2022年から今までのこと

※人によってはネガティブな影響を受ける人がいるかもしれません。少しでも良くない気持ちになったら読むのをやめて下さい

本当にお久しぶりです。
僕はそもそもnoteの更新頻度が低いわけですが振り返ってみると最後に更新したのは22年の7月1日・・・約1年ぶりの更新となるわけですね(さすがに自分でもびっくり)。

本当は22年末から23年初頭にかけて音楽関連の話題で何度かnoteを更新しようとしました。ただ、昨年夏以降に自分の身に起きたことを整理して何らかの形で書き残さないうちは他の文章を公開する気になれませんでした。しかも、その事柄自体もそれなりに厄介なもので、自分の中で受け止め、消化し、整理することがなかなかできないままにただただ時間だけが過ぎてしまいました。

ただ、いい加減どこかで区切りをつけて昨年の自分と向き合う必要性を感じ、こうしてnoteに記してみることにした次第です。

なので今回のnoteはごくごく私的な記録と語りになります。

まだまとまり切れていない部分も少なくなく、一方で書きたいことは山程あるという状況でキーボードを打ち始めました。なので出来る限り端的に、事実と想いと伝えたいことを書いていければなと思っています。

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振り返ると僕にとって2022年は闘いの年でした。具体的には"身体的な怪我"と"精神的な病"両方との闘病生活です。

はじまりは身体的な怪我からでした。

2022年7月下旬、静岡のパートナー先での打ち合わせ中に腰に違和感を感じました。人の腰骨は5本から構成されているそうなのですが、そのうちの2本くらいが内側(内臓側)に向けて入り込んでいるような感覚がやまなくなり、日を経るごとに痛みを伴って違和感が強くなっていきました。

その頃はひたすら腰をひねってみたり、少し歩いたら前かがみやしゃがむという行動を繰り返して違和感を和らげようとしていたこと、そして座っていることがひたすらに気持ち悪く10分ごとに立ち上がって動き回っていたのを覚えています。

そして違和感と痛みを感じ始めてから約1週間後、無理な動きをしていたせいだったのか自宅の猫トイレを片付けようとした際に右の首から”グキッ!”という大きな音が聞こえ、首から肩にかけて電流のような激痛が走りました。

翌日からは首と肩の痛みだけでなく右腕、とくに二の腕とわきの下の間に空気のボールが入ったような感覚がとまらず常時右腕がふわふわと動いている症状も出るように。

さすがにまずいと思い近所でも評判のいい整形外科に行きMRIを撮ったところ、首と腰にヘルニアが発生していることが発覚。年齢もまだ若いということもあり、医師の判断は保存療法(=手術をせずに痛み止めを服用しながらヘルニアが吸収されるのを待つ)での治療を行うという診断結果となり、療養生活がスタートしました。

椎間板ヘルニアは一般的に腰になんらかの衝撃を受けた際に発症することが多いという話でしたが僕の場合、発症当時はただ座っていただけだったので原因がわからず、座っているとまた悪化するのではないか?原因はいったい何なのか?という恐怖と不安から5分として座ってられない日々が始まりました。

3歳のむすめを抱っこしてあげられない、家事のほとんどは妻に任せざるを得えない、手と首のしびれと痛み、長時間座ってPC作業が出来ず仕事に支障が出始めている。座っていても寝ていても痛みと違和感が収まらず気持ちが落ち着かない・・・・これらのストレスに加えて治療やリハビリをしても快方の兆しすら見えない1か月間に段々と気持ちが落ち込んでいきました。

8月下旬、ネットで”椎間板ヘルニア”や”頸椎ヘルニア”という単語を調べてマイナスの情報ばかりを受け取り、ますます落ち込んでいくとともに一向に良くならない怪我に対して医師を信用できなくなってきている自分がいました。医師に『僕の怪我は良くなるのだろうか?』と何度か問いかけた際、『大した怪我じゃないから気にしすぎないこと』と顔も見られずに答えられた時、絶望に似た気持ちを抱いたことを覚えています(今思えばメンタルの不安定さからかなりしつこく質問していたので当然の反応をされたのかもしれません)。

そしてSNSを開けばフェスや旅行に出かける友人たちの様子が溢れ、自分の状況がますますみじめに感じられていつしかスマホを見るのを止めました。

9月中旬、スマホから手を放して2週間が経過した頃、精神面の不調が見て取れるようになりました。あれだけ好きだった音楽や映画、ドラマ、漫画に雑誌・・・ありとあらゆるエンターテイメントに全く興味が無くなり、むしろ触れたくないと遠ざけるようになりました。そして(後に妻から聞いたのですが)笑顔が全くなくなりました。

