見出し画像

#143 三歳で逆立ちをした少女 タチアナ・マクファーデン

前回に続き、最近の心震えた 番組の感想パート2。下半身に障害があり”車いすアスリート”として陸上で驚異的な活躍をしているタチアナさんの特集番組を観た感想.

画面に釘付け

 たまたま平日深夜,寝ようとしたときにTVのスイッチを何気なくつけたときNHKの再放送が目に飛び込んできました.頭をガーンと殴られたような衝撃と心震える感動で,結局最後まで見ることになり、夜1時半過ぎに就寝。その番組予告は事前に何度か目にしていたけれど、車椅子アスリートの栄光への記録番組だろうな勝手に予想して見ずにいました。

”利き手と同じ”

 タチアナさんの驚異的な運動能力を科学的に番組内で検証していた結果では,左右の手で車いすを漕ぐタイミングが1/100秒の範囲内で同期していて,かつ利き手に関係なく両手がほぼ同じ力で加速していました.これは,他のアスリートでは全くここまでの左右差がない動きはできず,必ずどちらかの腕が弱かったり左右に方向が蛇行を繰り返し,無駄な動きが生じてしまうとのことでした.両手がまるで”利き手”となり,まったく同じ動きができるという超人的なパフォーマンスができていると研究者が感嘆の声をあげていました.

”超適応”

 筋肉へ収縮刺激を伝える運動神経は,脳で運動野と呼ばれる領域で体の各部分毎にその領域がきまっているようです.足,胴,腕,手指とそれぞれが均等分割ではなく,手指が最も微細な制御をするので運動野の面積で広く,足や胴は相対的に小さくなっているのが”普通の人”だそうです.タチアナさんを計測すると,足と胴の運動野の部分が,手の部分に吸収されていてとても広がっていました.使わない足の部分に,新しく神経系統が”接続のし直し”がなされていました.

 脳卒中のマヒ患者の方が,数か月のリハビリ訓練で徐々に機能回復ができていくのは,まさにこの脳内の神経の新しい接続形成ができる”適応”ができているからです.いわゆる運動神経は,3歳から5歳ころまでにほぼその接続の多くが決定されるので,この年齢で運動刺激がたくさんあると,いわゆる”運動神経のある子”になるようです.運動神経は誰でもあるので,正確には,”効率よく運動神経を微調整・高速切り替えができる子ども”と言えると思います.タチアナさんは,この3歳ころの幼児体験に,すさまじい激烈な経験がありました.

靴が配られない

 タチアナさんは国が経済的混迷を深めていた頃の旧ソ連(現在のロシア)に生まれ,経済的な理由で母親が育てられず,3歳の頃に妹さんと一緒に孤児院に預けられたそうです.タチアナさんは障害があり,おそらく生きていられないだろうと言われていたのですが生き延びましたが,妹さんは栄養失調で命を失ったそうです.車いすもないので,自由に施設内を動くこともできず毎日窓の外を見ていたとき,ある日”靴”が寄付されて施設に届きました.スタッフからは,「あなたは歩けないのだから靴はないよ.」と言われ,タチアナさんだけ配られなかったそうです.

「私は歩ける」

 これをきっかけに彼女は,「私は歩ける.」と言って,その日から逆立ちをして階段を歩いたり,と手で歩くことを始めたというのです.6歳の頃に車いすが届くまでの3歳から6歳までの間,手を足のようにして使い”逆立ちして歩いていた”少女のタチアナさんの中では,まさに能の運動神経が”足”を担当する運動野の部分が”手”につながるという,「超適応」が生じていました.この激烈な苦しい環境下での彼女の努力が,その後,車いすアスリートとして活躍するときの土台になったというのです.他の障がい者の方もみな努力はしているのですが,幼少期の運動神経が大きく成長するときに「私は歩ける.」と言って行動し始めたたタチアナさん,本当にすごいと思います.3歳の時に,自分の妹が栄養失調でなくなり,自分から何かしないと与えられない環境にいて,実際に手で逆立ちして他の子たちと同じようにふるまおうとするその”気力”,すごいと思います.

”超適応”のもう一人

 タチアナさんに似たお話としては,中村久子さんの娘さんが書かれた本を随分前に読んでいたのを思い出しました.両手両足の切断という重いハンディがあっても,残された体を使い編み物や文字を書いたりして,結婚し子育てもしてと,,,激烈な人生だと思います.その娘さんの書かれた文章を読んだ時も,タチアナさんの映像を観たときと同じように心が震えました.中村さんも,タチアナさんと同様に,普通の人では動かせないような繊細な縫い針や筆の操作を見事にこなしていたようです.おそらく”脇の下など”通常では脳の中で運動神経があまり運動野と接続されておらず微細な調整ができない体の部位も,制御できるようになる”超適応”が生じていたと思います.

「選べることは,”幸せな” 悩み」

  選択肢が多いとき,私たちは,「困ったなぁー」と悩みます.人によっては,その”悩み”で夜も熟睡できなくなる時もあるかも知れません.

 もし,選択肢が無かったら?どうでしょうか.選べなくなるのですが,今度は「選べない”嘆き”」があるとおもいます.”嘆き”と”悩み”は似ていますが,選択肢があるかないかでは大きく違います.納得がいかない選択かも知れませんが,とにかくまだ「選ぶ」という動作が残されているというのは,幸せかもしれません.何も答えがなさそうなときは本当に深刻ですが,選択肢があるときの”悩み”は余裕が少しある気がします.タチアナさんや中村さんには,選択肢はほぼ無かったと思います.

 新型コロナ感染症で今世の中が変わりつつあります.変化に対応するのは大変ですが,私たちには,「どう変わっていこうか」・「どう変えようか」という選択肢がある気がします.3歳の少女が「私は歩ける」と言ったのに比べれば,目の前の新しい世界へ向けての適応は「まだまだ余裕がある適応」と言えると思います.さあ,神田日勝さんとタチアナさんの番組を偶然立て続けに観たのだから,さぁ,自分も「もう一丁,ボチボチ頑張りましょか!」 (,,,,,,私は岐阜県出身なのに,なぜか関西弁)