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1.喜多方 志ぐれ亭

~今宵はどんなお酒を送ろうか~

蔵粋と社畜 spin off 番外編


(30分前に宿を出られたから、今頃、彼らは会津若松らへんにでもいるのだろうか)

和食旅館しぐれ亭の店主、志村雅実はそんなことを考えながらチェックアウトとなった客室を片付けていた。

昨晩、宿泊された夫婦は2回目の宿泊だった。
1回目の宿泊で志ぐれ亭の日本酒のラインナップや料理に凄く好感を持ってくれたこともあり、リピーターになってくれたらしい。

中でも彼らは喜多方の小原酒造「蔵粋」という日本酒をとても気に入っていた。

志ぐれ亭でもアルコール飲料のメニュー欄に小原酒造のお酒を載せていて、銘柄を見つけるなり高いテンションで「これ、ください!」と奥さまは楽しそうだったな。

会津の良さを1つでも知ってくれて嬉しい。

志村にとって、この仕事はお客さまの笑顔を見れることが一番のやりがいだった。

志村は小学生から高校までを会津で過ごした。
その時はこの会津の環境に対して何とも思わなかったのかもしれない。

学生時代から社会人時代は横浜のホテルマンとして活躍していたが、建物ばかりの都会のど真ん中で妙な違和感を感じていた。

「山」がないのだ。

会津に住んでいた頃はいつもどこか後ろで磐梯山が見守っていてくれた。家にいる時も、学校にいる時も。

「山」がないと落ち着かない。

忙しい社会人生活を過ごしていく中で、自分は故郷愛があって「いつか会津に戻るのであろう」と気持ちが知らぬうちに生まれていたのだろう。

それに気付いた時、会津に帰って田園の中にポツリと母の建てたお店を継ごうと決心をしたのだ。

こうして形になっていったのが「志ぐれ亭」だった。
お昼は料亭として営業し、夜は1日2組だけ宿泊出来るという隠れ家的なコンセプトの宿。

古民家はもともと建っていた家を解体して組み立てた、とても風情のある建物だ。

志ぐれ亭では客室で泊まった人達が日記のように自由に書くことができるいわゆるお客さまの旅の手帖が存在する。

2部屋しかない客室に一冊ずつ置いてあり、宿泊するお客さまが好きなように志ぐれ亭で過ごした時間を文字におこして残していく。
中にはちょっとした絵を描いていってくれる人もいた。

チェックアウトが済んで、部屋を片付けて掃除している合間にお客さまが書き置きしていった手帖を読むのが志村の楽しみの1つだった。

ひと通り、片付けが済んで、机の上に行儀良く置かれている手帖を開く。1日1ページずつお客さまが書いていくので日記帳みたいになっている。
昨晩、この部屋に泊まった夫婦は字面を見る限り奥さまが書き置きをしていったようだ。

【5月◯日 2回目の志ぐれ亭さんお泊まり。美味しいお酒にお料理、やっぱり最高でした。馬刺しの食べ比べ、里山の野菜。春野菜の天ぷらは揚げたてサクサクのものを出して頂いて本当に美味しく、若旦那さんのおもてなしの心がとても嬉しかったです。】

そこそこに長い文章で、肌寒い時期だったから寒かろうと湯タンポを入れていたことや、朝のコーヒーが居間に宿泊者分用意してあったことへの気遣いに対して感謝の意が述べられていた。

文章を読み進めていくと、ふと、志村の目に止まった内容があった。

【昨晩、お話頂いた夢心酒造とほまれ酒造の話はとても感動しました。】

喜多方で日本酒を造っている酒蔵は13蔵あって、ほまれ酒造はそのうちの1つだ。志ぐれ亭から最も近い酒蔵で宿泊されているお客さまにも観光地として案内している場所である。

ほまれ酒造は何年か前にIWC(インターナショナル・ワインチャレンジ)でチャンピオンを獲得していた。
IWCとは世界的に権威のあるブラインドテイスティング審査会の1つである。

ほまれ酒造と一緒に切磋琢磨して頑張っていた蔵が夢心酒造。今、若い層から大人気の「奈良萬」を造っている蔵だ。

酒造りの技術に長けていた夢心酒造は、ほまれ酒造の酒造りのフォローに入った。夢心酒造もIWCに応募したものの敗れてしまい、見事チャンピオンに輝いたのは、ほまれ酒造だった。

