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ゼロ

東京と福島が隣駅だったらいいのになあって思う。

東京と福島は直線距離で、241.2kmらしい。241.2km、って言われても意味がわかんないでしょう。そもそも東京と福島が隣駅って、県の話をしてるのか、駅の話をしてるのか、意味がわかんないでしょう。でも仕事でひと段落ついたときとか、夜寝る前とか、ストーリーズをひと通り見終えたあととか、東京と福島が隣駅だったらいいのになあって思う。

福島は本当にいいところで、私はこの場所でたくさんのものをもらった。多分この先何回も思い出すと思う。私はこの場所でいろんなことができるようになった。県で言えば、ここは第三の故郷ということになる。生まれた場所、大学生になって一人暮らしを始めた場所、そして1人の人間として生きていけるようになった場所。文字通り私はここで生まれたんだと思う。

そんな愛しい場所から、なんで私は離れようとしてるんだろう。どっちみち期限付きの異動だから、いやその願いを提出すればここでずっと働くこともできるけど、いつか離れる、と思いながら毎日を過ごしてた。今も過ごしてる。なんでだろう。こんなに楽しいなら、ずっとここにいたらいいのに。ずっとここにはいられないって、なんで思うんだろう。ここにいてはいけないって、ここにいることはできないって、何が、私にそう思わせるんだろう。結局同じようなことを、仕事に対しても、人に対しても、思っていることを考える。こんなに楽しい仕事、ならずっと続けたらいい。こんなに大好きな人、ならずっと一緒にいたらいい。でもできない。無理だよ。敵わない。なんで? 結局さ、私は、それを失う前に、自分から離れることで、それを失わなかったことにしたいだけなんじゃないか。ずっと続いたらいいって思うこと、ずっと続けられるだけの自信や実力がないだけなんじゃないか。

もう一つ、離れているからこそ得られる価値、本来隣にいればなかったかもしれない付加価値を間違いなく感じていること。遠くからありがとうとか、寒さに気をつけてとか、そういう気遣いの言葉を貰うたびに思う、じゃあ遠くからじゃなかったら、寒い地方じゃなかったら、それでも私は今日ここにいてよかった?

そんなのあるわけないってわかってる、そんなこと言う人ばかりと付き合ってないってわかってる、だけど、ほんとは、ずっと隣にいたら、何にも話せることがないこと、退屈で、つまらない人間なこと、私には何も差し出せるものがないこと、そういうのがどんどんばれて、離れていくかもしれないこと、そういうのがずっと怖いこと。

実際に東京と福島が隣駅だったら、もうそれは東京は東京でなくなり、福島も福島ではなくなる。この距離があってこそ東京と福島は東京と福島でいられる。だから私は、東京と福島が隣駅だったらいいのになあって思う。今の私が今の私のままで、あなたはあなたのままで、そこに生まれた価値もそのままで、隣駅だったらいい。このままの距離感で、隣駅だったらいい。あなたと一緒に仕事の帰りに夜ご飯を食べたい。あなたと一緒に寝る前散歩に行きたい。あなたのストーリーズに私も写ってたい。あなたに今すぐ会いたい。

悲しいこと、ひとつひとつと距離をとって、私の家は私の居場所になった。悲しいことを言う人は1人もいなくなった。もう安全だった。大丈夫だった。でもそうしたら今度、それを失うことが怖くなった。気付いたら私は逃げることばっか、それを失った時の準備ばっかりうまくなってる。おかしいって思う。間違ってるって思う。これまでの喪失が大きすぎたって言えばそれだけのことだ、でもまた私はそれのせいにする?

いろんな人と仲良くなれるのは、居住地を転々とできるのは、ただ一つのところに留まってるのが怖いからだ。一つのところに留まっていられるだけの自信がないからだ。魅力がないからだ。実力がないからだ。それを維持していくやり方をまるで知らないことに気がつく。齢24。足りないものばっかりだ。

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