この頃には食欲もなくなり、朝起きて食パンを半分食べ、むすめを保育園に連れて行ってから仕事を始めるものの、思い通りにならない身体では順調に進められず無力感のまま帰宅、ちょっと夕食を食べて風呂に入ったあとは唯一出来るむすめの寝かし付けを行ってそのまま一緒に寝るという日々が続きました。

また、身体にもさらなる不調が起き始めていました。暑くもないの顔汗が止まらず、出るものがないにも関わらず尿意が止まらなくなったのです。この頃から1時間に最低4回はトイレに駆け込むようになりました(当然出ない)。
そして夜も尿意から全く寝られず、何度も何度も目が覚める状況になっていきます。

9月下旬、5分と座ってられない僕は落ち着きがなく動き回り、内面といえばあらゆるものに対して興味を失っているうえに不眠が続き、妻との会話も怪我に対する不安ばかりで仕事の会議中の発言もフワフワしたもので精彩を欠いていたそうです(正直、この頃の仕事の記憶はなくあとから同僚たちに教えてもらった)。

この頃には僕自身も怪我だけでなくなんらかのメンタル不全が自分に起きているのではないかという気がしはじめていました。一方で(リアルの僕を知っている友人たちにはわかってもらえると思いますが)、メンタルの病気は最も僕と対極にあるものでなるわけはないという考えと認めたくないという思いが交錯して辛い状況を理解しながらも動くことはありませんでした。

それでも何度かは心療内科に行ってみようかと考えたこともあったんです。ただ、上記にあるようなちっぽけなプライドとなによりメンタル系の薬に対する良くないイメージから一歩を踏み出せずにいました(この頃もネット検索だけは続けており、自分の身に起きているあらゆるものに対して悪いイメージばかりが増幅され続けていました)。

9月最終週、更なる不調が訪れます。将来のことを考えるとすべて悪い想像しか浮かんでこないようになりました。例えば妻との会話で"来週"という単語が出てくると腰が悪化して這いずり回る自分の姿が脳裏に浮かび、テレビのニュースから”3年後”という単語が聞こえると会社をクビになり家族にも愛想をつかされて見捨てられ、何もできずにうなだれている自分の姿が見えるといった具合です。更にひどい焦燥感に苛まれるようにもなります。レジ待ちや信号が変わるまでの時間が苦痛で耐えることが出来なくなるのです。

そのような状態から夜になるたびに不安で泣きながら目を覚まして妻を起こして話を聞いてもらう日々が続きました。そしてある朝、いつも通り気遣いの言葉をかけてくれる妻の目の下の大きなクマを見て心療内科に行くことを決意しました。

たとえ自分がどんな診断をされてどんな薬を飲むことになっても今よりは悪くならないし、なにより家族をこれ以上苦しめなくて済むようになるなら、という気持ちのみで予約をしました。

幸いなことに、近所でも評判の良い心療内科にキャンセル枠が出ており、その日の夕方に訪問することができました。この時、どのような話をしたかは正直覚えていません。ただ泣きながら自分の辛さとなにより家族に迷惑をかけたくないという話をしていたようです。

先生との面談、いくつかのテスト(のようなもの)を受けて伝えられたのは軽度うつ病と中度の不安障害という診断結果。

先生は『今までよく頑張ったね。そしてよく自分で決意して来れたね。あなたの世代で心療内科になかなか自分自身の決意で来れる人は多くはない。自分で決意してこれたからこそ軽度の状況で治療が始められるんだよ。一緒に頑張ろう。』と肩をたたいてくれました。不思議なことにあれだけ怖がっていたことと裏腹に自分の状況に病名が付いたことにどこかほっとした自分がいて、安心から腰が抜けて座り込んでしまったのを鮮明に覚えています。

そこからメンタルの治療が始まりました。今回のメンタル不調は仕事が一切の原因にはなっていないものの、先生からまず穏やかな日々を過ごせる状況を作りなさいとのことでしばしの休職を勧められました。

そこで状況を上司に報告。突然の報告にかなり驚かれましたが、すぐに社内調整に動いてくれ、業務の引継がないままに(かつ周囲に背景が分からないようけがの治療という名目で周知)翌日から休職に入れるよう整えてくれたうえ、更に僕の休職中に様々な社内制度を調べ、出来る限り有休を消化することなく治療に専念できる環境を作ってくれました。

