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1.社畜と蔵粋

「ドラッグストアの薬剤師ってさ、給料高いから良いよな」

また、この話題か。
望月颯はうんざりしながら、飲みかけだったビールを一気に煽った。

大学の友人達との飲み会。酒を飲んで息抜き出来るかと思いきや結局いつも給料の話だ。
ドラッグストアの薬剤師は民間の病院や薬局の薬剤師と比較すると給料は高い。

だが、給料には合わない過酷さがある。
それは勤務した者にしか分からない。

シフト制が故、月数回ある朝から夜までの勤務。
市販薬の販売を片手間にやりながら、病院で発行された処方せんの調剤をこなす。

薬局の管理者でない社員の場合は応援で夜間営業している店舗に応援にいくケースだってある。

(給料高いからいいよなって毎回言われるのも面倒なんだよな)

「悪い。俺もうビール飲みきったし帰るわ」

颯は上着を脇に抱えてお金をテーブルにおいた。
横に座っている友人が名残惜しそうに口を尖らせている。

「もう帰るのかよ。まぁ、しょうがないか。新婚だもんな」

「おう、また時間が空いた時でも飲もう」

まだ飲んでいる友人達を横目に居酒屋を出た。
飲み足りなかったけれど、気分が悪いままあの場で酒を飲むのは気が向かない。

「別に、お金目的でドラッグストアに就職したんじゃないのにな」

ふうっとため息が出た。
自分の呼吸がわずかにアルコール臭がするのが分かる。

早く帰って妻と飲み直したかった。

ーーーーーー

「おかえり。飲み会なのに帰り、早くない?」

帰ると、妻の早苗は先に1人で飲んでいた。

自分で作ったのか、皿にはだし巻き卵。日本酒が入った彼女のグラスは少し結露を帯びていた。

「気分がのらないから早めに帰ってきたんだよ。俺も飲みたい。日本酒」

「飲むのは良いけれど。ついさっき荷物が届いてだな。多分お酒なんだけれど君、こんなの頼んだ?」


彼女が指差す先には日本酒の※4合瓶サイズの段ボール。荷物を受け取ってすぐ玄関の横に置いたのだろう。(※4合瓶=720ml)

「住所見たら喜多方の酒屋みたいだけれど、こんな酒屋、定期便で契約なんかしてたかな?」

早苗が横でおののく。
「えっ、何それ。恐いんですけど」

「とりあえず開けてみる?」

颯がカッターを使って丁寧に段ボールを開けていく。
茶色い瓶が見えた。手で瓶を持ち上げる。

「これ、なんて読むんだ?」

早苗がラベルの小さく、か細いふりがなをジロジロ見ながら呟いた。

「くら…しっく…?」

蔵に粋と書いて「蔵粋」(くらしっく)と読むらしい。
日本酒が大好きな颯だが、この蔵のお酒を見るのは初めてらしい。
蔵粋というメインの文字の左側に「アマデウス」という文字が書かれていた。

「当て字か。お洒落な名前だね」

早苗が何か思い出したように手を叩く。
「このお酒、旅行本に載っていたよね?お酒の元になる醪に音楽を聞かせて発酵させてるとかいう。」

ああ、とも言いそうな顔で颯が答える。
「ワインでもそういうのあったよね。音の振動で酵母の動きが活発になって味が変わるって。にしても、早苗よくそういうの覚えているよな」

颯がふと段ボールの中に目を戻すと底にA5サイズではなかろうか、一枚の紙が入っていた。

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【望月 颯様】
親愛なる、クラシック。
290年以上の歴史をもつ喜多方の酒蔵、小原酒造。
クラシック音楽を聴かせながら発酵させた
「蔵粋(くらしっく)」は日本初の音楽酒として注目させています。

アマデウスは、もろみの時にモーツァルトを聴きながら育った純米酒です。温度は常温がとても美味しく感じられるかと思います。
なお、お代は貴方様のご友人に頂戴しております。

