見出し画像

覚悟をすること、引き受けること

移住して2ヶ月が経った。
知らない土地での暮らしも2ヶ月を超えて、少しずつ慣れてきた。
パートだけれども、仕事という自分が属する場所があることは良かったと思う。
そこで繰り返される日々のルーティンと、自分に行くべき場所があるということが、私の中で安心感になる。
毎日顔を合わせる人がいるということが、とてもありがたい。

一方で、色々と思うことも多い。
そういうことも起こるだろうと予想していたし、私はそれに対してあまり声を上げたくなかった。郷に入っては郷に従え、だと。
でもそれは都合のいい逃げだったのかもな、と思う。
実際、起こった出来事に対して異を唱えたら、非難されていたらしい。

「あの女、年いってるくせに細かい」

私はこれがものすごく怖かったんだと思った。
人から非難されること。鬱陶しがられること。
これに遭遇したくなかったから、都合よく「郷に入っては郷に従え」を盾にしていた。

とあるグループが好きで、もちろんワーキャーの好きもあるんだけど、チーム運営や組織運営としてグループを観察することも好きだったりする。
そこには社会で生きていくためのヒントが多く見つかる。
メンバーの良さを生かしながらチームの成功に繋げていくその様は、会社や組織、そして社会で生きていく際のヒントが満載で、見ていてとても勉強になる。

昨日眠れなかったので、そのグループのリーダーのインタビュー動画を見ていた。リーダーとしての自分の葛藤や悩み、立場や役割、大切にしていることなどを語っていた。
それを見て、私は全然引き受けていなかったと思い知った。
誰だって嫌ごとは言いたくない。だけど、言わないといけない立場の人がいる。
伝え方を考えて、工夫して、相手とコミュニケーションする。
骨の折れる作業ではあるけれども、リーダーとはそういう役割だ。
「役割が人を作る」のであれば、その作業がその人自身の血となり肉となっている。やがてそれが人格形成につながり、信頼へとつながるのだろう。
放つ言葉の一つ一つに説得力がある。やってきた人が持つ重みがある。
そのリーダーは人としても厚みがあって、とても素敵だ。
(もちろん顔もかっこいい)

今の状況で、私は言わないといけない役割がある。
私が会社から期待されていることの一つが、今まで培ってきたキャリアと知見をこの場で発揮することだったりする。
変わらなければならないと考えている会社の中で、私のような他県の他社で働いてきた人間は貴重な存在として、有り難がられる。
おかしな状況に対して違和感を感じるならば、それはこの会社が変わるチャンスでもあるということ。

パワハラやセクハラは、普通に存在している。
男尊女卑、結構あると感じる。
それになんの疑問もなければ、ごく自然に存在している。
個人的な体感としては、15〜20年前に戻ったような感覚がある。

パワハラやセクハラって、やってる方は「良かれ」と思ってやっているところがあるように感じる。お互いの距離を縮めるためのツールで、そこに悪意や悪気はない。
でも、そこに相手(受け手)の気持ちが置き去りになっている。
相手が嫌がっていることが、全く見えていない。
見えていなくて当然だろう。なぜなら「良かれ」と思ってやっているのだから。

その行為がセクハラであること、パワハラであること、という認識が全くない人に対して、果たしてどういうアプローチをしていけばいいのか、とても悩ましい。
だけど私は考えなければいけない。そこから逃げたくない。
それをどう伝えるのかも一生懸命考えたい。チャレンジしてみたい。
そして私の中にある「非難される恐れ」も乗り越えないといけない、私自身の課題だ。

人に意見や考えに揺らいでブレそうになる時、私には一番星にしている人たちが数人いる。
自分を鼓舞して、よく考えて、チャレンジしてきたそのリーダーの姿は、私をセンターに戻す一番星の中の一人でもある。

私が尊敬している人たちは、どんな行動をするだろうか?と考えると、自分がやるべきことに戻れる。
今の私は次の階段を登る段階にあるようだと、今日通勤している最中に感じた。
覚悟をすることと、引き受けること。

2ヶ月経って、まだ2ヶ月しか経っていないんだと感じる。
それだけ中身が濃く、いろんなことが満載だった。
明日から4月。また新しいチャレンジが始まる。
先の見通しは全然立っていないけれど、次々と目の前に現れるチャンスや課題をやっていくことで、数珠繋ぎのように繋がっていく気もしている。

いろんなことがあるけれども、生きている感じはめちゃくちゃ感じている。