「普通」は存在する。でも"普通の人"はいない。
話をしていて「普通はさ」と、つい言ってしまいませんか?(わたしは言っちゃう)
仮に「普通」を、『同じ状況で8割以上の人がそうする(そうなる)現象』とか定義したとすれば、
"普通の行動"や"普通の考え"は、たしかに存在すると思う。
でも、この一年、沢山の人の生活やそこで感じる感情に深く触れる中で、改めて思ったことがある。
"普通の人"は存在しない。
"普通の家庭"なんてものは幻想だ。
だから、大切なことは「自分はどう在りたいか」に目を向けてあげることだと思う。
人それぞれ、普通の部分もあれば、そうじゃない部分もある。それは自然なこと。
家庭の在り方は、本当に、本当に、多様だ。
「普通ならどうするか」「他の人はどうしているのか」を参考にするのはいいと思う。
でも大事なのは、そうした選択肢をみた上で、「じゃあ自分はどうしていくのか?」「自分たちはどうしていくのか?」を自分自身(もしくは自分たち自身)で決めていくことでは?
世の中にはびこる「普通」は、正しいとは限らない。
また「普通」は、揺らぎやすく、案外すぐに変わる。
(現に、マスクやトイレットペーパーを見かけたら、まだ家に在庫があっても買う、という行動は一見異常だけど今は「普通」になっている)
「普通」にばかり翻弄されて自分を見失ったり、自分で自分を苦しめるよりも、"自分自身がどう在りたいか"に目を向ける時間が少しでもあれば、長期的には満足のいく人生になるのではないかなー
なんて思う今日この頃でした。
自分の"本当の気持ち"に蓋をすることで、その場をうまくやり過ごす、それが必要なときもあるかもしれない。
でも、蓋をした感情や願望は、放っておくといつか大爆発してしまう。じわじわ腐っていくこともある。もしくは、だんだん自分が分からなくなって、生きる意味さえ失っていってしまうような気がする。
だからこそ、「普通」に振り回され過ぎている人には「"普通の人"なんかいない。あなたの普通じゃない部分こそが、魅力です」と、伝えたいな
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