心置きなく喜多方のお酒をお楽しみください。

酒屋・谷芯
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颯は首を傾げながら呟いた。

「日本酒好きの友人なんて沢山いすぎて分からないな…」

平らな酒器を2人分用意して酒を注ぐ。
米の甘味が鼻で感じ取れるくらいだ。

口に入れれば濃厚な旨味が頬の内側を撫でていく。

「これ、旨口のお酒だね。颯くん、こういう味好きなんじゃない?美味しい」

早苗が横でニコニコしながら酒を飲んでいる。

颯は「そうだね」と頷きながら早苗の顔をホッとした顔で見る。

(あの時違う判断をしていたら、今、早苗はどうなっていたのだろう)

ーーーーーーーーーーーーー

妻の早苗とは会社の飲み会で出会った。
颯と同期で、でも国試浪人してるから彼女の方が1つ年上。同じ職種の薬剤師だ。

気がまわり仕事もそこそこ出来て、よく酒が飲める子だった。日本酒が好きな颯と意気投合したのは言うまでもない。

体力に自信があるから結婚しても社員で働きたい、結婚前に彼女はそう言っていた。だが、本人の希望とは裏腹に事は起きた。

入籍2週間前だっただろうか。
早苗の方が早あがりだったのに、彼女が家に帰ってきていない。帰宅予定の時刻より3時間も遅く彼女は仕事から帰って来た。

手にぶら下げてるビニール袋にカップラーメンの緑のたぬきが2つ入ってる。

「早苗、どうしたの?仕事で何かあったのか」

「颯くん、ごめんね。夜に処方せん沢山きて、市販薬の相談もあって…。後輩1人じゃ回しきれなくて可哀想で、残業するしかなくて」

その場で早苗はしゃがみこんで泣き出した。

「一昨日、24時間店舗の応援で夜勤だったから、疲れていて…一緒に暮らしてカップラーメンなんて買ったことないのに。ご飯作ってあげられなかった。本当に本当に、ごめんね」

月に3回以上の朝から夜のフル勤務、定期的に回ってくる応援の夜勤。
早苗は責任感が強い。家事も自分がやりたいことは独占してやるタイプだった。

あ、駄目だと思った。

このまま、このお店で残業が続いて生活が乱れていったら彼女が潰れる。
体力がどんなにあっても疲弊してライフワークバランスに影響が出れば精神面から潰される。

「早苗、このままだと早苗が潰れちゃうから働き方変えよう?パートだっていいじゃん。転職したっていいし。それに俺ご飯作るよ」

颯は背中をさすりながら、声をかけた。
早苗は顔をあげて首をふった。

「嫌だよ!パートになったら私、今のお店から異動になっちゃう。せっかく患者さんに顔少しずつ覚えてもらってるのに…転職だってしたくない。あのお店が良いんだもん!」

その夜は口論になった。
彼女があそこまで仕事に執着して何故そんなに店にこだわっているのか、颯には分からなかった。

数日かけて説得して早苗は社員からパートになった。店舗の異動は彼女の中で唯一の妥協点だった。
それからは早苗は家事が出来ない程、疲弊することはなくなった。

ーーーーーーーーーーー

後日、届いた蔵粋をお燗にしようって早苗と約束してそれを楽しみに仕事を終わらせて帰った。

「ただいま」

早苗が夕食を作り終わって並べているところだった。
怪訝そうな顔で彼女が聞いてきた。

「ねえねえ、颯くん。君さ、先週の日曜日の夜に小柄な可愛らしいお婆ちゃん、接客した?」

颯が驚いて顔を上げる。

「え…?早苗、それ…なんで知って…」

早苗は颯の言葉を遮った。

「そのお婆ちゃん、私が今勤務してるお店の患者さんなの。旦那さんにお礼言っておいてって言われた」

その日、颯は朝から夜のフル勤務だった。
日曜日の勤務は好きじゃない。
医療事務だっていないし処方せんが沢山きたら、その日はハズレくじ。1人で全部やらなきゃいけない。

