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新しい生き方

沖縄に来てもうすぐ4ヶ月になる。
そして、コミュニティFMでラジオパーソナリティになり1ヶ月半が経つ。

ズブの素人が45分間、ただひたすら好きに喋る。
ボランティアパーソナリティなので無給な分、スポンサー気にせず好きなことを喋れるのは、自分にとっては有難い。

もともと言葉が頭に溢れて仕方ないので、アウトプットの場というのは有難い。
そして実際やってみて「喋り」という表現方法は、自分には合っているとも思う。
ここ数ヶ月ずっとnoteを書けなかったのは、「文章」にすると、自分の場合どこかカッコつけたくなるというか体裁を整えたくなるので、途中で何が言いたいのかがわからなくなってくるから。
なので、下書きの記事がごまんとある。

「喋り」の原稿は書きやすいし、実際喋る段になってその時に変えることもできるので、体裁を整えるというより、生の自分で表現できる。
それが、カッコつけの自分を嫌う私にとっては、精神衛生上、健康を保てる。

コミュニティラジオゆえ、実際「ラジオ」という電波で聴ける範囲は、沖縄県内の限られた地域になるので、とても狭い。
それにラジオを聴いてくださってる方の聴衆率もわからない。

ラジオはYouTubeでも生配信されている。
アーカイブも残る。
なので、そちらの方は結果がガッツリと「数字」として現れる。
自分の表現したことに対する、一つの評価。
私にとっては初めての評価方法。
仕事ではなく「私」で表現したことに対する評価。

この「数字」には翻弄されている。
一喜一憂する。めちゃくちゃ振り回される。
言うてまだ1ヶ月半だから仕方ないのかもしれないけど、正直けっこうしんどい。

「数字」はあくまでひとつの評価軸であって、それ以上でもそれ以下でもない。
それは頭ではわかっている。
自分が大事にしたいことは、そこにはないのもわかっている。
だから、いちいち「数字」にブレてしまう自分に疲弊してしまう。

ラジオは丁寧に誠実にやりたい。
だから一回一回のラジオは、僭越ながら私の大切な作品でもある。
そこに「数字」という評価が下されることに、私はまだ慣れてない。
数字の扱い方に慣れていない。

表現者にとって、他者の評価というのは切っても切れない関係ゆえに、もっともっと自分に集中しないといけないんだろうとも感じる。
周りが何と言おうとも、自分の根っこをしっかり掴んで粛々とやる。
そう、もうコツコツ粛々とやるのみだと。

そして、それができる環境にある自分をまた有難く思う。
「これでいいのか?」と、周り任せに生きていたあの頃とは、心持ちが全然違う。
ここはここで違った苦しみがあるけれど、このサバイバル感は嫌いじゃない。

「数字」に振り回される今を含めて、自分の足で人生を歩いている感がある。
新しい生き方。
それは、とても嬉しい。

ちょっと行けば、青に出会える