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時代に翻弄された「天正遣欧少年使節」の少年たち- 世界で最も壮絶だった「キリシタン迫害」の歴史

「天正遣欧少年使節」の物語を動画でまとめました。 是非ご視聴下さいませ。 織田信長が生きていた時代、セミナリヨでキリスト教神学を学んだ少年たちがヨーロッパへ渡った。 伊東マンショ 千々石ミゲル 中浦ジュリアン 原マルティノ 彼らはローマ法王に謁見し帰国した初めての日本人となった。 しかし彼らを待ち受けていた現実は、あまりにも激しかった。 棄教か殉教かを迫られる、弾圧と迫害のキリスト教禁制の時代に生きた「天正遣欧少年使節」の生涯。

    • キリシタン目線の日本のキリスト教史①-フランシスコ・ザビエルから二十六聖人の殉教まで

      ※記事内の日付は極力西暦に書き換えています。 伝来初めて洗礼を受けた日本人「ヤジロウ」 1546年(天文15年)に薩摩半島最南部の山川にやって来たポルトガル船船長で商人のジョルジュ・アルヴァレスの勧めで、ヤジロウは乗船しマラッカを目指した。 ヤジロウが以前何をしていたのかは不明確であるが、フロイスの『日本史』では八幡(海賊)であったと書かれている。 ヤジロウは薩摩国あるいは大隅国の出身で、彼自身やザビエルの書簡によれば、彼は若い頃に人を殺めた為、来航していたポルトガル船

      • キリシタン目線の日本のキリスト教史②-江戸時代初期から明治政府がキリスト教を認めるまで(編集中)

        ※記事内の日付は極力西暦に書き換えています。 江戸幕府による禁教令禁教令発布まで 江戸幕府は当初はキリスト教に対してはこれまでと同様の政策を取り、弾圧と呼べるような政策はとっていなかった。 1602年にはドミニコ会、アウグスティノ会の宣教師達が来日して日本に本格的な布教をし始めており、1596年に秀吉の弾圧を受けたフランシスコ会も、1603年に代表ルイス・ソテロが徳川家康や秀忠と面会し、東北地方への布教を行っている。 しかし、幕府の支配体制に組み込まれることを拒否し、か

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      • キリシタン目線の日本のキリスト教史①-フランシスコ・ザビエルから二十六聖人の殉教まで

      • キリシタン目線の日本のキリスト教史②-江戸時代初期から明治政府がキリスト教を認めるまで(編集中)