私のなかに、小さい峯田和伸がずっとずっといるって話
私はこう見えて、中学1年から大学4年までバンドでベースを弾いていたバリバリの元バンドマンだ。
練習はそんなに好きじゃなかったけれど、とにかく重低音ですべてを包み込み、こっそりバンドを支えているような、リズムとメロディのあいだで静かに揺れ動いているような、ベースという存在が大好きだった。
いまだに自分の性格はベースにぴったりだったと思うほど。
大学卒業後からほとんど音楽はやらずに来た。子供も生まれてさらに楽器が遠くなったきがする。
でも30代後半になり、最近私は気づいてしまったのだ。私のなかに小さな峯田和伸が眠っていて、時たま顔を出しては、私を強くさせていることに。
峯田和伸が誰か?という話をしよう。銀杏BOYZというバンドのボーカルだ。俳優として映画やドラマにも出ていたことがあるから、名前は知らずとも見たことがあるかもしれない。朝ドラ『ひよっこ』でも、いい味を出していた。
銀杏BOYZのほとんどの楽曲を峯田和伸が作っているが、とにかくロックなのだ。まっすぐに何もかも表現してしまう。捨て身で。だからこそリアルで心の中に直接ブッ刺さってしまう。それが私にとっての銀杏BOYZだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Y2MGtwB-oFc
銀杏BOYZの音楽については、これ以上は詳しく書かないが、当時私が見ていた頃の峯田和伸は、とにかくいつだって危ういくらいにまっすぐで、直視できないほどだ。ライブでは目を見開いて上裸になり、観客の唾を受け入れる。唾とともに体の中から声を吐き出しているような渾身の歌。クレイジーと思うのだけれど、何故か嫌いにはなれなかった。
そして誰よりも素直なんじゃないかといつも思っていた。
・・・
最初に峯田和伸に出会ったのは、中学3年のときバンドメンバーが持ってきたCD。銀杏BOYZの前身GOING STEADYのさくらの唄というアルバムだった。
この曲をカバーしたいという彼女の要望で、2曲コピーした。それで聴き込んだこのアルバムが大好きになってしまった。
このアルバムはエモさとキャッチーさがあって、その中に魂の叫びみたいなものがある。多感な年頃な私はそれをキャッチしてしまったのか、それ以来、その後結成された銀杏BOYZも峯田和伸自体もずっとゆるく追いかけていた。
アメリカの大学に入学したこともあり、あまり銀杏BOYZ自体は追わなくなった。でも峯田和伸のブログは読み続けていた。
下品なことも淡々に、そして時に切ない思い出を切なく、くだらないことをくだらなく、すべての感情を淡々と書いてくれた。海外で暮らす私にとって毎日の楽しみだった。
彼がどんなことにも真っ直ぐに向きあって文字にした言葉は、私の心には痛いほどに伝わって。私に眠る反骨精神や、真っ直ぐ目の前の物事を向き合い生きていたい気持ちが刺激された。
4年のアメリカ留学を経て私は帰国し、社会人になり、気づけばその習慣もなくなってしまい、私の中で峯田和伸の存在はだいぶ小さくなった。
だが、夫と出会ってそれが少しずつ変わることとなる。
夫は銀杏BOYZが好きで、高校生の時に対バンさせてもらったことがあるという、とんでもない経歴を持っていた。
それまで私の周りにはあまり銀杏BOYZや峯田和伸を語る友達がおらず、夫がおそらく初めて出会った峯田和伸の話ができる知り合いだった。
夫の周りは音楽やサブカルチャー好きが多く、銀杏BOYZファンがたくさんいた。何人かと会ったなかで、私は気づく。「夫の周りには、どうもいい感じに思春期の戸惑いや反骨の残り香がする人がたくさんいる」と。
すごく人間味があっていいなぁと思う人がたくさんいた。その理由を特に考えたことはなかったのだが、私は先週その理由に気づいた。
きっかけは、夫の仕事を手伝いに来た夫の友人(庭師兼アーティスト)を家に招いて一緒にご飯を食べた夜。とててもいい温度感と人当たりなのだけど、その中になにか反骨精神と、すごく人間らしいものが、あるように感じた。私が好感を持つ夫の友人たちに近いものを感じたのだ。
彼が帰ったあと知ったのだが、彼はかなり熱狂的な銀杏BOYZファンだった。
とても腑に落ちた。そして確信した。
私が好感を持つ夫の友達には、峯田和伸が住んでいる。大小さまざまな峯田和伸が。
そして、彼らと会うたび私のなかにいる小さな小さな峯田和伸がうずくのだ。
私が世の中に対し、時たま反骨精神で盾をつきたくなること、真っ直ぐ生きれない自分に腹が立つこと。それはもしかすると、私のなかの峯田和伸が出てきているときかもしれない。
私は銀杏BOYZを聴き込んだかというとそうでもなくて、そのぶんブログを読んで峯田和伸という人間を毎日摂取し続けた。きっとそのせいで、私の中に峯田和伸がいるのだ。とっても小さいけれど。
「そのせい」なんて言ったけど、私のなかに峯田和伸にずっといてほしいし、この自分の中でうずく気持ちに正直に向き合って、自分に素直に生きたい。
もはや峯田和伸が生きる指標になっているのかもしれない。
私の人生にいてくれてありがとう。
私が東京から田舎に来ることになったのは夫と出会ったからで、私が夫に惹かれたのは間違いなく夫のなかに峯田和伸がいたからであって、そうなると峯田和伸により、私は今ここに連れてこられたと言っても過言ではない。
恐るべし存在。峯田和伸。
でもずっと私の心の中にいてほしい。小さい峯田和伸に。
※本文中はずっと峯田和伸とフルネーム呼び捨てにさせていただいていますが、普段は愛を込めて「峯田」と呼ばせていただいています。
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