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コロナ後の世界のことを考えよう

とても久しぶりにnoteを開きました。

パリやライプツィヒでの生活のことを書くべく始めたのに、今は京都にいます。

京都でインバウンドの仕事をはじめて、二回目のピークを迎えようとしている時にコロナが流行しました。3月中旬になると毎日キャンセルのメールが来て、そのたびに泣きました。今まで情熱をかけて築いてきたものがこんなものに奪われて、そして旅行を心待ちにしていたであろうお客さんのことを考えると(そして数多ある選択肢の中から私を選んでくれたのに)さらに泣けました。

どうせすぐに収束すると思って、それまで家でのんびりしてようと思ってました。もともとインドア派なので、家にいるのは全然つらくない。好きなだけ寝て、好きなだけゴロゴロして過ごしていればそのうち終わるだろうと考えていました。「かかっても若いから大丈夫」とは思ってなかったけど、スーパーに行くのにマスクなんて全然してなかったし、広告の品を求めて混雑の中に突っ込んでいました。

ヒマなので毎日ネットしてると、各国のニュースが入ってきて、武漢の次は韓国とイタリアがやばいらしい…と思ってると、あっという間にフランスに広がってロックアウト。大変だ〜と思ってたら、ニューヨークでも大感染。数日前まで「ニューヨーカーはマスクなんてしたがらないし、平常運転」みたいなツイートを見ていたのに、今はセントラルパークや道の真中に死体安置所があるという。

そしてご存知のとおり、日本はまったくの無策。無能オブ無能。和牛券にお魚券、マスク2枚ときて、あとなんだっけ。インスタライブやZOOMを通してあちこちで憤って、いつも通り少し離れたところでは「不安になるから煽らないで」とか「政権批判しても意味ない」とか言うような人がいて。学生の時に尊敬していた先輩に、見切りをつけるような出来事もあったりして。

Twitterもちょっとバズりました。

そんな風に日常を過ごして、補償ももらえるんだかもらえないんだかわからないまま、4月中旬になりました。

今私が考えていることは、もうこのまま前の仕事には戻れないかもしれないなということ。コロナが収束してもインバウンドの旅行者が戻ってくるにはかなり時間がかかるし(大反対してたオリンピックもその契機になるならやってもいいかもと思うほど)、もしかしたらこのまま収束なんてしないかもしれない。

家に引きこもって、最小限のことだけにお金を使ってれば少しの間は生きていけるけど、お金が底をついちゃったら次に行こうと思っても行けなくなってします。

この先、世界がどんな変化を遂げるかはとにかく未知数。

今言えるのは、とにかく健康であること。もうこれに尽きる。健康でさえいれば、いくらだってやり直せる。お金だってまた稼げばいい。

とはいえ、お金は大事。できるだけ節約して、というか家にいたままお金につながるような何かをしないといけない。例えばYoutubeとか…。今のところは料理本をつくって売ろうと思ってるけど、つくるからにはちゃんとしたものにしたいので(そしてそのハードルのせいで作業量が半端なくなる)すぐにはできなさそう。みんなの経済的な体力があるうちにつくらないといけないのは必然なのだが。

とはいえ、今無理しても仕方ないし、生産的になれない自分を責める必要はない。とにかく、今一番大事なのは健康であることだ(二回目)。体もだけど、心の健康は本当に大事。幸い、ストレスは感じつつもメンタルは安定していて、ストレス溜まると過食気味になるのに、今はなぜか抑えられてる。

最近いろいろなところで、世界はもうすぐパラダイムシフトが起きるって言われてたけど、こんな形で転機がくるとは思ってなかったな。ビル・ゲイツは予想してたみたいだけどさ。日本なら、災害とかかなと思ってた。もしくはじわじわ真綿を締めるように、少子高齢化の弊害が起きていくかなと。

未来が見えないことには慣れてしまったので、不安にならないのは強みだな。そう考えると、フランスやドイツでのサバイバル生活はとても有益なものだったんだなぁ。過去をつくるのは、いつだって未来の自分だ。


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