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休んでいるのに、気持ちが休まらない。そんな時に考えたこと

5月といえば、春の大型連休「GW」。休みが続くこと自体は嬉しいが、どうも昔からGWに苦手意識を持っている。

どこに行っても混んでいて、おまけに高い。インスタには、休日を謳歌する友人たちの投稿が溢れる一方で、Xを見れば「GWこそ仕事をして、周囲に差をつけろ!」という投稿が流れてきて、果たして何が正解かわからなくなる。まだベッドから動けない私はどうしたらいんだろう…?

そう、GWは「休む」ハードルが格段に高いのだ。

今年は、移住したばかりの福岡で過ごすことに決め、特別なことはせずに穏やかに過ごした。GWらしいことができたかと言われると、そうではないが、自分なりに良い時間が過ごせた気がする。

屋台でビール

けれど、最終日、私は(おそらく疲労や心労?が原因で)お腹が痛くなり、なんだかんだ休めていなかったことに気付かされた。

休むことは、働くこと、暮らすことと同じくらい大切なのに、見落としがちだ。休むことについて真剣に向き合ってみようと思う。

休みの記憶がない新卒時代

社会人になりたての頃、休日はただ平日に溜まった疲れを癒すためのものだった。

ベンチャー企業で、右も左もわからないまま広報になり、2年目からは新規事業の立ち上げも兼任した。

基本的にはベッドの上で土曜日を過ごし、日曜日は家事を終えたら、気の置けない友人と食事をして、翌日に備える。そんなギリギリの状態で、休みはあっという間に溶けた。

その頃のLINEを見返すと、友人やパートナーと食事の約束をしても、だいたい「ごめん、遅れそう」と連絡しており、仕事に追われて、とにかく余裕がなかった。大切な人と過ごすささやかな時間が何よりも大切だと気がついたのは、もっとずっと後になってからだった。

その頃に作った週末の写真をまとめた「Weekend」というアルバムがあるが、ほとんどが出張先の写真で、出張ついでに足を伸ばす程度しか遠出はしていなかった気がする。

「Weekend」に入っていた沖縄出張の写真

もちろん休みはあったのだが、休んでいた時の記憶がほとんどない。

オーストラリアで手に入れた、まっさらなスケジュール帳

そうして、流れるように日々が過ぎ、社会人になってからあっという間に2年以上が経った。仕事は楽しかったけれど、自分の時間を使うことがどんどん下手になっていた。やりたいことや好きなものがわからないのだ。

一定速度で進む、この社会の”電車”から一度降りてみたいと思った。浪人も、休学も、留年もしたことがない自分に、1年間のモラトリアムをプレゼントすることにした。

そして、2018年の冬、私はワーキングホリデーで、オーストラリア・メルボルンに渡った。

縁もゆかりも無い土地で、私のスケジュールは久しぶりまっさらになった。

今日誰とごはんを食べるのかも、明日どこで何をするのかも全く決まっていない。なんなら仕事もないので、探すところから始めなければいけない。

オーストラリアに来て、私はいままで知らなかった時間があることを知った。

バリスタの友人は、早朝の電車(なんと朝早い時間の電車は無料!早起きを応援されている気分になる)に乗ってシティに出かけ、通勤する人々にコーヒーを手渡し、午後早い時間には仕事を終え、ランチを作り、ジムに行く。

オフィスで働く人も、繁忙期でない限りは、まだ明るい17:00頃に仕事を切り上げ、自宅へ。家族との時間を何より大切にしている。もちろんテラス席でハッピーアワーを満喫する様子もよく見かける。

友人との約束は、ブランチを食べることが多かった。早起きが苦手な私でも午前中を有効活用できている気持ちになれるし、朝昼兼用を言い訳に罪悪感なくパンケーキをほおばることができた。

カフェとバー巡りに勤しむ日々

一斉に休むのではなく、1日のグラデーションの中で、それぞれがほっとひと息つき、思い思いの時間を過ごしている。

休みの日も、日常の延長にある。スーパーで安くておいしいワインを買って、ビーチでピクニックをしたり、公園にある無料のBBQ台を囲んで、みんなでオージービーフを焼いたり。特別な約束をしなくても、緩やかに集い、リラックスした時間を過ごした。

そんな1年間を過ごしたら、休むことへの心理的なハードルが下がって、毎日に小休憩を取り入れることができるようになった。

ヨーロッパで、大人の夏休み

オーストラリアから帰国後、東京で転職した。次は営業職。

基本的にはリモートワークで過ごしたが、日中は商談やミーティングが隙間なく続いていく。さらにコロナが落ち着き始めると、私のスケジュール帳は再びカラフルに埋まり出した。

当時の私のスケジュール

3年間を一区切りとして、2023年1月に退職し、翌月に複業として続けていた広報の仕事で起業。

複業の土台があったため、起業初年度にしては順調な滑り出しで、安定して仕事が舞い込んできた。

そんな中、20代最後の年ということもあり、友人と計画して2ヶ月半のヨーロッパ旅行に出かけた。もちろん現地でも仕事は継続するが、気分は大人の夏休み。

一瞬で終わってしまう夕焼けは、こころの余白の象徴

現地に着いてから、次の行き先を決めて、宿を取るという気ままな旅だ。

最初のうちは、それでも早起きをして、なんとか日本の時差に合わせて打ち合わせをしたり、ホテルから出ずにパソコンに向き合ったりしていたけれど、「いまを楽しむ」がモットーの友人の影響もあり、徐々に仕事をしない罪悪感を手放し、いましたいことに時間を使えるようになっていった。

道中の長距離バスや、イタリアからポルトガルまで移動したクルーズ船では、そもそもWi-Fiが使えない。携帯からも距離を置いて、窓の外を眺めたり、友人と話したり。

目の前の景色を楽しみ、誰かと時間を共有できることがとても幸せなことだと再認識した。

休むとは、いま抱えている感情を味わうこと

あっという間に去年のヨーロッパ旅行から1年が過ぎようとしている。

私はまた数ヶ月先の予定を手帳に書き込むようになってしまった。

未来をワクワクさせてくれるような予定は、大切だ。「ここまでがんばろう」という希望になる。

けれど、いまその時、その瞬間。その時に味わうべき”感情”を見過ごしてないだろうか。

去年の夏頃、私はとある出来事で、とても落ち込んでいた。胸に突き刺さるような言葉を放たれ、かなしかった。

でも、私は旅行や仕事の予定を入れることで、その感情を上書きした。「たのしい」や「おもしろい」で満たして、「かなしい」や「つらい」という気持ちをあえて咀嚼しないようにした。

だからいま、まだうまく飲み込めていない感情が消化不良を起こして、まだ胃もたれが続いているような感覚なのだ。

休むって、その時に内側から生まれてくる感情に敏感になることかもしれない。

いまは、ほんの少し悲しみに浸る余白と、前に進むパワーが欲しい。大好きな夏が来る前に、まっさらな自分になりたい。

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あい|ふたり広報
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