夢心酒造としては悔しいと思っても仕方のない状況であろう。だが、夢心酒造の社長は、ほまれ酒造の栄光を自分のことのように泣きながら喜んだという。

この酒蔵の話だけに限らない。

喜多方という場所は稼ぐのは程々に皆で助け合って成り立ってきた街だ。決して欲張らない。だから心に余裕があるのだ、と。

喜多方の人間として志村がずっとお客様に伝えてきたこと。

文章を最後まで読んでフッと志村は嬉しそうに笑い、帳簿をパタンと閉じる。

今日はお昼からお子さん連れのお客さまがいらっしゃる予定で客室の掃除を早めに終わらせ、食事の準備をせねばならない。

洗濯物をまとめ、掃除機がけを終えると志村は客室の引き戸を静かに閉めた。

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志ぐれ亭では「一歳の一升餅プラン」という食事プランを設けていた。「食べ物が一生もつように」というゲン担ぎから、1歳の子供に一升の餅を背負わせ歩かせるのが地元に根付いた風習である。

大切な一歳の誕生日のお祝い。
今日の昼はその一升餅プランの予約のお客さまのみだ。

予約時間の少し前に入り口の引き戸がガラガラと音を立てて開く。

「すみません。予約した斎藤です」

志村が出迎えると一歳とは思えないくらい大きい子供を抱えた男性が玄関口に立っていた。
奥さまであろうセミロングの女性が後から引き戸を開けて入店する。

「お待ちしておりました。ご案内します」

志村は挨拶すると、漢字の襖が並ぶ座敷に彼らを案内した。黒と赤の会津塗りを模したようなテーブルと椅子が並んでいる。子供を子供用の椅子にちょこんと座らせてから、夫婦は椅子に腰掛けた。

「今から一升餅と料理の準備をして参ります」

志村は会釈をして、厨房へ戻った。
厨房では料理長が腕をふるい、接客担当は志村の仕事だ。
出来た料理を志村が部屋へ運び、夫婦に料理をひとつひとつ丁寧に説明する。夫婦はうんうん、と静かに相槌を打ちながら志村の説明に耳を傾けた。

お造り、茶碗蒸し、こづゆ(※会津の郷土料理)、手打ち蕎麦…

どれも志ぐれ亭の自信作の料理だ。

「これ、美味しいね」と夫婦で話しながら、舌鼓を打っている。

店で用意した一升餅を背負わせ、転びそうになりながらも足を踏ん張る我が子に夫婦はとても楽しそうだった。

無事に行事を見届けて、昼の部がもうすぐ終わる。

昼の部が終わったら本日の宿泊の準備をせねばならない。志村は次の段取りを考えながら、斎藤夫婦の食事会計をする。

「これ、割引き券です。今後、利用される時にお使いください。期限が限られるのですが」

金銭のやり取りが終わり、志村は男性に手渡しで割引きチケットを渡す。

「いや、本当に美味しかったです」と彼はチケットを両手で受け取った。

「自分、出身は喜多方なんです。今は職場の関係で北会津に住んでまして…今日、家族の行事をこちらでやらせて頂いてなんだか懐かしくなってしまいました」

背中でスヤスヤ眠る我が子に目配せながら、男性はそう言った。

「来て頂くのは初めてですよね?どういった経緯でうちを知って頂いたのですか?」

一升餅プランなんて、なかなか予約は入ってこない。ましてや一歳の子供がいる客とは相当限られるであろう。昼の部は観光客が昼食をとったり地元の人が会食に利用することが殆どなのである。

そもそもこのプランは認知度が低いプランで初めて来店される方が利用するのは珍しいと志村は思っていた。

志村の質問に、あぁ、と男性はタジタジしながら口を開いた。

「従姉妹が…僕の子供が一歳になるから行事をどこでやろうかなって悩んでいた時にアドバイスをくれたんです。志ぐれ亭さんはどう?って。一升餅プランがあるよっていうのも教えてくれて。関東に住んでいてここに泊まりに来てると思うのですが」

