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#115 河口慧海 『チベット旅行記』

 昔、夏に読んだ思い出の一冊。私がまだワンダーフォーゲル(WV)部の顧問をしていた頃、学生さんと北アルプスや南アルプスの山々をリュックを背負って1週間ほど縦走する「夏山合宿」に梅雨が明けると毎年行っていました。3000m級の山々の景色の思い出と一緒に、電車の移動中やテント場での滞在中に読んだ本が、脳の中で記憶がツナガッテいます。『チベット旅行記』は普通の旅行記では無く、明治の初め頃、まだ鎖国をしていたチベットへインド経由で仏教の経典を入手するために主人公の僧侶(河口慧海)がヒマラヤの高山を超える命がけの旅行と、当時知られざるチベットの人々の生活の記録が描かれてありました。”五体投地”の説明を読めば、自分の登山しているこのような道で、”三歩進んで二歩戻る”を繰り返しその都度大地に体をひれ伏して祈るという苦行をしながら信仰を深めるチベットの人というのは、超人的だなぁーと思ったものです。(今でもチベットで厳密な方法で行っているかは知りません。)

 チベット旅行記の中で印象深かったのは、鎖国を解いたチベットが、次第に母国語の文字や発音が消えていったという記述でした。「開放」に伴う「流入」は、既存のものを「消失」する事になるのを知りました。きっと、江戸時代の長い鎖国を終えた日本でも同じ事が起きたのだろうと想像します。

 前回note記事に書きましたが、私が子供の頃に見た「ゑ」と「ヱ」はもう、「え」と「エ」にまとめられてしまい、固有名詞などの一部の例外を除けば、「現代仮名遣い」ではほぼ消え失せてしまいました。

 さて、今から30年後の日本で、どんな文字が使われているでしょうか?カナ文字は減るかもしれませんが、アルファベットが併用されていたりして?まさか、人間が進化してバーコードやQRコードがそのまま読めたりして。その時、きっと脳の中にはコンピュータチップが埋め込まれていますね。脳の外在化では対応しきれないと思います。それをヒトと呼ぶのかどうかは、その時の人が決めるのでしょう。(個人的には、デジタル機器を体内に組み込んでまで生活するのが、人としての”豊かな生活”とは思いません。)

 河口慧海さんが昔チベットで出会った人々は、とても”純朴”で「人間としての幸せな生活」をしている人々として描かれていました。

 チベットについて描かれた他の本としては、『チベットの7年』を読みました。ブラッドピット主演で映画にもなりましたが、時代がずっと現代に近い内容で、個人的には『チベット旅行記』の方が、読書の醍醐味の”時間と空間を超えた不思議体験”を感じれる印象深い本でした。

 今、テレビのスクリーンには、北アルプスの槍ヶ岳の映像が写っています。ちょうどあの”槍の肩”のテント場で、『チベット旅行記』を読んでいました。あの夏の記憶が、苛烈を極めるこの酷暑の部屋で蘇ってきます。一瞬だけ、槍からの涼しい風を感じた気がします。