ちょうど人がひいて閉店1時間前くらいだったと思う。小柄なお婆ちゃんが体温計を持って調剤室にやってきた。颯を見るなり、あ、すみません。と声をかける。

「あのね、体温計が動かなくて。電池新しく入れたのに。新しいの、買った方がいいのかな」

あぁーと言いながら颯はお婆ちゃんから体温計を預かり中身を確認する。

「これ電池、逆に入っちゃってますね。直しますよ」

処方せんも市販薬の接客もきていなくて、タイミングが良かった。颯が電池を入れ直すとピピッと体温計から音がして数字が表示された。

「これで大丈夫ですね」

体温計をお婆ちゃんの手に戻す。
お婆ちゃんは安堵した様子で「ありがとう」と小声で礼を言い帰っていった。

日曜日の夜にお婆ちゃんの体温計の電池を入れ直してあげた。
ただ、それだけのこと。


「お婆ちゃん、次の日が透析でね、感染対策で熱を測ってから病院に行かなきゃいけなかったから、体温計が動かなくなって焦っちゃったみたい。1人暮らしだし日曜日の夜9時に普通の薬局なんてやってないからさ」

早苗から聞かされた事実に颯は声をあげた。
「え?!あのお婆ちゃん透析やってるの?!」

「彼女が家から歩いて行けて夜まで営業してる薬局、それがたまたま君のお店だったんだよ。うちの店は病院には近くとも彼女の家からは遠いし日曜日は営業していないから。」

話を続ける早苗に颯はさらに聞き返す。
「でも、なんで俺らが夫婦って分かったの?」

早苗がニッと笑ったのが分かった。
「望月なんて珍しい名字の薬剤師、ここらへんじゃ、そういないからね。それに前、お婆ちゃんに旦那が同じ会社なんだって話したことあったから」

(あ………)

同じ店がいい。
患者さんに顔やっと覚えてもらったのに。
働き方を変えたらと颯が提案をした時、反発した結婚前の早苗を思い出した。

「この仕事、体力いるし異動も結構あるし大変だけれどさ、こういうのたまにあると嬉しいよね」

早苗が徳利に瓶半分残っているお酒を注いで温め始めた。

「あの後調べたんだけれどさ、この蔵粋を造ってる小原酒造さん、リキュール造ってないんだって。純米酒だけ。こだわってるよね。しかも家族と親戚の少人数だけで仕事回してるの。喜多方で一番小さい蔵なんだって」

湯煎で温めている徳利から薄い湯気が出ている。

「ドラッグストアの薬剤師なんて人数絞る割に多くのタスクをこなさなきゃいけない。でも忙しい中、仕事で芯というか、こだわり持ってやっていく必要ってあるよね。じゃないと患者さんに適切な医療の提供も出来ないし、利益の質が落ちちゃうもん」

湯気を見つめながら、耳を傾けていた颯が口を開く。

「体張ってサービスの質保ってる俺らの仕事と似てるよな、酒蔵って」

完成したお燗の香りをかいで、早苗が唸る。
「お燗出来たよ。常温とはまた違う顔だね」

お猪口に注いでこっそり飲もうとしてる早苗に気づいた颯が制止に入る。
「あ、おい、味見先にするなんてズルいぞ」

給料高くていいよな、そう言われても今なら彼らに胸張って「やることやってるんだよ」って、やんわり言い返せる気がする。

お燗の味見をしながら颯はそう思った。

それにしても、この「蔵粋」を送ってくれた俺の友人とやらが宛先に名前もなく全然誰だか心当たりがない。書いてあるのは酒屋の名前だけ。

この酒屋・谷芯の店主にでも聞けば何か知っているだろうか。
喜多方に旅行に行ったときにでも寄ろう。この「蔵粋」を造っている小原酒造にも。


第1章    社畜と蔵粋        ー  完   ー

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