「好き」を手離せない
自分で自分のことをある程度わかっているつもり。私は多分、「好き」がちゃんと芯のあるものになってしまったら、そう簡単に嫌いにはならないと思う。
つい最近読んだ占いの本に書いてあった。
「好き」という感覚を大事にすること。誰とも分かり合えなくてもいいやとファンタジーの世界に深くハマることと、現実とのバランスをうまく保つこと。
好きになってしまった。
それから。
ある日までは、目を輝かせて未来を夢見ていた。自担だけでなくて、その仲間が語る言葉に胸を躍らせていた。
あの曲を踊ってほしい!
とか
雑誌でこんな企画が見たい!
なんていう、手を伸ばせば叶いそうなこと。
単独コンサートをしてほしい!
メンバーの願いと自分の気持ちが重なるのが嬉しかった、おっきな夢。
どれもこれもめちゃくちゃに輝いていた。
それが、今は違う。
同じことを願って、ましてや、言葉にしたとして、叶わない夢を描くというのは、まるで後ろ向きを主張するみたいなものなんだなあと。妙に冷静になった。
心があったかくなるみたいに、大事な思い出にできたならいいんだけど、そうなるにはあとどれぐらいかかるのかな?
丈くんがFunky8について話してくれた2019年10月。
一番刺さったのは、「もうFunkyないんや」のひとことだったな。
「あ、あのときの私と同じだ」
と思ったんです。
結局推測でしかないけど、『丈くん、めっちゃめっちゃFunky8のこと好きだった?』と思ったんです。
あーーーよかった。よかった、って。
ぎゅうぎゅうに押し込んでたものが解放されるみたいな気持ちになった。ちょっとだけ。
ちょっと、って言うけど、
衝撃的な劇的な一大事だった。
そんなことを何回も何回も何回も繰り返したら、いつか穏やかな「好き」になるのかな。
って。
この期に及んで、「好き」をやめようという気はさらさらないんだな、ってことだけはわかった。
それに、今のこの現状で、あの頃と同じ夢を声を大にして言いたいかと言われれば違うなぁ。
なぜかって、そんなことをして、「はぁ」ってため息つく自分を想像したらまっったくキラキラしてないから。自分を好きになれないから。
「好き」はそう簡単に手離せない。
ネガティブな気持ちに寄り添い合う「わかる」よりも、キラキラしたときめきでいっぱいの「わかる」がいい。その対象は別々でもいい。あ、でもやっぱり一番は、一緒の方向を見て同じ気持ちで未来を夢見たい。
〜したい、〜したくない。
アイドルもファンも自分がどうにかできる対象じゃないのにいろんなワガママが浮かんで困る。
どうにもできないからこそ、予想通りになんていかないからこそ、自分の想いと重なる願いを見つけたら、死ぬほど大切にしたいな。
結局言いたいのは、Funky8のことが大好きで、夢を見ていたあの時間も、「わかる」も、本当にかけがえのないものだなってこと。
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