結果的に2カ月半の休職にも関わらず有休は7日しか使わずに済みましたし、休職中も週1回雑談オンリーの電話に付き合ってくれた彼には感謝してもしきれません。

薬については先生が最大限に僕の希望を反映してくれた処方だったということもあり、想像していた以上に副作用に悩まされることはありませんでした。それどころか今まで5分以上座っているのが怖くて落ち着いていられなかった状況も改善され、痛みは気持ちから来ていた部分も大きかったのだと分かることすらありました。

うつを経験したことがある友人に『風邪をひいたら内科に行って診察を受けて薬を飲むでしょ。メンタルの不調は心の風邪のようなものだから同じように心療内科に行って薬を飲めばいいんだよ。そこに相違はないんだよ』と言われましたが、少なくても僕にとってはとてもしっくりくる表現であったことに間違いはありません。

朝起きて家族と食事をし、むすめを保育園に連れて行ったあとは帰ってきてベッドに寝転がり、おなかの上に乗ってくる猫二匹を撫でながらゆったりとした時間を過ごす。調子が良いときはラジオを聞きながら近所を散歩する日々(元々大好きだったラジオはさらに大好きになりました)

仕事を休み、服薬を開始して2週間もするとあんなに苦しめられた異常な尿意と焦燥感は消え、嫌な想像が湧いてくる頻度も減って安眠できるようにもなりました。
3週間目には家族の夕飯を作り、そのまま保育園にむすめを迎えに行った帰りに一緒に公園で遊ぶこともできるまでに気持ちが回復してきました。

ただ、この頃は昼間にテレビをつけるとどこもかしこも統〇教会絡みのニュースであふれており気が滅入るばかりだったので、バラエティ番組にはとても助けられました。録画しておいた深夜番組やストリーミングサービスのバラエティを見ては笑う毎日。ここ数年、地上波テレビからは遠ざかっていましたがこんなにもバラエティばかり見ていたのは高校生以来だったかもしれません。

この頃には簡単な冗談なども言えるようになり妻から『本当に久しぶりに怪我以外の話をしたし、くだらない話で笑ったね』と嬉しそうな顔で言われた時には、心療内科に行って本当に良かったと心から感じたのを覚えています。

11月に入るころにはエンタメ欲も戻ってきて、9月以降離れていた音楽・映画・ドラマ・小説・漫画、あらゆるものをひたすら吸収し続けました。状況を知っていた(そして気が付いていた)友人たちが僕が好きそうなエンタメをどんどん届けてくれたのは本当に助かりました。

そして12月、ようやく復職だというタイミングでまさかのむすめ経由で家族全員がコロナに感染。幸い全員悪化することもなく中旬には仕事復帰。

事情を知っていた人たち、なんとなく気が付いていた人たち、気が付いていなかった人たち、全員が復職を喜んでくれ、今まで通りに接してくれたことがとても嬉しかったです。そしてやっぱり僕は仕事が好きなんだなってことを再確認しました。

心療内科で初めて面談をしたとき、『自分は治るのか?元の自分に戻れるのか?』と何度も質問する僕に『大丈夫。必ず治りますし僕が治します。年末、クリスマスケーキを家族みんなでたのしく食べることを目標にしましょう』と語りかけてくれた先生。

12月24日当日、近所のお気に入りのお店で予約したケーキを囲み、内緒で準備したクリスマスプレゼントを妻とむすめに渡すことが出来た自分がいて、献身的に支え続けてくれた家族たち(実家の両親も度々手伝いに来てくれていた)の存在、本当に良い先生に出会えたこと、そして急な休みにも対応し続けてくれた会社の仲間たちに感謝しかありませんでした。

特に仕事も育児も大変な中、僕との向き合い方に悩んだこともあったであろうにそんな姿を見せずに支え続けてくれた妻、2歳でまだまだパパと遊びたいのに何かを察してかわがままを言わないでいてくれたむすめには感謝してもしきれません(ちなみにその反動からは今はわがままっこで全部受け止めてます 笑)

現在はと言えば、まずはメンタル面の安定的な回復を最優先にごく少量ではあるものの服薬は続いており半年~1年をかけてなくしていく予定になっています。ただ、めちゃくちゃ元気です(笑)これまでに一進一退の機会は二度ほどあったもののここ三カ月くらいは安定していてほぼ今までと変わらない僕になっているはず。昨年後半、ほぼ何もできず誰にも会えなかったので是非お茶でもお酒でも誘ってください!

