ルビーの彼女


魔法のiらんどに投稿してたやつです。





 街宣車がその大きすぎる音をたわませながらどこかへと去っていった。 異常なまでに増えた二月のアブラゼミはジージーと交尾相手を探していた。 薄い壁越しの隣室からは「一口ニュース! ご家庭での簡単ゲノム編集講座」 だなんて初音ミクver.8.0typeアナウンサーの声が聞こえたものだから拳で返事をした。 すると声優殺しとまで呼ばれるようになった電子音は徐々に小さくなり、かえってアブラゼミの大合掌が耳にうるさかった。
  私は震える指で左肘と手首の丁度中点にあたるところを撫でた。ごめんね、と一週間も前からもう何回言ったかも分からない言葉を滑る人差し指と中指に重ねた。 そこには確かにマジックペンで書いたような黒点があり、それこそが私の許されがたい罪の証でもあった。しかし、私の懺悔はアブラゼミとLS同盟のデモ集団にかき消された。絶え間ないジーとジーの間隙に、合いの手を打つかのようなシュプレヒコールが聞こえた。 愛、年齢、無関係。
 私の子は確かにここにいた。 それなのに不甲斐ない私は彼か彼女かも分からないほの柔らかい命を無事に産んであげることが出来なかった。 本来なら産まれてくるはずだった我が子のために後追い自殺をするのが親の責務だと何度も考えた。 しかし、そのことを考える度にお腹にいるもう一人の我が子が叫びを疼痛に変えて私に直接訴えてきた。 萎びていた私の心はその叫びに震えた。 そうだ、私にはまだこの子がいる。 おへその左側に小さくも熱く隆起した火山のようなこの子は確かに私の子なのだ。皮膚の下でもぞもぞと動く実感はなにより生命そのもので、今私は私であり、この子なのだと思わされた。私がついさっき氷をかみ砕きながら飲んだ麦茶も、つまんだグリバグクッキーも、もったいないからと自主回収したスペルマだってそうだ。すべてがこの子の栄養となり、命となる。へその緒なんかではつながっていない私とこの子はたった一度、この子の母親の卵管と繋がって、それ以来ずっと一緒なのだ。マグマのように熱いこの子の胎動は私をリオのカーニバルに連れていってくれる。それは心の底から沸き起こる生命に対する感謝であり、愛の発見なのだ。私は今誰よりもマタニティな父親だ。
 この子の母親はもういない。私に命を預けてくれた彼女は既にこと切れている。辞世の句なんか用意できるわけもなく、ただひたすらに自らの口吻を開閉するだけの最期は涙なしに見れなかった。