彼の口から出た望月早苗という女性の名前。

志村は目を見開いた。
昨日泊まられて今朝、見送った夫婦の奥さまだ。

「ええ、何回か泊まりにいらっしゃってます」

志村の返答に、あぁ、やっぱり、そうなんですねと男性は話を続ける。

「喜多方出身なのに、志ぐれ亭さんのことは今まで知らなくて。従姉妹に教えてもらわなかったら、こんな素敵な時間は過ごせなかったです。従姉妹も志ぐれ亭さんのことは小原酒造さんに聞いて知ったらしいんですよね。彼女に蔵粋ってお酒を勧められて、今日僕もメニューで見つけて飲んでみたくて妻が運転してくれるって言うから少し飲んじゃいました」

男性の頬はアルコール摂取の影響なのかほんのり赤くなっていた。確か、料理を運ぶ合間に入った日本酒の注文は蔵粋の生酒だった。

(そういうことだったのか)

志村の中で合点がいった。

車のエンジンをかけて外から男性の奥さんが「もう行くよ」とガラガラと店の玄関引き戸を開けて戻ってきた。

ごめんごめん!と妻にペコペコした後、振り返って男性は志村に向き合った。

「本当に今日はありがとうございました。僕達も今後、会食は志ぐれ亭さんを利用させて頂きたいと思います。従姉妹もまた泊まりに行こうかなって言っていたので、親戚共々お世話になりますが、よろしくお願いします」

男性は背中で眠ってる子供が起きないように志村に軽く会釈して、夫婦共に引き戸をガラガラひいて外に出る。

志村も一緒に外に出ていく。
お客様の姿が見えなくなるまで見送るのが志村のこだわりである。

眠っている子供をチャイルドシートに乗せ旦那さんは助手席、奥さんは運転席に乗り込み、車を発進させた。

県道336号線に面してる店の入り口で車のウィンカーが右に光ったのが見えた。

志村は店の入り口で大きく手を振る。
距離的にお客さんには志村の声は聞こえない。
それでも笑顔で大きな声で。

「いってらっしゃい」

車が遠くに見えなくなったのを確認して志村は踵を返して店に戻る。
志村が玄関に足を踏み入れると、料理長が「志村さん」と厨房から出てきた。

「裏の畑で野菜採ってきましたよ。そういや今日、宿泊されるご夫婦も日本酒好きじゃありませんでしたっけ?彼ら、かなりのウチのリピーターじゃありませんでした?」

採ったばかりなのか、泥まみれの水菜を両手にぶら下げながら、彼は志村に問いかけた。

「そうでした。チェックインの時間までに日本酒の買い出しに行かなくてはなりませんね。今日泊まられるご夫婦は6回目なので常連さんです」

そう言ってフフッと志村は微笑む。
予約でいっぱいなのは、とても有難いことだ。

「料理長にはお手数をお掛けします。冬に比べて繁忙期ですし。これからも何卒よろしくお願いします」

志村の言葉にハハッと笑いながら、彼は採ってきた水菜を洗い場に放った。

「志村さん、地元のことは地元の人にしか伝えられないですよ。私達が立ち止まっちゃいけないと思うんです。一緒に頑張っていきましょう」

料理長の返しに志村は深く頷いた。

志村は今でも会津弁の由来や喜多方の風土、民俗学について学んでいる。それもこれも、自分の大好きな故郷の喜多方の魅力を伝えていきたいからだ。

ただ、色んなお客さまと出会って気付いたことがあった。

喜多方の魅力を発信している志村もまた、志ぐれ亭を愛してくれている人々に救われていて、一見、何の繋がりも無さそうなことが意外な形で繋がっていて返ってくることがある。

縁という目に見えないものだからこそ、大切にせねばならない。

夕飯の下準備を始めた料理長を横目に志村は引き出しから茶巾袋を取り出した。厨房入り口から出る前に料理長に軽く声をかけた。

「買い出しにいってきます」

車の鍵を握り締め、志村は玄関の引き戸を開けて外に出た。志ぐれ亭の目の前は道を挟んで向こうが田んぼだ。もう水が張っているところもあれば、田おこししたばかりのところもある。

湿った土の香りが志村の鼻を抜けていく。
ふと、後ろを振り返る。
古い造りながら大きく建つ志村のお店。
これからも自分の生涯をかけて「喜多方」を伝えていきたい。

また、ここが誰かにとっての故郷になって欲しい。
自分の居場所がここにあるように。
ふーっと深呼吸をして志村は自分の車へと足を向けた。

志村が自ら手掛ける志ぐれ亭のホームページのロゴにはこう書いてある。

ーーここが、ふるさと 志ぐれ亭ーー


ー蔵粋と社蓄 spin off 【完】ー

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