する流れになりました。

監督は「私が当時お世話になった監督の息子」で、私よりも年下、時の流れを感じましたが、伝統はしっかり受け継がれていたようで、「リラックスした雰囲気のなか、わくわくする大会だけを開催する」という形は踏襲されていました

私は実際の合宿へは行かなかったのですが、遊びに行ったママ友のお母さんたちは「みんな楽しそうだったよ!」「ハルキくんがんばっていたよ!」と報告してくれて、その楽しそうな声を聞いただけで私も幸せでした。

お母さんたちにとってもよい思い出になるなんてすばらしい! チームや連盟の関係者に今でも感謝しています。

「子どものうちは思いっきり楽しめればいい」というのはよく聞くフレーズですが、子どものうちだけではなく、ずっとその先も、大人になっても楽しい毎日を送りたいです。忘れられない楽しい思い出を得られる場を、みんなで大切にリレーしたい。

誰も怖い顔をしないで、大人も子どももメチャクチャ楽しんでいる社会だといいのに。いろいろな夏合宿のツイートを見ながら、リラックスした社会を願いつつ記事を書く、藍澤誠/Jの先生でした。

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