また、首の頸椎ヘルニアは医者も驚くほど予後が良く、痛みもしびれもほぼないような状況です。一方で椎間板ヘルニアは完全に痛みが無くなった訳ではないものの、このまま付き合っていけるくらいには回復しました。更に良い鍼灸師と整体師を紹介してもらえたことでリハビリと定期的な治療も続けていけそうです(まずはもっと痩せなきゃな 笑)。

なかなか辛い半年間でしたが、今は前向きに進んでいくことが出来る身体もメンタルも取り戻しました。SNSから離れていた期間もあり心配して連絡して下さったみなさんも本当にありがとうございました。

22年12月31日、仕事にも復帰して日常生活を取り戻した僕を見て安心したのか、長男猫のプーラが虹の橋を渡りました。実はこの1年半ほど入退院を繰り返していたのですが、僕が休職になってからは元気を取り戻し毎日朝から晩までずっと横にいてくれた心優しい息子でした。
そして僕の回復を見届け、本当に苦しむことなく去っていきました。プーラの話はどっかでまた書き記したいと思っています。

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ここまで長々と書いてきました。それは単に自分にとっての記録という意味だけでなく、この半年間で自分なりに感じた事を伝えることで誰か一人にでも役に立つことができればと思う部分もあったからです。

まず怪我について。
医師いわくコロナ禍で在宅勤務が増えたことにより通勤による徒歩時間が減り、腰回りのインナーマッスルの低下から(ヘルニアとまではいかないものの)腰痛を発症する若い人が増えているとのことでした。やはり大事なのは歩くこと、そして数階分であれば階段を昇ることだそうです。在宅勤務が増えた人はぜひ実践してみて下さい。

次にメンタル面について。
これは人によって全然違う部分が大きいと思うのであくまでも僕の実感値での記載になることはご理解ください。

一番最初に伝えたいには、うつは誰でもなりうるということです。序盤にも書きましたが、僕は周囲からも自分自身もうつは程遠く縁がない病気であるという認識で37年間を生きてきました。ただ、思いもよらないふとしたことでなってしまいました。今振り返ればあのタイミングでおかしいと思って病院に行ってみれば、と思う瞬間は何度かありました。それでも自分とは縁がないという思い込みが一歩の踏み出しを妨げて悪化させていたみたいです。
なので、メンタル面の病気は自分とは関係ないものとは決して思わず、なにか違和感があったら向き合ってみることは重要なのではないかと思います。

次に、心療内科はもっとカジュアルに行ってみても良いのでは?と思っています。風邪をひいたら内科に行く、のどが痛かったら耳鼻科へ、くらいの感覚で眠れない日が続く、少し気持ちがどんよりする日が続くようなら心療内科に行ってみてもいいかもしれません。それで何もなければそれはそれでいいですし、診断症状があるようなら治療開始は早ければ早い程良いはずです(ちなみに医学的には気持ちの沈みが2週間続くとうつの発症と言われているそうです)。

また、メンタルの薬というとマンガや映像作品の影響もありあまりいいイメージがない人もいるかもしれませんが(僕自身もそうでかなり先生に話をしました)、今のメンタル関連の薬は薬自体の発展も投薬方法についても知見が溜まってきており、依存も副作用も少ないまま服用できるものも増えているとのことです。実際、今僕が飲んでいるものも副作用らしい副作用を感じたことはありません。なので変に怖がり過ぎずに適切な量を適切なタイミングで医師の指導に沿って飲めば回復に向けて良い効果を発揮するのではないかと思います。

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繰り返しになりますが、けがの痛みは若干残っているものの今、僕はとても元気ですし前向きです。そして二度と同じ状況をおこさないためにも今までの自分の生活や働き方を見直して”無理をしない”をテーマに日々を過ごしています。キムタクじゃないですが”STAY SAFE!! STAY HEALTHY!!”は重要ですね(笑)

気が付けば7000字近くのまとまらない文章になってしまいましたが、これを書きながら自分に起きたあれこれと改めて向き合い、受け止め、整理し、なんとなく消化できた気もしています。また大切な人達に会って色々と話をしたいので是非声をかけて下さい。もちろん僕からもかけます。

最後に。休職期間中に助けられていた曲たちを3曲貼っておきます。よかったら聴いてみて下さい。


基本的に全文無料で公開していますが面白かったと思って頂きましたらお願いします。書籍や音源購入、子供や猫たちのグッズ購入に使用させて頂きます。