しばしば、進路を考える際に、つぶしが効くように選択すべきということを聞くが・・・「つぶしが効く」という言葉は二面性があるように思えるな。

例えば、ある人物は理系はつぶしが効くと言っていた。その理由は、計算のやり方や式や図などの理解といった基礎学力を習得できれば、そのやり方であちらこちらの界隈を学ぶ際に、苦もなくできるからつぶしが効くという考えがある。例えば、物理の計算ができれば、機械工学だろうが、電気工学だろうが、学ぶ際に、各々の分野の用語と実務さえわかれば、後は、計算は楽なので、苦もなく習得ができる・・・ということで、理系はつぶしが効くという意見がある。

一方で、文系の方がつぶしが効くという意見もある。理系だと技術者といったような特定の分野にしかなれないから、つぶしが効かないという意見がある。

ただ、思うのだけど、この二つ、明らかに意味が違うと思うのだけど。前者の理系の場合は、基礎学力ができていれば、数理を使う分野なら、どこでも学べるというある意味、能動的な立場であるが、文系の方の話は、あくまで、ブルジョアというか、人事というか、いずれにせよ、プロレタリアートからすれば、受動的な意味合いになると思われ、意味合いは全然違う。結局、自分の意思がそこにはなく、人からのある種のレッテル張りが元になっているに過ぎないので。

つぶしというのは、非常にあいまいなもので、使う人によっては意味がことなってくるというのがここから分かるのだけど・・・これっていいの?という考えしかない。結局、人からどう見られるか?だけで進路を決めたりするきっかけにしかならないので。

これは、最近、ある医療関係に進学した知人から聴いた話だけど、その医療関係のところは、理系よりもつぶしが聞かないとかいうような話を担当教員から聞かされたらしい。特に別の大学の理工系から移動したということもあってターゲットになったみたいだけど。まあ、この先生はどうも若さに執着しすぎているなどで少々疑問視せざるを得ない愚痴を言っていたようなので、話に耳を貸す必要があるのか疑問の余地があるのだが、そのことをさっ引いたとしても、この話を聴いて、果たしてつぶしがきくことが本当に重要なのか疑問を呈するようになった。

正直、「それ」にしかなれないという風に考えるよりも「それ」にしかなる必要がないという感じに考えた方がいいと思うし、あくまで「それ」になれるように最大限、努力する必要があると思うのだけど、そういったプラス思考にならないというのは必ずしもいい効果をもたらすようには思えないと思う。(「それ」は職業名)

まあ、つぶしがきくという言葉に惑わされず、まずは、自分がいいと思ったことをやるのがいいのかもしれない。それに、どんな方向に言っても、頭を使って、「何ができるのか?」を考えれば、つぶしを聞かせる策が見つかるのではないかと思っている。

(追記)

それにしても、どうもバカらしいことをいう教員がいるものだな。今の世の中、リストラや就活の失敗などいろいろとあって、職を得るのが難しい状況にあるのだけど、バブル期にいかに仕事があって、そういう時代の人間が未だに、主要な地位にいるということなのだろうか?そのような教員を含めた保身に走った勢力の言動が新自由主義者や虚業家や一発屋などを肯定する材料になりうるということに気がつかないのだろうか?

こういった保身に走るような言動が多くなれば、「既得権益を持った余裕のある連中」とレッテルを貼ってくるゴロ〇キに優位なことになりかねないと思うのだが。

結局、あの手の医療系の教員に関しては、社会勉強をかなり上になったらやった方がいいのかもしれない。特に、ある意味権力を得ることができる立場になった場合は。

ともかく、そういう古く、現状では、まったく的外れな考えもあるので、「つぶし」というのはその意味するところを考え、周囲の無責任な意見には疑問をもつということが必要なのかもしれないと考えるに至った。

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