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社会人としてきちんと

わたしの心にきめていることに、人として変な人だと思われてはいけないっていうのがある。

変な人って何かっていうと、
老け込んでいたり、髪の毛がパサパサorボサボサだったり、暗い顔つきだったり、目が落ち込んでいたり、シワが入りまくってたり、ファッションが明らかにトンチンカンだったり、靴下が左右でちがうのを履いていたり(おしゃれぽくもない)、服に穴が空いてたり、擦れたりよれたカバンをもっているとか、靴がへたってるなど無数にある。

あ、それから、不審者っぽいかどうかも気になり、挙動不審だったり、おかしな行動をとっていないかもチェックをおこたらない。

おかしな行動っていうと、慣れ慣れしく人に話しかけたり、突然泣き出したりとか、同じ道を行ったり来たりしていないかとか、そんなこと。もっとたくさんあるかもしれない。

評価や外面を気にしてる人たちと一緒にいる場だったり(多かれ少なかれ人は気にしているように見えるけど)、不特定多数の人が集まる場にいくと、かっこいい悪いとかダサいとか可愛いとか老けてるとか女性のレベルをジャッジされたり、着ているもの身につけているものを見て社会的なステータスを判断され、避けられたり嫌われたりするのが怖くて無難な格好や髪型、ありのままではなく自分が見せたい自分を演じられるように、場合によっては化粧まで張り込んだりすることもある。

(本当はまったくの自由を求めてるのに!!)

それから、どこかで人並みにお金を持っている人だと思われたいっていう願望もある。

本当は暗いから、それを隠すように明るくてキラキラしているように見せたくなったり。そういうのを装えない(ファッションだけでも)だけで悲しい気分になり、装えると楽しい気分になったりする。

当たり前といえば当たり前なんだけど、外見については、母からの圧力が一番すごくて、一番影響を受けたところだった。社会人としてきちんと見えているのか、女性としてきちんとした身だしなみができているのか、そこに重点をおいてチェックし、ごちゃごちゃ言ってくる。

本人がしたいようにすればいいじゃんって反発していたし、今でも反発はあるものの、実際には母の他者様視点はしっかりと浸透して、人様にみられて恥ずかしい格好をしない、社会人としてきちんとっていう価値観にどっぷりつかることになった。

ここから解き放たれることはないだろうとおもうくらい、自分の中に根づよくある。

そんなわけで、このブログにどんな写真を載せるのかも大事すぎて、化粧をしていない写真なんてのせられないし、いい顔していて、肌の血色が調子がいいやつなど気にしてるうちに何も載せることができない。かと言って美肌調整とかするのも真実ではないし、、(笑)

握りしめた無数のジャッジメントを活用して、瞬時に相手がリスクのある人か自分と話してもいい人なのか、いい感じのひとなのかを判断して、事件や事故に巻き込まれないようにしてきたんだとおもうけど、

そんなジャッジをすべててばなして、外見なんて関係ないよねって心から言えたらいいなっておもう。自分にもさ、外見的にそのままの自分がいちばんうつくしい、いちばん愛らしいし最高だ💕って思えたらすごく幸せだろうなとおもう。

とりあえず、すこし心がざわつく、素の自分でも晒すかな。


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