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内観ワーク(こんな風に対話しています)

何度も向き合ってきたこと。また今日も向き合おう。ただここにこうあるだけでわたしはふるえる。緊張するんだ。わたしが今ここにいるってこと、そのことに何の問題もなく、もろてをあげてOKを出していないんだ。もっというと、ありのままでいることを許可制にしている。

この人たちは安心。何を言っても受け止めてくれる。この人はいつもきりっときちんとしているから、こわい。何か間違ったことを言ったら嫌われてしまうかもしれない。初めての人もどうか慎重に。うーこわい。わたしの人柄を隅から隅まで細かにジャッジしているかもしれない。

わかりやすく話さなければ!→話ができない、通じない人だと思われないように。がんばれ、落ち着いてお話しするんだ!変な女だと思われないように。可能な限り正しく、正確に、真面目に。仕事ができない人だと思われないように。

良い人だと思われたい。すごい人だと面白い人だと思われたくて虚勢をはる。

うん。日本の平均的な社会によく居そうなだれかを演じたり、そこから少し逸脱した感じも演じてみる。逸脱しすぎていないことも重要で、微妙に調整する。そうそうそう。それだ。そうしていれば安心なのだ。

はー、こんな承認欲求には正直うんざりだ。わたしがわたしのままでいたらダメなのだろうか。それはそんなに恥ずかしいことなのだろうか?歪めなければならないような何かを持っているのだろうか。

垣根を作らず。人を疑わず。常にジャッジされてるという思い込みを捨て。武器をおろして手放して、弱い自分をさらけ出す。そのほうが愛されると思うよ~、ようこさん。はずかしい自分、お話がへたな自分、緊張しいな自分をオープンにするのだ。「今ここ」で感じている恐れを、フルオープンで見せてしまえ。

うん。それできることもあるけど、なんというか。仕事は特にこわいのよね。評価されなければいけないが強い。楽しんでいればお金がもらえるって思えない。

うむ。どこにフォーカスするかなんだろうね。たのしいっていうのは、純粋にその時、その瞬間を夢中になっている時だから。「楽しい」に夢中になっていいって許可をだせていると、きっとたのしいんじゃないかな。お金や評価が頭につきまとい、そこに強くフォーカスした瞬間につまらなくなる=こわくなる。そういうものな気がするわ。

そっか。評価されているかどうかより、今これをやって楽しい感じに強くフォーカスすればいいんだね。なるほど。






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