 ルビー色の彼女とは近所の公園で出会った。モラトリアム的ジョブホッパーを繰り返した私の履歴書は怠惰と無能の証明書にしかならず、四十手前にしてついに無職になった。頼れる家族もおらず、かつての同級生にはプライドが大いに邪魔して連絡を取ることが出来ず、近年の政策の方向性からから社会保障も受けられなかった。経済的に困窮し、才能やスキルを持たず、貧しい生育環境ゆえの卑しい性分を抱えた人間の行きつく先なんて刑務所か公園だけだ。
一か月前の私はまさにその瀬戸際であった。貯金が目減りし、それでも遠慮なしにやってくる公共料金の支払いをなんとか凌いでいたが、それにも限度があった。
気づいたときにはライフラインがすべて停止しており、社会から隔離されていた。ネットが使えないので情報が入ってこない。これがまだ私が幼少のころであれば新聞やテレビなんかがあったであろうが地球温暖化が加速し、日本が亜熱帯と化した現在ではそんなもの一部の宗教団体しか行っていない。以前、死にかけのデーブスペクターが現代の日本を揶揄して、ネットう列島なんて言っていたがその通りである。
 昔の日本にはまだ情が残っていた。困った人がいたら炊き出しなんかやっていたはずだが、自己責任論が無意識レベルにまで浸透したこの国にもう愛は残っていなかった。
外に一歩出ようものならそこら中からクラクションが鳴り響き、アマゾンのドローンやウーバーの宅配ロボットが高速で通り過ぎる。年間平均温度が45℃になった現代日本はとてもではないが人間が出歩けるものではなくなった。代わりにロボットと野良の犬や猫、狸なんかがわが物顔で闊歩している。
 水道を止められトイレすら出来なくなった私は月光に導かれる羽虫のように公園へと向かった。たかだか一ヶ月の滞納とはいえ、高度に発達した現代日本ではそれだけでアウトになる。もう少しくらい優しく、と思わないわけではなかった。
冷蔵庫が動かなくなったせいで中に入っていた食品のほとんどが腐ってしまっていた。 それでも飢えは恐ろしいもので、私は幾ばくかの食品を貪った。 餓鬼道へ堕ちた私への制裁は過度の腹痛と絶え間ない液状化した排泄物で、まさにカオスであった。
この世は確かに監獄であるが、それは私のような無目的に生きてきた人間にとってであり、リモートワークの恩恵にあずかっているエリートサラリーマン達は明らかに三十年前とは生きやすさが違っている。 起きてから寝るまでまでロボット達の手を借りながら暮らし、肝心の仕事も全てリモート。 運動も趣味も全てVR空間を使えばすべてそれだけでこと足りる。
  資本主義社会はハイテクノロジーと混ざることにより楽園を作り出すことに成功したのだ。 もちろん私のような犬以下の人間もその楽園の裏にはいるのだが。 今の私なんてのはただの腹を壊した無職の男で、これが若ければ革命の条件となったであろうがあいにく私はアラフォーのオッサンなのだ。
 私は腹もだが何より愛に飢えていた。 自分自身で子供を産んでみたかった。妊婦が自らの腹を撫でるのをスマホで見る度に胸の奥がかっと熱くなり、手を出したくなる。なぜ私は男なのだろうか。LS同盟の輩は子供との真剣交際を願っているがそんなことをして何になるのか。いくら人間と愛を重ねたところで、優秀遺伝子リストに登録してもらえなければ結局子供なんぞ産むことは出来ない。
  私は永遠に生命とリンクすることなくこのまま死んでしまうのだろうか。公園のはしで、または築五十年の木造アパートの部屋の中で誰とも有機的に繋がることなく死んでしまうのだろうか。私はお腹をさすった。未だに不要な便なぞを作り出すことしか出来ないのなら、腹の中なんてかっさばいてやろうかと思った。そうすることで私が死のうがどうでもよかった。 私は子供が欲しかった。

 私は神なぞおらず、この世から愛なんて排除されていると思っていたから彼女との出会いを誰に感謝すればよいか分からなかった。ミストサウナのように水蒸気が乱舞し、政策予算切り上げによりほとんどまばらにしかつかなくなった公園の電灯の下、月明かりに照らされた燃える恋のような体表をした一匹のウマバエが私の方に向かってきていた。私はその羽音が発する特定の音楽を、いや求愛のメッセージを驚きとともに受け取った。 
「ようやくみつけました。私の子を受け取ってください。」
 彼女は見た目こそウマバエだが正体は愛の化身だった。自らの子を献身的に守りながら数々の困難を退け、たった一人の異性を求めてここまでやってきた。その姿勢には愛しかなく、私は三十九年間ついぞ見れなかった愛の特異点をそこに見出したのだ。それはなんら大げさではない。人間存在は発達した社会の中で結婚する必要がなくなった。子作りも子育てもすべては国が行い、国が選別した存在にしか次世代を残すことは許されなくなった。
「国家総ハイエンド化計画」
 真の能力をひた隠しにし続け、どこまでも道化を演じてきた小泉進次郎は化け物的政治家だった。その政治的手腕は国民を骨抜きにし、現代において衆愚政治を完成させた。   
国民をSNSのハッシュタグで簡単に煽動できる体制を、落日を迎えていた電通と結託することにより確立し、国内の電気事業を太陽光パネルの会社、電力会社、及び反原発団体と環境団体らと杯を交わすことによりじわりじわりと牛耳った。電気という基幹的インフラを乗っ取られた日本はその後、水道も進次郎にとられ、ガスは「国内総IH化計画」という、進次郎を「魔王」とまで言わしめるきっかけとなった政策により今ではほとんどの場所で使用されなくなった。進次郎がまだ若き頃、当時のトヨタ自動車社長豊田章男はなんとか進次郎の進撃を食い止めようと手を打とうとしたが、それも虚しく日本は進次郎の魔の手に落ちた。
彼の思想は極端なまでの優性思想であった。優れた才能をもつアスリート、学者、アーティスト、ビジネスマンなどには免税などの恩赦を発行するが、そうでないものにはロボット以下の単純労働しかさせず、公衆衛生も社会保障もなにもあったものでない貧困都市、通称地獄に事実上の幽閉をした。そのようなあほな政策も稀代の政治家進次郎にかかれば朝飯前だった。今頃彼は特権階級都市六本木で自らの功績をたたえる人間に囲まれながら悠々自適の隠遁ライフを送っているはずだ。
 私が住む地獄では当たり前のように毒性ガス流布しており、皆が何かしらの身体的欠陥を抱えている。特に男女共に不妊なのはほぼ当たり前で、私も二十八の時には陰茎が滾らなくなった。おそらくこれも進次郎の策略だろう。原発の汚染水を地獄の近海に
ドバドバと流し、低賃金の労働しかやらせない。畢竟、私たちは汚染水を飲むことになり、引っ越すこともできない。結果的に日本から汚染水と非ハイエンドが面白いように減っていく。私たちが怨嗟の声をあげればあげるほど進次郎は高笑い、奴の周りにいる取り巻きたちも優越感で満たしたワイングラスを傾ける。

