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もう、戻らないかもしれない。

30年以上通っている地元の歯医者に久しぶりに行った時のこと。10年前に購入した家の真裏に大きなスーパーが出来ることを知った。

白い布がかかった造りかけの建物に即席の看板で「◯◯マート△△店  今年秋にオープン」と書かれていた。しかもなかなかの広い面積。

今住んでるアパートの契約更新が来年に迫ってることは分かってたし、このまま今の場所に住む?次どこに住もうか、と夫と話すことが多かった。その候補には10年前に購入した家も視野に入れていた。事情があって現在、空き家で私の家族が管理している。

近くにスーパーが出来て市役所もあってドラッグストアもある。私が大好きな猫も飼える。仕事はこのまま続けられる。暮らす条件はとても良いけれど、どうしても気が進まなかった。

何故だろうかと考えた時に自分は地元があんまり好きでなかったことに気付いた。

育った地元がやっぱり好きと、Uターンする人も中にはいるけれど、私にとって自分が育った地元は自分を繋いでいる鎖のような存在だったのかもしれない。

結婚した時も鎖をちぎって出ていくような感覚はあった。家族や友人は好きだし、別に「逃げるように」というような酷い感じでは全然ないけれど。

どんなに良い暮らしの条件が揃っていても、その質が自分に合わなければ、それで満たされなければ。
ただ精神衛生が悪くなるだけ。
きっとそれは、暮らしの半分を占めている仕事でも同じだと思う。

自分はもう、自分が育ってきた地元には戻らないかもしれない。
断言は出来ない。都合を良くしたくて誤魔化しが入るから「かもしれない」と言っている。

少なくとも次暮らす場所の第一選択には入れない。

きっと家族や友人がいなくなったら、ここ長く住んでたなくらいの気持ちになるんだろうな。人との結びつきの強度も土地の印象に関与しているのだろう。

こんなにも育った土地を愛してなかったのだと知って残念だと思う反面、小さい頃に縁のあった全く違う土地に行ってみたいと思っている自分がいる。

住んでいた土地に対してそういった不思議な感情を抱くのも変な話だが、そんな感情もあったなといつの日か振り返ることもあるだろうと書き記してみた。

その土地を愛することが出来たら、自分に出来ることも変わってくる気がする。今年も残り半分もない。

新しいものを手にすれば、手放さなくてはならないものも沢山ある。キチンと整理して向き合っていこうと思う。

ただ、住む場所は変わっても歯医者は変えない。
これだけは誓う。

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