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誕生日こそメメント・モリ

唐突ですが、本日は私の誕生日でして。

最近はnoteもご無沙汰にはなってきましたが、せっかくの機会なので久々にこちらでも。

つい先日、アトツギWeekend北九州というイベントを企画し、開催してきたのですが、その打ち上げの際に「私は日々、その日に死んでも良いと考えている」と、改めて中二病的な発言をしていました。

ただ、これはあながち中二病の再燃というだけではなく、日々の活動の中で感じていることでもあります。
活動を進める中で、いつも意識にあるのは「今私が居なくなったら、この活動はどうなるのだろう?」ということ。
取り組んでいる様々な活動は、自分自身にとってもやりがいのあることばかりですが、一方で、それだけではなく、社会にとっても必要だからこそ、取り組んでいるという動機があります。

となると、仮に私一人が居なくなることで途絶えてしまうような活動の在り方はよろしくないという思いがあり、常に「どのように仕組化」出来るか、ということを根底に持っています。

一方で、そうは言っても、心のどこかには「私が居なくなった程度で続かない取り組みなら、しょせんその程度だったのだ」という思いもあります。これは諦観というよりも、仕組化できなかった場合の己の力不足を恥じる意味合いもあります。

少し話が飛びますが、以前、自分自身のキャリアサイクルは6年周期という記事を書きました。

そして、この中で「2020年がフェーズ4の始まりである。」と書きましたが、ここ最近は、今の状況ですらコンフォートゾーンに陥っていないか?と自問自答することが多くなりました。
これは恐らく、フェーズ3を2013~2019年事業支援時代としていたのに対して、結局は今もその延長線上に居てしまっているからではないかと感じています。
2015年から始まったe-PORT2.0が、北九州市DX推進プラットフォームと名を変え(正確には統合し)、その中で立ち上げたデジタル化支援の取り組みが内閣官房Digi田甲子園で優勝した一因にもなったことで、変な話、心のどこかで満足してしまっているのを認めざるを得ないです。一程度、道は作れたのでは、と。(もちろん、あるべき姿となっているわけではないので、やれることはまだまだあるのですが)
そういったことを鑑みると、そろそろ事業支援時代からは少し軸をずらして、活動を進めても良いのではないかと感じています。

では、どのような軸のずらし方をするのか。
これまでは「コーディネータ」と名乗り活動をすることが多かったのですが、今後はもう少し、事業企画に軸足をずらして企てる事に挑戦していきたいな、と。その一つがアトツギWeekendでもありました。
私の中でのコーディネートと事業企画(プロデュース)の捉え方の違いについては、また別途機会があれば書きたいと思います。
これまで、パートナー組織の立ち上げ、ビジネス創りの対話会、補助制度の設計、そしてデジタル化サポート事業など、いずれも企画にも携わってきましたが、実情を言えば、経験豊富な上司や同僚のアイデア、あるいは外部で行われていることを具体的な形に落とし込み、域内で実現してきただけであり、その種自体を自分では見つけられなかった、創れなかったというところにまだまだ己の未熟さを感じています。

よく0⇒1が出来る人と、1⇒10が出来る人はタイプが違うだけ、ということはありますが、その中でいえば、私はアイデア(1)を具体化(10)してきたわけで、アイデアそのものを作り出してはいません。
役割分担なのだからそれでよし、とも言えますが、出来得るなら両方やりたい、というのは本音のところです。結果的に出来なくても、せっかくの人生、やらなくても死ぬなら、死ぬ前にそのような試行はしてみたい、そのためにはインサイトを得るためにはAll Actionだよね。ということで、42歳の決意表明じみた雑文を終えたいと思います。

ちなみにメメント・モリとは「死を想え」というラテン語で、当初の意味から現代で使われている中では色々意味合いが変遷している言葉です。
私はどちらかというと、当初の意味合い(食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから)でも捉えていますが、一方で「何をしたところで所詮泡沫」という感覚も合わせて捉えています。

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