 しかし結局私も進次郎に骨の髄まで侵された人間なのだ。毎日のように意味もなくミネラルウォーターを積み上げる労働から自主的に解放され、インターネットからも逃げ出した今ならわかる。進次郎のSNSハックを中心とした市民コントロール、企業との鮮やかな連携。その何もかもが完璧だった。過去、進次郎を笑っていた政治評論家も今や進次郎を傑物扱いで、私のような一介の才能なしに出来ることなんか何もない。
 しかし私だって人間で、生命なのだ。町中を堂々と進んでいく円筒型の宅配ロボットや、監視用ドローンではない。なればこそこの汚染された体でも愛を為し、それによって子を産みたいと考えてしまった。子を産むことが出来るなら相手なんて誰でもよかった。とにかく子を産みたい。私だって一応は男に生まれたのに産ませたいではなく、産みたいなのは脳の片隅にでも母性が残っていたからなのか。この母性が誰からもらったかも分からない。集団育児施設「ハチの巣」から非ハイエンドのソーシャルタトゥーを捺され、半ば追い出されるときにもらった出生証明書には個体名AAA1とBBCU1の配合によって生じたという旨が書かれていたが、ハチの巣内でも特段に勉強のできなかった私はそれが何をいみするのかてんで理解できなかった。

 ルビー色のウマバエは私が見てきたありとあらゆる生き物の中でひときわ綺麗で可憐だった。彼女がひとたび飛翔するだけで私の気分は舞い上がり、今すぐにでも家に連れて帰りたい気分になった。私は初めての恋をしていた。元から性的な傾向は微弱で異性も同性もまったく性の対象にならなかった。昔はそのことに違和感を覚えなかったかというと嘘になるが、今ならわかる。私はルビー色の彼女と一緒になるためにこの世に生まれてきたんだ。

 彼女は積極的だった。初めてのキスは真夜中の公園で彼女の方からだった。思わず私は驚いてのけぞってしまった。そのことに気を悪くした彼女は今度は私の耳元の近くでブブブッと私にしか分からないように文句を言ってきた。彼女は進次郎国家が用意するアニメーション作品でいうところの「ツンデレ」だった。確かちょっと前まで一緒にミネラルウォーターを積み上げていた細井とかいうデブがしょっちゅうそんな話を一方的に私にしてきた。しかし、今だけは細井に感謝せねばならない。あの競馬を一切やらないくせにやたらと平成の競走馬に詳しい肉の塊のお蔭で、私は彼女の意図したいことを理解できるのだから。
「もう、こんなことするのあなたが初めてなんだからね!」
そう言いながら私の周囲をくるくると周る彼女にごめんなんて謝ったりしながら、
ああ、これが痴話げんかなのかと不自然な高揚を抑えるのに必死になりながら、それでも気持ちよく笑った。
 私たちの周囲には月光だけがただまっすぐにさしていた。

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